原作のヒロインと悪役令嬢は再び出会う
南の太陽が天蓋の裂け目から差し込み、金と白の粒が宙を漂っている。
壁は溶けるほどに白く、床の大理石には人の形をした彫刻が眠る。
祈る姿のまま、砂に覆われて。
その中央――黒曜石の祭壇が、異様なほど冷たく沈黙していた。
そこに、ルーチェがいた。
白いヴェールをかぶり、詠唱している。
彼女の隣には、やつれた神官の男――ゲルト。
虚ろな瞳に宿るのは、長い孤独と熱狂だった。
「ようこそ、姉様。……でも遅かったわね」
ルーチェの声は柔らかく、どこか悲しい。
「もう、原作の筋書きから外れてしまった。
でも、私ならやり直せる。ヒロインとして、聖女として、正しい“物語”に戻すの」
アシュリーは静かに息をついた。
「……ルーチェ、あなたは今のこの世界を否定しているのね」
「だって、この世界は間違ってる!
お姉様が“悪役”じゃなくて、王子様と結ばれなかった時点で、全部狂ったのよ!」
ルーチェの声が震え、白い光が揺れる。
「私は知ってるの。“幸福なエンディング”を!
それ以外に私は――存在する意味はないの!」
アシュリーは一歩近づき、そっとルーチェに手を伸ばした。
「ルーチェ、あなたに私は感謝しているの。
あなたがいたから、私はマルクス様に出会えた。あなたが進もうとしたから、私は自分の道を探せたの」
ルーチェの瞳が揺れる。
けれども、迷いの奥に頑なさがあった。
その後ろで、ゲルトが静かに笑う。
「優しい姉君だ。しかし、この堕落した世界を救うには甘すぎる」
彼はゆっくりと祭壇の縁を撫でた。
「神の雷――“現代の兵器”を召喚する。
それこそが聖女信仰を取り戻す唯一の奇跡だ。
祈りは消えた。ならば、我らが再び神を創ればいい」
キリアンが声を上げる。
「……それは救いではありません! 異界の兵器は世界の均衡を崩し、再びこの地を焼く。世界は破滅します!」
ゲルトは嗤う。
「犠牲の上でこそ、人は祈るんだよ。
“失われた神”を取り戻すには、犠牲が要る」
マルクスが剣を抜き、アシュリーの前に立つ。
「聖女ルーチェ。この世界で誰よりも君を想っているのは、きっとアシュリーだよ。
それに気づけば――もっと明るい未来があった」
「……未来なんて、ないわ」
ルーチェは首を振り、唇を噛む。
「この世界は間違い。原作の“正しい形”に戻すしかないのよ」
アシュリーは涙を滲ませながら、必死に声を振り絞る。
「違う! あなたは“今”を生きている。
この世界の誰もが、あなたを聖女と呼ばなくても――生きていていいの!」
一瞬、ルーチェの肩が揺れた。
だが、その胸に浮かんだ迷いは、すぐに自身の放つ光に呑まれていく。
ゲルトが囁いた。
「さあ、聖女。あなたの血で門を開け。神は記憶の中から蘇る」
ルーチェは俯き、震える指先を見つめる。
アシュリーが叫ぶ。
「ルーチェ、やめて――!」
けれど、彼女は微笑んだ。
涙を一筋、頬に伝わせて。
「ありがとう、お姉様。でも――私は、“原作”に戻すことしか、わからないの」
次の瞬間。
ルーチェは手を自ら切り裂き、祭壇の黒曜石へ血を垂らした。
赤い滴が、黒い紋を走る。
聖廟全体が黒い光を帯び、光は一気に広がった。
展開した光柱が空を裂く。
――Code of Edenが、目覚める。
アシュリーはマルクスの腕を掴む。
「マルクス様……!」
「アシュリー!」
白砂の聖廟が、崩れ始めた。
神の雷を呼ぶ、狂信の儀式が動き出してしまった。




