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白亜の都はヒロインに魅了されて

 国境付近の森を抜けるとがらりと空気が変わった。雪の冷たさを残した風の向こうに、白く霞む街が見えてくる。


 ――それはまるで雲の上に築かれた都。


 丘陵の上にそびえる白大理石の城壁。

 無数の尖塔が黄金の先端で朝陽を受け、神の冠のように輝く。

 鐘の音が幾重にも重なり、空に響き、白い鳩が舞い上がり、風に香の煙が揺れる。


 この空気そのものが信仰という形を作っているようだった。


「……これが、ルーメニア」

 アシュリーの声がかすかに震える。


 その瞳に映るのは、白と金の世界――“信仰”が形になったような街だった。



 眩しさに目が慣れるまで少し時間がかかった。

 石畳は鏡のように磨かれ歩くたびに靴音が鳴る。


 教会の外回廊の柱に聖人の像が並びどれも淡い光を放ち、白衣の神官たちが香炉を揺らしながら通りを進む。


 乳香の甘い煙が街全体を淡く霞ませていた。

 鐘の音、聖歌の旋律、鳩の羽音――全てが一つの調和に包まれている。


 通りの両脇には民の長い列。

 誰もが両手を胸に当て、丘の上の大聖堂を見上げている。


「“奇跡の聖女ルーチェ”様に祈りを!」


 合唱のような祈祷が幾重にも響き渡る。


 教会の白い壁に掲げられた金糸の旗に“死者に安らぎを与えし聖女”の文字。

 朝の光を受けて、まるで神そのもののように輝いていた。


 アシュリーは立ち止まり、息を呑んだ。

「……まるで国全体が教会のようです」


 マルクスとキリアンが静かに頷く。

「信仰がこの国そのものだからな」

 穏やかな声の奥にかすかな冷たさが混じっていた。



 中央広場では説法が行われていた。


 黄金の壇上の前で、神官が白い聖布を掲げて語る。その下では、光る黒い紋様――魔法陣のようなものがちらりと覗く。


「――ルーチェ様は先の戦の死者に“最後の言葉”を与えられました!」

「家族の前に現れた兵士たちは、黒き光に包まれ、微笑んで消えたのです!」

 神官が手を上げたその瞬間、黒く発光する光に包まれる。


 群衆がざわめく。大きな声で泣き声をあげる者もいた。聖歌が波のように広がり、光の粒が舞い上がる。


 乳香の香りが強くなり、空気が甘く重く変わっていく。


 アシュリーはその光を見つめていた。

 神聖というより――どこか、人ではない“意志”を感じる。


「……あれは、ルーチェの黒い光……」

 無意識に口をつく。

 マルクスがわずかに視線を向ける。

 長い間、沈黙していたキリアンが口を開いた。


「ええ、あれが聖女の――」

 彼は短く息を吐いた。

「心を病んだ者ほど、のめり込んでしまって…」


 アシュリーは黙ってキリアンの横顔を見つめた。その瞳の奥には暗い影が落ちていた。



 香の煙が渦を巻き、白衣の列が揺れる。

 人々が奇跡を一目見ようと押し寄せていた。

 アシュリーは息を吸おうとして――人の波に足を取られた。


「――アシュリー」


 低い声とともにマルクスの腕が伸びる。

 腰をしっかり抱き寄せられ、大理石の柱の陰へ引き寄せられた。


 ざわめきが遠のき、彼の胸の鼓動がすぐ近くで響く。


「……怪我はない?」

 耳元で囁かれる。


「だ、大丈夫です……」

 アシュリーが小さく答えると、マルクスは一息ついて微笑む。

「……君を甘やかすくらいで、ちょうどいいのかもしれないね」


 冗談のように言いながらも、その瞳は真剣だった。アシュリーは頬を染めて小さくうなずく。


「……すみません。でも、ありがとうございます」

「謝ることはない。君を守るのは私の特権だからね」


 その声はどこか誇らしげだった。



 群衆を離れ、教会の外回廊を抜ける。

 高い天井の下、陽光が反射して白い波紋のように揺れた。

 

 そこには外の喧騒とは違う閉ざされた静寂が広がっていた。


「……あの“奇跡”は一体何が目的なのでしょう」

 アシュリーの声が静かに落ちる。


「女王陛下から後ほどご説明がありますが――」

 前を歩くキリアンが振り返らずに言う。

「……我が国は宗教と政を切り離す、政教分離を進めておりました。そこに聖女ルーチェをつれて神官ゲルトが現れたのです」


 その言葉にアシュリーは目を伏せる。

 遠くで聖歌の旋律が、風に運ばれて響いた。


「……まるで、聖女に支配されているようです」

「我が国もこうなる未来はきっとあっただろうね」


 マルクスの手が彼女の手を包む。

 アシュリーはそっと握り返した。

 

 ――白亜の都。

 そこにあるのは、祈りと祝福。

 その光の奥で、誰も知らぬ“歪み”が芽吹き始めていた。

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