ヒーローはいつだってヒロインを守る
白い砂が世界のすべてを覆い尽くし、視界の端まで続いている。
アシュリーたちは、砂嵐の合間を縫うように進んでいた。
「……ここが、アルバです」
キリアンが指で示す。
砂に埋もれた石の塔、教会…崩れ落ちたさまざまな残骸に砂が降り積もっている。
ケイトが目を細める。
「街、というより……遺跡ね」
「かつては栄えたはずです。交易も、芸術も、そして信仰も」
アシュリーはふと、指先で床の砂を払った。
幾何学模様と文字。淡い光を帯びて、まるで生きているように脈打っていた。
「……動いて、いる?」
ケイトが息を呑む。
「魔術陣の残滓ですね。誰かが、ここで――」
キリアンが言いかけたその時、ヨルムガルドが大きく鳴いた。
頭上の雲が裂け、砂嵐が収まる。
目の前に、白砂に沈んだ街が姿を現した。
丸屋根の建物が並び、柱に聖女の彫像。
広場の中央には、祈る人々を象った石像群が残っている。
そのすべてが白砂に埋もれ、まるでそのまた時を止めたようだった。
◆
「……人の気配はありませんね」
ケイトが慎重に辺りを見回す。
「当たり前だろ。千年前に滅びた国だぞ」
イゴールが肩をすくめる。
だが、なぜかどこかで誰かが祈っているような声がする。
アシュリーが耳を澄ませる。
「……風の音、ですよね?」
マルクスが首を振った。
「……風にしては、あまりにも規則的な気がするね」
その時、ハティルが前脚で地面を掘り始めた。
低く唸り、砂をかき分ける。
すると、古びた石段が顔を出した。
「……地下に通じてる?」
「調べてみよう。気を付けて」
マルクスがアシュリーの手を引いた。
その瞬間、上空で砂がぱらぱらと降った。
「……っ!危ない、下がれ!」
崩れかけた塔の破片がアシュリーの頭上に迫る。
マルクスが瞬時に腕を伸ばし、アシュリーを抱き寄せた。
砂煙が上がり、音が止む。
「怪我はない?」
「……はい。でも、マルクス様が……」
「平気だよ。君が無事でよかった」
砂まみれになったマルクスが微笑んだ。
「ふぅ……閣下、ヒロインを守るシーンがいつも完璧ですね」
ケイトが小声で呟く。
イゴールがため息をつく。
「お前、それを茶化す度胸がすごいな」
アシュリーは、頬を染めながらマルクスの手をぎゅっと握った。
◆
崩落を抜けた先には、ひんやりとした静寂が広がっていた。
砂の下から現れた通路が地下へと続いている。
壁には浮き彫りのような文字が刻まれていた。
アシュリーが指先でなぞると、淡く青白い光が灯った。
「……古代アルバ語。まだ読めますね」
キリアンの声が静かに響く。
膝をつき、砂を払いながら碑文を読み上げていった。
『天より来たる者 知をもたらす
その記憶、我らを照らす
病は癒え、飢えは満たされ、人は神を見た』
「……“天より来たる者”って……?」
「転生者……聖女のことですね」
アシュリーが小さく呟いた。
キリアンが続きを指でなぞる。
『されど、知はまた災いを呼ぶ
記憶は人を狂わせ、やがて神の怒りが落ちた』
読み終えた瞬間、静寂が落ちる。
アシュリーが震わせながら言った。
「……つまり、聖女の…異世界の記憶?」
キリアンが頷く。
「人の都合で“異世界”を神と呼び、聖女を崇めたのです」
彼の声には僅かな痛みがあった。
「……彼らは“異世界”にすがって…転移者の知恵に、異世界からの転送に頼りきりになった。そして、それによって滅びたんだ」
――まるで、奇跡を灯にして自ら炎に飛び込む蛾のように。
アシュリーはその言葉に沈黙した。
自分もまた、“転生者”という運命の上で生きている。
「……マルクス様」
「うん?」
「私が“前世の記憶”を持つせいで、また同じことが起きたらと、時々思うんです」
マルクスは静かに首を振った。
