邂逅と悔恨を抱えて駆けてゆく
マルクスの不在が確定した翌日。
辺境の館は重苦しい緊張に包まれていた。
「銀狼はすでに出立の準備を整えております」
イゴールが低い声で報告する。
「竜も馴致済みです。敵に悟られないよう、高空からの援護に徹するよう命じてあります」
ケイトも続ける。
「……アシュリー様をお一人では行かせられません。私とイゴールもお供します」
その言葉に、アシュリーは強く頷いた。
「ありがとう……。必ず、マルクス様を救出しましょう」
◆
出発の支度を整えたその時。
思いもよらぬ報せが届いた。
「……お父様とお母様が、こちらに?」
雪道を越えて現れた馬車の中から降り立ったのは、懐かしい両親の姿だった。
遠い道のりを急ぎ駆けつけてきたのだろう。母の頬はやつれ、父の背中には重い疲労がにじんでいた。
アシュリーは驚きと戸惑いを隠せなかった。
「お父様……お母様……どうしてここに…?」
母は娘の名を呼ぶなり、震える手を伸ばしてその頬を包んだ。
「……ごめんなさい、アシュリー。
私たちは……ルーチェをどうしてよいのか分からなかった。
妄想に執着するあの子の闇に気づいていながら、きちんと止めることができなかった。そしてあなたにも……何もしてやれなかった」
父もアシュリーの肩を抱く。
「陛下から全て聞いた。陛下は長年の公爵家の貢献により、身内は不問にすると寛大なお言葉を頂いた。
…だが、親でありながら二人の娘を救えず、守れなかった。……私達の罪は重い」
その言葉に、アシュリーの心は大きく揺れた。
「……お父様っ…お母様っ…」
涙が頬を伝い落ちる。
「私も同じです。何も考えずにルーチェの言う通りに、ルーチェ自身と向き合わずに……」
無力さを悔やむ声が重なり合った。
母は嗚咽を押し殺しながら言った。
「私たちは……貴方達二人とも愛していたわ…」
父もまた深く頷いた。
「そうだとも。心から愛していたのだよ……」
アシュリーは涙に滲む視界で二人を見つめ、唇を震わせた。
「……私たちはきっと、すれ違っていただけなのです」
その瞬間、胸の奥で固く凍っていたものが溶けていくのを感じた。
アシュリーは静かに目を伏せた。
恨みはない。ただずっと心のどこかに、寂しさが残っていた。
けれど今、両親が初めて自分に向き合ってくれている――そのことが胸を熱くする。
「……私は大丈夫です。だって、私はアシュリーです 」
涙を拭いながら、答える。
「ルーチェが“聖女”で”ヒロイン”という役を引きずっているなら……。
私は“アシュリー”として生きます。今を全力で生きていきます。…ルーチェは今度こそ、私が止めます」
アシュリー両親はお互いを抱きしめた。長い年月を経てようやく家族として交わされたものだった。
◆
北の辺境から東の果てへ――。
果てしなく続く白い平原を越え、黒い森を抜け荒野を越えていく。
その先にあるのは、かつて初代聖女が祈りを捧げた古城。今は廃墟と化し冷たい風が石壁の隙間を吹き抜けるだけ。
そこにルーチェとマルクスはいる。
銀狼が低く唸り、竜が空から鋭い鳴き声を響かせる。彼らもまた、主の危機を悟っていた。
アシュリーは雪に沈む足を進めながら、胸の奥で強く誓った。
(……待っていてください、マルクス様。
必ずお救いします。たとえその後、私があなたの隣を去ることになっても……)
彼女の涙は吹雪の中でも凍ることはなかった。




