元悪役令嬢と冷酷辺境伯は愛を知っているから
夜の帳が砂漠を覆ってく。
昼の熱から心地よい冷たさに変わる。
白い砂の海の上に、無数の星々の光の帯が広がっていった。
アシュリーたちはオアシスのほとりに野営を張った。
小さな焚き火の火がぱちぱちと音を立て、橙の光が砂に揺れている。
◆
アシュリーの膝の上には銀狼ハティルの頭が乗せられている。
くぅくぅと寝息を立てているが、時々寝返りをうってはアシュリーのスカートをめくってしまう。
「……ハティ、ちょっと重たいですよ?」
そう言いつつも、アシュリーは穏やかにその毛を撫でた。
柔らかい銀毛が指の間をすべり、大きな温もりが手に残る。
そこへ、低い影が落ちた。
上空を旋回していたヨルムガルドが、どさっと地に降りたのだ。
巨大な翼が砂を巻き上げてしっかりハティルにかかる。
ハティルは「わふぅっ!?」と寝ぼけながら飛び起きた。
「もう、ヨルちゃん!寝ている子を起こしてはいけませんよ」
アシュリーが少し眉を寄せて言うと、竜はまるで「え?」と言わんばかりに首を傾げる。
そのあと、頭を下げてハティルの隣にごろん、と寝転んだ。
ハティルは一瞬警戒したが、すぐにあくびをし、とてとて歩いて行って寄り添い、尻尾を絡ませた。
竜と狼が寄り添って眠る光景は、まるで絵本の一場面のようだった。
その場にいた皆が思わず微笑んだ。
◆
焚き火のそばでは、ケイトが大鍋で料理を作っている。スパイスと肉の香り良い香りが漂う。
「出来ました!旅でも、ちゃんと温かい食事を取ることは大切です」
器を受け取ったイゴールが早速頬張り、嬉しそうに笑う。
「うまい。……本当に、君の料理だけは王都でも恋しかった」
「“だけ”って何ですか。“も”をつけてください」
「はいはい、“も”だよ」
ケイトは真顔でイゴールの肩を小突いた。
そのやり取りを見て、マルクスとアシュリーも目を合わせ、笑い合う。
キリアンは少し離れた場所で、空を見上げていた。彼の白い衣が星の光を受けて淡く光っている。
「……星は、いつの時代もほとんど変わらない」
皆がキリアンを見つめる。
「この空を、かつてアルバの人々も、そして他の聖女たちも見上げたのだと思うと――不思議です」
アシュリーはその言葉にそっと頷いた。
「……変わらないものがあるのは、少し安心しますね」
「ええ。変わること、変わらないこと…どちらにも希望がきっとあります…」
キリアンの言葉に、夜の風が答えるように吹き抜けた。
◆
やがて夜は更け、風が静まり、焚き火が赤い光を細く残す。
眠りについた仲間たちの寝息が穏やかに聞こえる。
空に流星がひとすじ、音もなく落ちていった。
アシュリーはそんな夜空を見上げていた。
(……この星たちは、何百年も前からこの世界を見てきたんですね)
いつか自分も、誰かの記憶のひとつになる――そんな予感がした。
◆
東の空が青く、夜が終わり始めている。
朝の光は静かに砂丘を照らしていった。
砂粒一つひとつが、金の粉をまぶしたように光を返す。
アシュリーが天幕から出ると、マルクスが既に準備をしていた。
マルクスが声をかける。
「起こしてしまったかな?」
「……いえ!ちょうど目が覚めたところです」
アシュリーは白い外套を羽織った。
「…折角だから、少し歩かないか。君に見せたい光景がある」
マルクスに導かれ、砂丘の上まで登る。
遠くでハティルの寝息と、ヨルムガルドが翼を広げる音がした。
まだ少し冷たい風が頬を撫でる。
さらさらの白い砂を手を繋ぎながら登り切り、砂丘の頂上についた。
そのとき――太陽が昇る。
地平線から、黄金の光が溢れ、砂が一斉に煌めいてゆく。
「……きれい……!」
アシュリーが息を呑む。
マルクスはその横顔を見つめ、微笑んだ。
「ここは私のお気に入りでね。君と共有できて嬉しいよ」
「……マルクス様は、ここに来られたことが?」
マルクスは俯いた。瞳が翳る。
「ああ。先の戦の頃に」
アシュリーがマルクスの冷たい手をぎゅっと強く握った。マルクスは微笑んで続ける。
「この砂を踏んだとき、すべてが焼けていた。人も家も営みも――けれど、太陽や風や星だけはそこにあった」
マルクスは潤んだ瞳でアシュリーを見つめた。
「あの頃は泥と血に濡れながら、星や太陽を待っていた。…この光景を、君と見られるなんて、夢のようだ」
アシュリーの胸が熱くなった。
「……私、絶対に今日を忘れません」
「私も……どんな未来が来ても、この朝を思い出したい」
愛を知らずに戦っていた彼は、今はもう愛を知っている。
孤独な過去は遥か彼方に過ぎ去った。
二人の間を白い風が通り抜けていく。
ハティルが二人の元へと駆けてくる。
上空ではそれを見まもるのように、ヨルムガルドが翼を広げ舞っていた。
夜が明け、砂の国では新しい一日が始まった。
そして、アシュリーの胸に―― “星はいつも私たちを見守ってくれている”という言葉が刻まれていた。




