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元悪役令嬢と神秘の泉のお告げ

 雪が深く積もり、世界は息を潜めていた。

 風は細く、空の底で氷の粒が鳴っている。

 アシュリーたちは高山山羊に乗り、白銀の岩場を登っていた。


 息を吐くたびに霧が生まれ、空気に溶ける。

 遠くの稜線の向こうで、微かに青白い輝きが瞬いていた。


「……あの光が恐らく、“星の泉”です」

 キリアンが囁く。

「我が国に伝わるこの地方の伝承で、“魂が通う道”と呼ばれています。

 未来を読む一族――“先見の民”が代々この地を護ってきた」


 マルクスが目を細める。

「彼らに会えるだろうか」

「試すしかありません」

 アシュリーは風の中で頷いた。


 高山山羊の蹄が雪を蹴り、岩場の裂け目を抜ける。


 風が止んだ瞬間、世界が変わった。

 遠くで氷が落ちるような響き――それが、音楽のように聞こえた。



 谷は円を描くように沈み、雪に囲まれていた。

 家屋はあまり多くはなく、昔ながらの木で出来た家が並ぶ。

 質素だが、全て白い木で造られており、どこか神秘的だった。


 その村の中央に、黒曜石のような色をした大きな泉が広がっている。

 空の星々がそのまま水面に瞬いていた。


 冷気は澄み切っている。

 雪の結晶が音もなく落ち、水面に触れて消える。


 キリアンが馬を降り、泉の前に膝をつく。

 マルクスとアシュリーもその後に続いた。


 ――祈りを捧げようとした、そのとき。


 対岸に、人影が現れた。

 真っ白なふわふわした長い外套に、耳当てのある白い帽子を纏った少女。

 その背後には、同じ装束の者たちが十数名、静かに並んでいた。


「……先見の一族」

 キリアンが低く呟いた。


 最前に立つ白髪のひとりの少女が、静かに歩み出る。

 雪明かりを受け、その髪が淡く光を帯びた。


「地上より来たる者よ。

 汝ら、影を探す者」


 不思議な声は水面に波紋をつくり、泉全体が微かに震えた。


 マルクスが静かに答えた。

「先見の一族よ。私はマルクス・ヴァルトリア辺境伯、この地の領主です。

 私たちはあなた方の力を借りに来ました」


 巫女は一度、まぶたを閉じた。

「……お待ちしておりました。私は先見の一族の巫女。星の泉の導きを伝える者。

 星が映すは未来にあらず――それは、予兆」


 指先が水面に触れる。

 透明な波紋が広がり、光が泉の奥から生まれた。



 泉が色を変える。

 黒から白へ――白い砂が揺らめき、光が水の底で脈打つ。


 そこに、焼けつくような砂の大地が現れた。

 祈りを捧げる群衆。

 崩れ落ちる白い聖堂。


 そして、その中心に立つ女――ルーチェ。


 風が彼女の髪を攫い、黒い光が背に広がる。

 唇が何かを唱え、砂が渦を巻く。

 暗闇に爆発が起こり、人々が祈り、同時に泣いていた。


「……南方の、今は亡き国」

 キリアンが呟く。

「アルバ。かつて聖女が滅びをもたらした国」


 巫女が静かに言葉を継ぐ。

「彼女は“過去の栄光”を呼び戻そうとしている。

 そのために、“異なる知識”を再びこの地に持ち込もうとしているのです」


 マルクスが低く呟く。

「……彼らは、自分だけは壊さないと、そう信じているんだね」


 アシュリーの声が震えた。

「でも、それは――きっと、誰かを傷付けてしまう」


 巫女は歌うように言った。

「今世の聖女の過ちは、この世界そのものを壊すだろう。

 さすれば全ての世界から追放され――どの世界にも、死して尚、還れぬ」


 倒れそうになるアシュリーを、マルクスが支えた。

「……ルーチェ……」


 巫女は首を傾け、微笑んだ。

「姫君はすでに未来を選んだ。その妹もまた。

 けれど、恐れる事なかれ。人はいつの時代も、未来を選び、変えることが出来る」


 泉の光が消え、水面に満天の星が落ちる。

 鏡のように三人を映していた。



 アシュリーはその光景が頭から離れなかった。

 ルーチェの姿が溶け、砂と共に消えていく――あの光景が。


「……この世界を、私は愛しています。

 だから、彼女を止めなければ」

 その声は悲痛だった。


 マルクスは穏やかに言う。

「共に、この世界を守ろう。

 聖女ルーチェのことも、君と一緒に考える。

 ――私は、君の夫だからね」


 その声に、アシュリーは震えながら頷いた。


 巫女の背後に立っていた先見の一族たちが、一斉に両手を空へ掲げる。

 風が雪を巻き上げ、白い光が空へ昇る。


 巫女の鈴のような声が響く。

「お行きなさい、南へ。手を取り合う者と共に。

 この泉は汝らを見送ろう。光の方へ、還るその時まで」


 マルクスがアシュリーの肩を抱き、静かに言った。

「夜明けは近い。……行こう」


 空がわずかに赤く染まる。

 星の泉は静かに沈黙し、

 ただ三人の背を見送っていた。

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