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囚われた銀色の光は愛しい人を想う

 辺境の朝の冷気は澄んでいる。


 日課として辺境の城の裏庭で剣を振っていると、マルクスの前にひとりの青年が駆け出してきた。


 不審に思って剣を振る手を止めたその時。


「辺境伯閣下……っ」


 目の前まで来た彼の姿を一目見て、マルクスの瞳に過去の光景が一気に蘇った。


 ――十年前。


 過去の戦場で母親の遺体の腕の中でまだ幼子の彼を見つけた記憶。

 言葉もなくただ泣きじゃくる彼を、後ろ髪引かれながら医療班に託した記憶。


 目の前には、少し逞しくなった体躯、けれどもあの頃と同じ不安そうな瞳の色があった。


「……君は」

 マルクスはわずかに目を細めた。

「……生き延びたのだね」


 青年は震える肩で深々と頭を下げた。

「はい……あの時、閣下に救われなければ、今の私はありません。ですが――妹が、盗賊に囚われてしまったのです!」


 荒い息。必死の声。

 抱いた恐怖と希望の入り混じった瞳だった。


「妹?」

「……両親を戦で亡くし、今まで親戚を転々と妹と二人で生きてきました。辺境の方の親戚にお世話になろうとこちらに来たのですが……昨日、森で賊に襲われ妹だけが囚われてしまったのです」

 

 俯き泣きそうな顔をする青年。

 マルクスは静かに剣を収め、背筋を伸ばし、冷たい空気を吸い込む。


「案内しなさい」


「……え」

「妹を助けるのであれば一刻を争うでしょう」


 青年の瞳が揺れ感謝とも、安堵ともつかない光が浮かんだ。



 森の中はひどく静かだった。

 鳥も鳴かず、風も止み、湿った土と苔の匂いだけが漂う。


 枝葉を掻き分ける。マルクスは青年の後を歩きながら、ふと周囲を見渡した。


(……盗賊どもの気配がしない…通常なら見張りがいて然るべきだというのに)


 剣に手をかけたその時、青年が振り返った。

 怯えたような瞳がマルクスを射抜く。


「……閣下……すみません……」


 ――瞬間。


 背後から甘ったるい香りが鼻腔を突いた。

 反射的に剣を抜こうとしたが、腕に力が入らない。


 膝が折れ、視界が大きく揺れる。


「く……これは……」


 青白い鎖のような魔術が走り、マルクスを捉えた。


「君が……こんな……」


 崩れ落ちるマルクスの瞳が青年を見据える。

 青年は唇を噛み、蒼白な顔で頭を抱え首を振った。


「……違うんです……俺は……生きるために……」


 震える声。だが、その言葉の続きを聞く前に、再び強烈な香りが押し寄せる。

 意識が黒に飲まれていく。


(……アシュリー……)


 脳裏に浮かぶのは銀のドレスを纏い恥ずかしそうに俯く彼女。いつの間にか大人になった彼女が自分に初めて笑いかけてくれた姿。


(……私だけでよかった…どうか無事で…)


 最後の願いと共に、マルクスの身体は地に倒れ意識は完全なる闇へと沈んでいった。



 空気は湿り気を帯び、冷たく肌にまとわりつく。


 鎖に縛られたマルクスの体は汗と血で濡れ、衣は裂け所々素肌を覗かせている。


 幾度も流し込まれた薬が体を焼き熱に浮かされた吐息が荒く喉を震わせた。

 熱と寒気が交互に襲い、ひび割れた唇からは浅い声が漏れる。


 瞼は重く、視界は霞む。

 意識を保とうと、薬の支配に抗おうとする意志は長くは続かない。


(あの少年の背後に…いったい誰が…)


 朦朧とする意識の中で何度も何度も考えるがまとまらない思考。


 同時に、愛する人を思い出してしまう。

 愛おしさが胸を締め付け苦痛にも似た熱を走らせる。


 マルクスは血のにじむ手を震わせ、必死に枷に爪を立てる。

 それはもはや無意味な抵抗だが、最後の救いのように彼は抗い続ける。


(……私はここで朽ちても構わない…でも…彼女がきっと泣いてしまうから…)


 しかし一度意識が浮上してもすぐに消えていく。マルクスは汗に濡れた睫毛を伏せた。


 熱に浮かされ、また意識が闇に沈んでいく――少しずつ、少しずつ彼の命は蝕まれていった。


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