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元悪役令嬢、うっかりして彼を泣かせる

 ルーメニアの滞在は、もう十日をゆうに越えていた。

 聖堂を巡り、聞き込みをしても、ルーチェとゲルトの行方は一向に掴めない。


「……まるで、足跡ごと消えたようです」

 アシュリーの声がかすかに震えた。

 マルクスも黙って頷く。

 広場に満ちる祈りの歌が、逆に不気味だった。


 キリアンが古い文書を取り出した。

「――そういえば、王城の古い記録に“先見の一族”という名がありました。

 辺境の白霧の峰に暮らし、未来を読むと伝えられています。

 もしかしたら彼らであれば、聖女の行方を視られるかもしれません」


 マルクスは短く息を吐く。

「……では、一度ヴァルトリアへ戻ろうか。補給を整えてから、そこへ向かう」


 その言葉に、アシュリーは小さく頷いた。



 帰路についたのは、灰色の雲が空を覆い始めた頃。

 ルーメニアの眩い空気がやがて冷たく変わり、雪がちらつきだす。

 山道は険しく、風が次第に強くなっていく。


 マルクスが頭上を確かめて、声を張った。

「峠を越えたら野営しよう。風向きが変わる」


 その予感はすぐに現実となった。

 空が裂けたように、突風が吹き荒れる。

 世界が一瞬で白に沈み始める。


「吹雪だ!」

 キリアンが馬を抑え、叫ぶ。

「凌げる場所へ急ぎましょう!」


「結界を展開します!」

 アシュリーも馬を降り、両手を掲げる。


 光の結界が生まれ、雪の壁を押し返す。

 しかし風はそれ以上に強く、少しずつ光が軋むように揺れた。

 大木の根元へ三人は進むが、結界は壊れかけていた。


「もう少し……もう少しだけ!」

「アシュリー! 無茶を……!」

 マルクスが手を伸ばした瞬間、光が弾ける。


 雪煙の向こうで、彼女の姿が消えた。


「――アシュリー!」



 マルクスが振り返ると、視界にはもう白しかなかった。

 風が獣のように唸り、馬の嘶きも掻き消える。

 アシュリーがいた方向に足を踏み出そうとする彼の腕を、キリアンが掴んだ。


「駄目です!視界がない!閣下まで――!」


「行きなさい!」

 マルクスの声が鋭く響く。

「貴方は城へ戻って事情を!すぐに救援を頼んで下さい!」


「閣下――!」

「これは命令です!」


 キリアンは歯を食いしばり、頷く。

 そして馬を連れ、雪の中へ消えた。


 マルクスはただ一人、嵐の中を進む。

 風が肌を裂き、息は凍る。

 それでも、止まれなかった。


「アシュリー!返事をしてくれ!」

 叫びは風に飲まれ、かき消される。


 ――そのとき、雪の中で銀色の色が揺れた。

 マルクスは駆け寄る。


 雪の上、アシュリーが倒れていた。

 頬も唇も青白い。


「……アシュリー!」

 彼は跪き、彼女を抱き寄せた。

 額を寄せると、かすかな呼吸がある。


「大丈夫だよ……絶対に助けるから」


 アシュリーを横抱きに抱え込むと、自分の外套で包み込む。

 風に背を向け、雪を踏みしめて進む。

 凍える空気の中、腕の中の体温だけが確かなものだった。



 ヴァルトリア城の門が開かれたのは、それから数刻後。


 到着したキリアンの報告を受け、ケイトとイゴールがすでに救助の支度を整えていた。


「捜索隊出動――!」

 ケイトが声を上げたその時、見張り台から叫びが上がる。


「閣下が戻られました!」


 吹雪を裂くように、マルクスが現れた。

 外套に雪をまとい、腕の中にはアシュリーの姿。

 顔は真っ青でも、目だけが爛々と燃えている。


「医師を!」

 イゴールが叫び、すぐに従者たちが走る。

 マルクスはそのまま寝台のある部屋へ運び込み、アシュリーから手を放さなかった。


「……魔力枯渇と低体温ですね。大丈夫です、命に別状はないでしょう」

 医師の言葉に、マルクスはようやく彼女から手を離した。


 顔色は悪く、唇も紫がかっている。

 イゴールが眉をひそめる。

「閣下も凍傷です。今、動ける状態じゃありません!」

「後でいい。彼女の側に……」

「マルクス!」

 イゴールの臣下ではなく、幼馴染としての叱責の声に、マルクスはかすかに笑って首を振った。

「私より彼女を。――アシュリーが目を覚まさなかったらと思うと、死にそうな気分だよ」



 夜が明けるころ。

 雪はようやくやみ、窓から淡い光が差し込む。


 アシュリーは眩しさにゆっくりとまぶたを開けた。


 目に入ったのは、見慣れた天井。

 そして、椅子に座ったまま手を握っていたマルクスの姿。

 冷たいマルクスの手の温度に驚く。


「……マルクスさま?」


 その声に、彼がはっと目を開けた。

 次の瞬間、椅子を倒して立ち上がる。


「アシュリー……!」

 声が震えていた。


 アシュリーが微笑もうとした時、マルクスは言葉を飲み込むように息を吐いた。

「……どうして、あんな無茶を…」


 震える声にアシュリーもまた動揺する。

 アシュリーは俯いて小さく答えた。

「……守りたかったんです。あなた達を」


 マルクスの表情が崩れる。

 そして次の瞬間、彼は彼女を強く抱きしめた。


「もう二度と離さない。君を置いていくくらいなら、この命ごと――」

「……ごめんなさい!」

「謝らないで。……帰ってきてくれて、ありがとう」


 アシュリーは彼の胸に顔を埋め、ゆっくりその背を撫でた。



 嵐の夜は去り、辺境の空に朝日が昇る。

 三人は束の間の休息。


 ――そして再び、彼らは歩き出す。

 “未来を視る一族”のもとへ。

 まだ見ぬ運命を聞きに。


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