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辺境のんびりスローライフ見学

 石畳には薄く雪が積もり、軒先には氷柱がきらきらと光っていた。

 パン窯の煙がまっすぐ空へと昇っていく。


 開いたパン屋の戸口からは麦の香りが漂い、鍛冶場では火花の音が陽気に跳ねていた。

 布屋の店先には、冬籠りの毛糸が山のように積まれている。


 先導の銀狼ハティルがすっと人波に鼻先を突っ込む。自然に道が開いた。


「姫さま、きれい!」

「閣下、お気をつけて!」


 アシュリーは微笑んで手を振った。


 キリアンは馬上で町を眺め、目を細める。

「賑やかな朝ですね」

「冬は仕度の季節なのです」

 銀狼に乗るアシュリーが並んだ。


「パン屋は春に備えて果実漬けの瓶を洗い、農具も春夏の衣服も今のうちに整えています。冬でも皆さん、働き者なんですよ」



 丘を越えると、広い牧羊地が現れた。


 雪に覆われた大地の上を、白い羊たちが毛を揺らしながら群れを成して歩いている。

 遠くでは、魔水牛が角から淡い光を流し、凍った水路をゆっくりと溶かしていた。


 その傍らで子どもたちが声を上げ、飛び跳ねながら手を振っている。

 アシュリーは微笑み、手袋越しにその小さな手を振り返した。


「本当に、魔物と人が共に暮らしているのですね」

 キリアンが感嘆の声を漏らす。


「ええ。ヴァルトリアでは、魔物も仲間として働いています」

 アシュリーが応えた。

「冬のあいだは魔水牛が水を運び、春には畑を耕してくれるんです。

 あの高山山羊は、雪山の村へ荷物を届けに行くところでしょう」


 雪の斜面を、高山山羊が荷籠を背にゆっくりと登っていく。

 その背には布や薬草の包みが揺れていた。


 森鹿の群れがその横を雪を散らしながら駆け抜ける。

 道端の老婆が袋から乾草を取り出し、鹿の群れに投げ与えていた。


 マルクスはその光景を眺め、静かに微笑む。

「君がこの地を愛してくれて……本当に嬉しい」


「ええ。……みんなが、誰かを助けながら生きている気がして。

 マルクス様が治めるここが、大好きです」


「……私も、君が好きだよ」

 その一言に、アシュリーは頬を染めた。



 道を進むにつれ、雪が深くなる。

 冷たい風が吹き抜け、共に歩く馬のたてがみがふわりと揺れた。


 アシュリーが足を取られかけた瞬間、マルクスが腕を伸ばした。

 腰を支えられ、強く引き寄せられる。


「危ない。……私のそばから離れないで」

 低い声が耳のすぐそばで囁かれた。

 アシュリーの心臓が跳ねる。


「……マルクス様、キリアン様がいるのに」

「誰が見ていようと、私は君を守ると決めている」


 そう言って彼は彼女を軽々と抱き上げ、馬に乗せた。

 雪明りの中、彼の灰銀の瞳が一瞬、光を帯びて見えた。


 アシュリーはどきどきする心臓をおさえて視線を逸らす。

「……自分で乗れます」

「私が妻を甘やかしたいだけだよ」

 彼は笑みを浮かべ、手綱を握った。

 その横顔には、大人の余裕が滲んでいた。



 国境沿いの森が近づく。


 木々の間から差し込む陽が、雪面に反射して眩しい。

 冷たい空気の中で、吐く息が白く重なった。


 やがて、山のほうに影が見えた。

 銀狼ハティルが静かに立ち、頭上ではヨルムガルドの大きな影が旋回している。

 風にたなびく銀色の毛並み、空の光に反射する鱗。


 二人の旅立ちを見守るかのように、高らかに鳴いた。


 アシュリーは馬上からそっと手を伸ばす。

「行ってきます、ヨルちゃん、ハティ……お留守番をお願いね」


 銀狼が短く鳴き、雪を蹴った。

 ヨルムガルドがゆるやかに翼を広げると、粉雪がきらめき、空へ舞い上がった。


 光の粒がふたりの肩に降り、アシュリーは微笑む。


「さあ、行こう」

 マルクスが手綱を引く。

 雪原の先には森の入口が待っていた。

 陽が少し傾き、空が淡く橙色に染まりはじめる。


 城の夕刻を告げる鐘の音が遠くに響いた。

 それはまるで、辺境ヴァルトリアが三人の無事を祈る音のようだった。


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