銀狼閣下と姫のときめきいっぱいな休日と王城での”ざまぁ”
ある朝のこと。侍女はたくさんいるが、幼い頃から姉のように世話をしてくれたケイトの姿が見えないことに気付いたアシュリーはそわそわと落ち着かない気持ちだった。
「……あの…ケイトは……?」
不安げに侍女の1人に聞く声に、背後から低く落ち着いた声が返る。
「里帰りさせたんだよ。ケイトは王都の騎士団長イゴールの妻だからね。久しぶりに夫婦で過ごすといいと思って」
「……っ、そうだったんですか……!」
アシュリーは驚いたように目を瞬かせ、それからしゅんと肩を落とした。
「……私、ケイトのことは全然知らなかったです……。ずっと自分のことばかりで……何も気が回らなかった……」
小さく呟き落ち込む彼女の頭を、マルクスがそっと撫でた。
「気に病むことはない。……君はよくやってきたよ。ケイトも、君の力になれたことを誇りに思っているはずだ」
温かな声に胸の奥がじんわり熱を帯びる。
「さぁ、今日は領内を案内しよう。……二人きりで」
その一言にアシュリーの頬は一気に赤くなった。
◆
真っ白な雪原を歩き山間に進むと、遊牧民のテントが点々と並ぶ。その奥の方に魔法で溶かされ草がしげる場所でたくさんの羊たちが駆けていた。
牧羊地を手入れする民たちが「銀狼閣下の姫様!」と笑顔で手を振る。
アシュリーは思わず立ち止まり、小さく手を振った後そっと声をもらした。
「な、なんだか……皆さん、とっても優しい……」
その言葉に、マルクスが隣で温かく微笑む。
「君が真面目に努力してきたことが昨日、はっきりとわかったからね。それが領民に噂で回ったんだろう」
頬を赤らめながら「……私、ただ続けてきただけで……」と呟く彼女に、民たちの視線もまた温かかった。
◆
昼時、二人は城下町へ。
雪をかき分け並ぶ屋台からは、香ばしい匂いが漂ってくる。
「こちら、辺境名物の〈雪どけパン〉でございます!」
真っ白なパンに蜂蜜とチーズをたっぷり入れてある熱々のパンを渡され、アシュリーは両手で受け取った。
「……あつっ……でも、とろとろで甘くてしょっぱくて……おいしい……!」
一生懸命食べるアシュリーに、マルクスは目を細める。
「……ふふ、可愛いね」
「えっ……?」
「いや、君がそんな顔をするなんて思わなくて」
彼はアシュリーの手のパンを一口かじり、ついでとばかりにアシュリーの手についたチーズをぺろりと舌でなめとった。
「…ん。いつ食べても美味しいね」
「……!ほ、ほんとうに美味しいで、す……」
マルクスの熱い舌が触れた指先から胸にかけて痺れるような熱さがかけめぐった気がして、アシュリーは困惑していた。
◆
農場では雪避けの布を直す民と一緒にアシュリーも雪避け布の裾を引っ張った。
布の重さにふらりと足を取られた瞬間、腰を大きな手にしっかりと包まれる。
「っ……!」
「…君は魔法は大胆なのに、体は随分と細くて軽いね…剣や弓は興味がなかったのかい」
耳元に落ちる低い声。熱が頬を染める。
「……あっ、そうですね……その、剣や弓は、女の子らしくないって妹が…ま、マルクス様が嫌がらないかな…って…」
しどろもどろアシュリーが答える。
「…君は本当に私のことばかり、考えてくれていたんだね」
にこっとマルクスが笑って後ろからアシュリーを抱きしめる。
「…弓や剣をしていたって…いや、君が何をしていたとしても…君の魅力は変わらない」
耳元で囁かれたその一言に、いきなり心臓が跳ねて息が詰まる。
アシュリーはその苦しさが何かわからず、胸を押さえて目を白黒させていた。
◆
アシュリーが最も興味があった魔物小屋。
銀狼はマルクスが来ると騒ぎ出し、竜たちも首をもたげた。
「触ってみるかい?」
促されておずおずと手を差し伸べる。銀狼が大きな舌でぺろりと舐め、アシュリーは思わず笑った。