「君が誰かを救おうとする限り…それは決して同じではないはずだ。
――君の力は優しさだよ」
優しい灰銀の瞳が、まっすぐにアシュリーを見ていた。
◆
通路は永遠に続くように長かった。
砂がしっとりと壁に張り付き、灯した魔光石の光を吸い込んでいく。
足音と、ハティルの爪が床を引っかく音だけが響いた。
やがて通路が開け、天井の高いホールへと出る。
円形の空間。中央には黒曜石の台座。
その上に、古い歯車や金属片のようなものが散らばっていた。
「……これ、なに?」
ケイトが顔をしかめる。
「この世界では見たことのない素材です。鉄でも、魔鉱でもない」
キリアンが慎重に手を伸ばす。
だが、その瞬間――
床の紋様が淡く光り、空気がざわめいた。
「下がって!」
マルクスがとっさにアシュリーを抱き寄せ、背中で光を受ける。
風が渦を巻く。
次の瞬間、幻のような映像が壁に投影された。
女が血を魔法陣にかける。
光が溢れ――この世界にとっての異世界、アシュリーにとっての前世のものが現れる。
それは二つの輪を持つ奇妙な鉄の乗り物――聖女は“神の移動具”と呼び、奇跡の象徴とした。
「……これ…転送の記録映像?」
アシュリーが息を呑む。
女の声が響く。
『聖女よ、神の門を開け。知を継ぐ者として、この世界に祝福を――』
音が途切れ、光が消えた。
しん、とした沈黙が戻る。
「……“神の門”でアルバは異界のものを喚んでいたのか」
キリアンの声には苦さが滲んでいた。
アシュリーは台座の横に刻まれた文字を見つける。
『Code of Eden――異界の血に紐付けられた記憶による門。神は記憶の中から生み出される』
「……血と記憶……」
アシュリーが呟く。
「……ルーチェが今、使おうとしているものです」
マルクスが短く息を吐く。
「つまり、彼女はアルバの“神の門”を再現しようとしている……」
◆
その時――
ハティルが低く唸り、床に鼻を押し付けた。
ぴくりと耳を立て、後ろ脚で砂を掘り始める。
「……また何か見つけた?」
ケイトが覗き込むと、砂の下から金属の格子が現れた。
イゴールが剣の柄で叩くと、乾いた音が響く。
「空洞だな。下に――」
言いかけた瞬間、床が崩れた。
「きゃぁっ!?」
ケイトが悲鳴を上げる。
ハティルが素早く口でケイトの袖を咥え、落下を防ぐ。
ヨルムガルドが咆哮し、翼を広げて風を巻き上げ、落石を吹き飛ばした。
砂煙が晴れる。
そこには、地下へ続く巨大な縦穴が口を開けていた。
「……進路が、できたようだね」
マルクスが剣を納め、アシュリーの肩に手を置く。
「怖いかい?」
「……少しだけ。でも、マルクス様がいますから」
「心配ないよ。絶対に君を離さないから」
アシュリーが微笑むと、マルクスも穏やかに笑い返した。
◆
全員がロープで降下を始める。
壁には古い彫刻――祈る人々、星を掲げる女神、そして崩れた塔。
下へ降りるほど、空気が冷たくなっていく。
キリアンが静かに呟いた。
「……ここは、アルバ・サンクタ――白砂の聖廟の外郭ですね」
アシュリーが掌の魔光を強める。
暗闇の奥に、金属の扉が浮かび上がっている。
扉の中心には光る紋章――“聖女の印”。
かすかな魔力の流れ。
まるで“誰かが目を覚ますのを待っている”ように。
「……この扉の向こうに、聖廟が」
イゴールが剣を構え直した。
ハティルが低く唸り、ヨルムガルドが翼を広げる。
その瞬間――壁の紋様が光り、ひんやりと冷たい風が吹き抜けた。
「……歓迎、ではなさそうだね」
マルクスが呟く。
アシュリーの瞳に決意の光が宿る。
「それでも、進みます。彼女を――ルーチェを止めるために」
冷たい金属が、ゆっくりと開いていく。
白い光が差し込み、一行はその奥へと歩を進めた。
――白砂の廃都の心臓部へ。
そして、聖女の遺した“罪の記録”へ。




