異国でどきどき!?夫婦だからこそ、ときめいちゃいます
陽射しが強くなり、白砂が金色に輝き始めた。
遠くに見えるのは、砂漠に浮かぶ蜃気楼のような町――カルナ。
高い石壁の向こうには、香辛料と異国の布の香りが渦を巻く。
赤、金、青、緑……目が眩むほどの色彩。
南方諸国との交易で栄えたこの町は、まるで砂上に咲いた花だった。
◆
「わぁ……すごいです、マルクス様!」
アシュリーはその光景に思わず目を丸くした。
運河のほとりでは、裸足の子どもたちが水遊びをし、果実を売る商人が威勢のいい声を上げている。
強い香辛料の香りが風に乗って流れ、鼻をくすぐった。
「この匂い、懐かしいよ。戦の頃、ここで休んだことがあった…」
マルクスが目を細めて呟く。
その横顔を見つめ、アシュリーは小さく微笑んだ。
「……今は平和ですね」
「……そうだね」
ケイトが腕を組み、不敵に笑った。
「では早速ですが、食料と水、それから予備の医薬を補給しましょう!」
マルクスがおかしそうに笑う。
「交渉は任せたよ、ケイト」
「はい!値切り交渉と市場調査は得意ですので」
きらりと光る瞳に、イゴールが苦笑する。
「また商人を泣かせないように頼むよ」
「泣かせるのではなく、納得させるんです!」
「それが怖いんだよなぁ……」
そんな夫婦のやり取りに、ハティルが「わふ!」と鳴き、呆れ顔でしっぱをぺしぺしと床に打ち付ける。
その姿にアシュリーも堪えきれずに吹き出した。
◆
市場は人で溢れている。
香草と乾燥果実の山、極彩色の布、透き通る瑠璃や水晶の器。
目に映るすべてのものが珍しく、アシュリーはきょろきょろと見回っている。
「お嬢さんに美しい首飾りをどうです?娘さんへの贈り物にもぴったりですよ!」
露店の男が声をかける。
アシュリーが戸惑うと、マルクスが静かに微笑んだ。
「妻への贈り物として頂こう」
男は慌てて頭を下げる。
「これは失礼…!ちょいと負けといたよ、ありがとね!」
マルクスは翡翠の石が連なる首飾りを手に取り、アシュリーの首元に当ててみせた。
「……似合うね。私をいつも惹きつける君の瞳と同じ色」
「ま、マルクス様……人前でそんな……」
ケイトが呟いた。
「ご夫婦の熱さで市場が溶けそうですね」
イゴールが肩をすくめる。
「まったくだ」
◆
一方その頃、キリアンは古びた書店の奥で、一冊の文献を手にしていた。
羊皮紙の表紙に、古代アルバ教の紋章。
「……“聖女は記憶の器”」
彼は呟き、ページをそっとなぞる。
「聖女とは、神の世界の記録を保持する存在」
つまり、聖女は異世界の記憶そのもの。
キリアンは深く息をついた。
「……ならば、Code of Edenとは“記憶を使った転送術”か」
その意味の重さに、彼はしばし言葉を失った。
◆
黄昏時。
赤と青が入り混じる空の下、一行は教会跡地を訪れた。
崩れた尖塔、焼け焦げた壁。
そして、床の中央――黒い煤のような痕。
アシュリーが跪き、指先で触れると、光がかすかに散った。
「また……転送痕です」
「……ここにもか」
マルクスが眉をひそめる。
キリアンがそっと祈りの印を切った。
「“記憶の器”が、何かを呼び出そうとしているのかもしれません」
沈黙の中、ハティルが低く唸る。
ヨルムガルドが遠くで一声鳴いた。
砂漠の風が、古い祈りのように隙間風となって鳴いていた。
◆
カルナの宿はどこもいっぱいで、部屋が足りなかった。
結果、マルクスとアシュリーも一人用の部屋に二人で泊まることになった。
アシュリーは小さなベッドに、腰を下ろす。
そこへ風呂上がりのマルクスが、がしがしと雑に布で髪を拭きながらやって来た。
服は第三ボタンまでくつろげられ、緩く履かれた下履きから腰が見えている。
初めて見る緩んだ姿に、アシュリーは緊張してしまった。
(いつもきちんとしていらっしゃるから…なんだか…どきどきする…!)
頬を染めて硬直するアシュリーに、マルクスが微笑む。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。君が嫌なら私は床でも構わない」
「ち、違います! 嫌ではなくて……その……!」
頬を染め、アシュリーはうつむく。
「…アシュリーは可愛いね?」
いつの間にかアシュリーの前にやってきたマルクスが微笑む。
「こうして結婚してからも、私を意識してくれることが嬉しい」
くいっとアシュリーの顎を上げた。
細めた銀の瞳に熱っぽく見つめられ、心臓が高鳴る。やがて少し冷たい鼻先がくっつき、彼の銀色の髪がアシュリーにかかる。
そして…そっと柔らかな唇を落とした。
もう完全にとろけた表情の彼女に、マルクスは満足そうに笑った。
◆
マルクスが灯を落とす。
暗闇の中、いつになく密着する。
アシュリーは抱き抱えられ、マルクスの胸元に顔を寄せていた。
彼の鼓動が聞こえてくる。
「…マルクス様も、どきどきしてくれているんですか?」
アシュリーが問いかけるとマルクスは少し照れながら答えた。
「…旅で開放的になった君は、魅力的すぎるからね」
その言葉にアシュリーは、意を決して彼の頬を両手で包んだ。
目線がぶつかる。
そしてアシュリーは目を閉じて、ちゅっ、とマルクスに自ら口付けした。
短い沈黙が落ち、アシュリーは恐る恐る目を開けた。
上気した端正なマルクスの顔が見えた。
「…悪い子だね。私を煽るとは…」
マルクスがにこ、と口角を上げた。
「お仕置きが必要、かな?」
マルクスに更に引き寄せられ、しっかりと密着したまま強引に唇を奪われる。
そしてアシュリーは暫く離してもらえなかった。
◆
「この香り、カルナ特有の香油だね…。よく似合ってる。もし君が気に入ったなら買って帰ろうか…」
少し眠気を含んだ柔らかい声。
彼の指先がアシュリーの髪をそうっと撫でる。
その仕草は壊れ物を扱うようにあまりにも優しく、胸の奥がきゅんっと痛んだ。
「……マルクス様」
「うん?」
「……世界の存続がかかった旅なのに…。今は、怖さよりも、幸せを感じるんです…」
「私も、君とならどんな時もどんな場所でも、幸せだよ」
アシュリーは瞳を閉じ、そっと寄り添う。
マルクスの腕が、自然に彼女を包み込む。
互いの鼓動が静かに一つに溶けてゆく。
「おやすみ、アシュリー」
「……おやすみなさい、マルクス様」
窓の外では、砂の夜風がやさしく吹き抜けていた。