「……かわいい……」
その無邪気な横顔に、マルクスの瞳が熱を宿す。
「……アシュリー」
「……はい?」
「……可愛いね」
腰を強く引き寄せられ、吐息が首筋に触れる。
「……っ、こ、こんなところで……もし誰かに……」
「誰も見ていない」
至近距離で囁かれ、視線を逸らすしかない。
――胸が苦しい。これが病気か何かのように思えてならなかった。
アシュリーは抱きしめられながらじっと彼らを見つめる。
「ま、魔物は、人を襲うこともあります。だから私たちは国境を守らなきゃいけないし、自分の身も守らなければならないですよね」
真面目な声色で言ったあと、少し視線を落とす。
「でも……でも、それは、生き物として当たり前のことなんだと思うんです。
本当はもっと……うまく共に生きていけたら、きっと素敵ですよね。って、まだ何も方法が見えていないんですけど…」
悔しそうなその言葉に、マルクスは一瞬息を呑んだ。
――自分の昔からの願いと同じだったから。
彼はくるりとアシュリーを振り向かせると、彼女の小さな手を包み込んだ。
「……アシュリー。君は……」
「えっ……? わ、私、また変なことを……?」
「いや」
銀灰の瞳が熱を帯び、真っ直ぐに彼女を射抜く。
「……君が、そんなふうに考えてくれているのが、どうしようもなく嬉しいよ…」
次の瞬間、強く引き寄せられた。
外套の端が頬に触れ、彼の胸の厚みと熱が全身を包み込む。
「……っ、ま、マルクス様……?」
「君は私の夢と同じもの……いつだって君は私の予想を遥かに超えていく。そんな君を、どうしても、離したくない」
低く熱を帯びた声が耳に落ちる。
アシュリーは顔を真っ赤にし、子ウサギのように震えながらも、彼の背を撫で続けた。
マルクスは人が呼びに来るまで決して離れようとしなかった。
◆
一方その頃、王都の王城では――。
豪奢な謁見の間の中央で、王太子レイスと聖女ルーチェが青ざめて立っていた。
必死に弁明を並べ立てる。
「国庫に手をつけたのは誤解です!僕は未来の王だからこそ必要な――」
「そ、そうです!アシュリーお姉様だって悪役令嬢で!わたしをいじめ――」
「黙れ!」
今まで黙っていた国王アルザスの一喝が雷のように響いた。広間の空気が一変し、レイスとルーチェは体を震わせる。
「国庫横領、そして勝手な婚約破棄。お前たちがしたのは、ただの私欲と愚行だ!」
怒声に家臣たちが一斉にうなずいた。
その傍ら、ケイトが冷ややかに口を開く。
「“悪役令嬢”に罪を着せて追放し、その陰で好き勝手に血税を浪費をする……見苦しいにもほどがあります」
夫のイゴールがにこやかに言葉を添える。
「しかも追いやった先が、辺境を守るマルクス閣下の伴侶。国の大事をも揺るがす行為ですよ。命知らずもいいところだ」
王は玉座に背を預け、冷たく言い放った。
「マルクス辺境伯は一部の者しか知らぬことだが…私の弟なのだ。つまり、王弟。お前たちの命令など、最初から無効だ。……その上で罪は明白。はぁ…レイス、甘やかしすぎたのか?お前には失望した。二人そろって流刑とする」
「そんな……私がヒロインで聖女なのに!」
「父上!僕は聖女のルーチェの話し通りに…それによると必ず次期国王で…!」
「聖女だと?王子だと?肩書きは問題ではない!行動が問題なのだ!訳の分からないことを言い続ける聖女も王太子もこの国には要らぬ!連れていけ」
国王の一喝が響き、衛兵たちが二人を拘束した。泣き叫ぶルーチェの声も、青ざめるレイスの言葉も、誰一人耳を貸さなかった。
国王アルザスは項垂れ、呟く。
「はぁ…私の後継をどうしたものか…。マルクスは嫌がるだろうなあ…」
騎士団長が慰める。
「一緒に謝りますから…」
ケイトはその光景をスルーして腕を組んで、鼻で笑った。
「――ざまぁ、完了です」
その声は高らかに響いた。




