元悪役令嬢、イケオジの正装にときめく
ルーメニアの王都の中心には、教会に似た一際大きな白亜の宮殿がそびえたつ。
マルクスとアシュリーはキリアンに案内され、その王城へ向かった。
そして女王パルネラ・ルーメニアに謁見するため正装に着替え、王座の間に向かった。
◆
高い天井はアーチを描き、金の天蓋の布がゆらめいている。
壁に並ぶ窓から外の光が差し込み、白い床はまぶしいほどだった。
城の大理石の玉座には、若き女王パルネラ。
金の冠を戴き、淡く透けるヴェールの下から豊かな金髪が落ちる。
明るい若草色の瞳は、年齢よりもはるかに大人びて見える。
アシュリーとほとんど同じ年頃――けれども、老成した為政者の目をしていた。
「ようこそ。アストリアの王太子殿下、王太子妃殿下。
雪深き辺境より遠路遥々、我が国のためによくぞお越しくださいました」
柔らかく、鈴のような声。
だが、その奥にはわずかな疲れが滲んでいた。
◆
アシュリーは初めて着る王族の装いに緊張していた。
ベロアの真紅の生地全体に、青糸でアストリアの古い紋様と王族を表す紋章が刺繍され、立襟には辺境の銀色のガラス細工が縫い込まれている。
隣に立つマルクスは、濃紺と紅を基調にしたアストリアの王族の正装。
濃紺の軍服を基調とした服の上に真紅の分厚いマント、肩に銀の徽章。
マントには直系の王族にのみ許される紋章の刺繍が施されている。
女王パルネラの傍らには神官服のキリアンが控えている。
アシュリーは、キリアンが女王と同じ若草色の瞳と金髪を持つことに気付いた。
◆
パルネラが口を開いた。
「――“死者復活”と呼ばれる奇跡、あなた方も耳にされたでしょう」
薄く笑ったその口元には、諦めに似たものがあった。
「私は奇跡など信じません。
戦で心を失った民が、慰めを欲して縋っているだけです。
……それを教会は“神の証”に仕立てている」
マルクスがわずかに頷く。
「信仰は力になりますが、時に支配の道具に変わることもあるでしょうね」
パルネラは目を伏せ、細い指先で大理石の玉座を握った。
「……死者再生を信じるなど、愚かなこと」
重い静寂が落ちる。
アシュリーは小さく息を吸い、言葉を紡いだ。
「……人は時に、愚かになります。
愛する人を失った時や、信じているものが壊れた時には特に。
ですが、必ず――人も国も、前を向くと私は信じています」
その声は柔らかく、それでいて芯があった。
パルネラがわずかに目を見開き、そして微笑んだ。
「――あなたのような人が、この国にもいれば良かった」
マルクスが隣でアシュリーを横目で見つめた。
言葉はなくても、その目には誇りと愛情が映っていた。
◆
静かにキリアンが前へ進み、女王に囁く。
「陛下。……この国を覆う祈りの熱は、もはやこの国だけの問題ではありません。
神官ゲルトは、“この世界には存在しない奇跡”を造ろうとしている」
パルネラの表情が硬くなった。
「――“この世界にない”?」
キリアンの視線が床の聖紋に落ちる。
「我が国の過去にも存在した、異世界からの聖女の記録。
どうやら、その異世界から何かを持ってきて、教会の復権に利用するつもりのようです」
空気が凍る。
アシュリーの胸にもひやりと冷たいものが走った。
前世の、進み過ぎた兵器の記憶が蘇る。
マルクスが隠れてそっと彼女の指を包んだ。
「……止めるために、私たちは来たのだから」
パルネラが真っ直ぐマルクスとアシュリーを見つめ、言った。
「……私の兄、キリアンと共に、聖女ルーチェを止めていただけませんか」
マルクスが驚いたように目を瞬かせる。
キリアンは静かに微笑んだ。
「……前王の隠し子という立場でして。
ですが、パルネラ陛下の力になりたいと尽力してきました。
マルクス様は王弟殿下という立場、アシュリー様は聖女ルーチェの姉君です。
我々はきっと上手く――」
キリアンの言葉に、マルクスもアシュリーも深く頷いた。
女王はその様子に微笑み、再び厳しい眼差しで告げる。
「では――我らが知る限りの情報を共有しましょう」
パルネラの声が謁見の間に響く。
「神官ゲルト。彼は過去にこの国に存在していた異世界からの転移者であり、聖女信仰の始まりとされる“最初の聖女”の末裔です。
狂信的な聖女信仰者であり、この国の高位神官。
その末に、異世界からの転生者と主張する聖女ルーチェを祭り上げた」
その言葉に、アシュリーの胸が強く締めつけられる。
「……はい。彼女は確かに前世があります。
ですが……転生者なのです。記憶があるだけで、この世界の人間です」
キリアンが続ける。
「癒し以外の奇跡は本来の聖女信仰とは無縁のものです。
……けれど民は“希望”を求め、教会はその心を掴もうとしている」
俯いたキリアンにパルネラが手を伸ばし、慰めるように肩に触れた。
「戦で家族を失った者たちは、誰かに“もう一度会いたい”と願い、ゲルト達はそれを与える。
そして宗教を政と切り離す政策で権威を失うことを恐れた教会は、造られた奇跡を受け入れた。……私を含め、教会からは多くの離反者が出ました」
パルネラが立ち上がり、玉座を降りてマルクスとアシュリーのもとへ歩み寄る。
「どうか、我が国に力をお貸しください」
そして深く頭を下げ、最高の礼を捧げた。
「……無論です」
マルクスとパルネラは強く握手を交わした。
◆
謁見を終え、廊下に出ると午後の光が燦々と降り注いでいた。
前を歩くマルクスの背中に光が差し込み、真紅のマントが翻る。
正装に合わせられた黒の皮靴も、襟元に光る勲章も、どこか泰然とした彼によく似合っていた。
端正な横顔がいつも以上に凛々しい。
その姿に、アシュリーの胸が高鳴る。
「……マルクス様、その装い、とてもお似合いです」
彼が振り返り、わずかに笑った。
「……あまり王族の装いは好きではないが、君にそう言ってもらえるなら、悪くない」
白い光の中、二人の影が寄り添うように重なった。




