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異世界転生した、悪役令嬢とヒロインたち

 霧の切れ間に、白い尖塔の影が薄らと浮かんでいた。

 丘の上――かつて信徒が跪いた教会。

 今は、風だけが祈る廃墟になっている。


 屋根は半ば落ち、壁に蔦が巻き付いていた。

 砕けたステンドグラスが散らばり、光を受けるたび、虹の欠片が壁の上を静かに揺れる。


「政教分離の改革で予算が削減され、真っ先に廃棄になった施設です。

 ……皮肉ですが、神官たちによって“神”が最初に切り捨てられたのです。

 そしてここは、ゲルト神官が拠点にしていた場所でもあります」


 キリアンが小声で告げる。


「ゲルトはここを“沈黙の聖域”と呼び、地下を改造して研究室にしていたそうです。

 ――恐らく、彼と聖女ルーチェの目論む〈Code of Eden〉の記録が残っているでしょう」


 アシュリーは歩みを緩め、崩れた聖壇の前で立ち止まった。

 香炉の陶片が散り、長椅子は横倒しのまま。

 ほこりの粒が光を受けて、きらきらと宙を漂っている。


 けれど、不思議と空気は澄んでいた。

 崩れた祭壇の石には、膝をついた跡がいくつも刻まれている。

 ――誰かが、神のいないこの場所で、それでも祈り続けたのだ。


「……静かですね」

「人が去っても、場所は覚えているのかもしれないね」


 マルクスの声が穏やかに響いた。

 光の粒が彼の銀髪と横顔を淡く照らす。

 アシュリーは一瞬、その姿に見入ってしまった。



 教会の奥へ進む。

 壁の聖女画には、誰かの手で上書きがされていた。

 黒い染料で塗りつぶされ、その上から王冠が描き足されている。


 アシュリーは背筋が冷たくなるのを感じた。


「……王妃であった初代聖女ですね」

 キリアンが低く呟く。

「癒しの力で多くを救ったと言われていますが、同時に、その奔放さが人々を混乱させたとも言われています」


 アシュリーは小さく息を呑んだ。

 ――妹、ルーチェもまた、かつて学園で同じように人を惹きつけ、混乱を招いた。


 廊下の突き当たりに、黒い絨毯が敷かれている。

 踏みしめると柔らかく沈み、下から空洞の音が返ってきた。

 マルクスが絨毯をめくると、比較的新しい金属の取っ手が現れる。


「……地下室があるな」

「行ってみましょう」


 風がひと筋、階段の下から吹き上がった。

 まるで、誰かが“待っている”ようだった。



 石の階段は長く、壁には黒い蝋の跡が続いている。

 マルクスの魔法の灯が、湿った壁を照らしながらゆらめいた。


 壁面には古い祈りの文と、聖女の浮彫。

 笑っているのか泣いているのか分からない、その微笑が闇の中に浮かんでいる。


 最下層に着くと、ひやりとした冷気が肌を撫でた。

 そこは書庫のような空間だった。

 崩れた本棚の間に古文書が散らばり、床一面に紙が積もっている。


 アシュリーが一枚拾い上げる。

 それは、ルーチェが使っていた術式と同じだった。


「……同じです。ルーチェが使っていたものと」

「つまり、ここが“聖女の奇跡”を造り出した研究所というわけだ」

 マルクスの声が低く響く。


 奥の石台の上には、灰色の布が一枚。

 それを外すと、古びた革の表紙――血のような赤で刻まれた文字が目に飛び込んだ。


 〈Code of Eden〉――神のゲート。


 アシュリーの手が震えた。

 ページをめくると、転送の術式が細かく記されている。

 血を用い、記憶から“何か”を呼び出す。

 それは声であり、幻影であり――人が“奇跡”と呼ぶものの形だった。


「……黒い光。あの奇跡は、これ……」

 キリアンの顔が険しくなる。

「“奇跡”ではなく、“再現”です。神の御業を装った、過去の再生」


 焦げた紙片が挟まっていた。

 アシュリーが拾い上げると、殴り書きのような文字が見える。


 PHASE 1:COORDINATE FIX

 "異世界の兵器を転送し、神の雷とする"


 さらに、別のページ。

 そこに描かれていたのは巨大な円陣と、供血の儀式。


 アシュリーの胸がきゅっと締めつけられた。


「……このまま発動すれば、異界の物質が転送される。

 兵器や毒――そんなものが持ち込まれれば、この世界は……壊れてしまう」


 声が震え、アシュリーはその場に座り込む。

「私は何も知らない……前世でただ数字を処理していただけ。

 どうすれば……止められるのか……」


 マルクスが隣にしゃがみこみ、そっと肩を抱き寄せた。

 彼の手が、彼女の背を撫でる。


「信じよう。君を、私を、この世界を。

 君が十年かけて見せてくれた“諦めない力”は、この世界にも必ずある。

 ……君はもう、恐れる側じゃない」


 アシュリーの肩を引き寄せながら、彼は囁いた。

「出来るまでやる――そう言って、立ち上がってきた君が教えてくれたんだ」


 その声は、地下の冷気を溶かすように穏やかだった。


「君を信じる私を、信じてほしい」


 アシュリーは静かに頷き、マルクスの胸に顔を埋めた。

 その体温が、凍えた心を少しずつ溶かしていく。



 その時――棚の奥で、一冊の本がひとりでに落ちた。

 開かれたページに焦げ跡が走り、文字が淡く光を放つ。


 Phase 2:Gate Link――開門準備


 アシュリーが息を呑む。

 キリアンが顔を上げ、紙片を拾い上げた瞬間、地上から鐘の音が響いた。


 ――誰もいないはずの鐘楼が、風もないのに鳴り始める。


 アシュリーがマルクスの腕の中で顔を上げた。

 地下室の入り口の隙間から光が差し込み、塵が金色に舞っている。


「……聖女が、呼んでいるのかもしれません」

 マルクスが低く答える。

「……私が君を連れて行かせるものか」


 アシュリーは静かに頷き、〈Code of Eden〉の本を胸に抱く。


 鐘の音が止む。

 代わりに、遠くで聖歌が聞こえた。

 まるで神が再び降りたような――けれど、その旋律はどこか不吉だった。


 ――奇跡の名を借りた“脅威”が、今、世界を変えようとしている。


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