外伝 ケイトとイゴール
東の森に“災厄級”の魔物が出たという報せが入った。
マルクスとアシュリーは即座に銀狼を連れて討伐に向かうことを決断する。
「ケイト、ここは任せたよ」
マルクスの声は短く、しかし信頼を込めていた。
ケイトは一歩前に出て頭を垂れた。
「はい。城の守りは私、ケイト・アーデンにお任せください」
アシュリーが一瞬、不安そうに彼女を見たが、ケイトは真顔のまま言葉を重ねた。
「お二人が帰る場所を必ず守り抜きます」
◆
しかし既に侵攻し城下に潜んでいた魔物の一部がいたらしく、騎士たちの隙を突き城壁を突破した。
「結界、展開!」
ケイトは即座に詠唱に入る。
青白い魔法陣が広域に広がり、城の本拠地に侵攻しようとした魔物を弾き返した。
魔物の数は想定以上に多い。
彼女は限界まで魔力を注ぎ込み、何度も何度も結界を強化し続けた。
(……倒れるわけにはいかない!アシュリー様達がいない今、私がここで踏ん張らなければ)
「アシュリー様達が帰ってくるまで持ち堪えるのよ!」
負傷して倒れていく兵達に叫ぶが、ケイト自身もやがて結界の端が軋み、端から崩壊していく。
ケイトの身体は小刻みに震え出し唇から血が滲む。視界が白く染まる。
――次の瞬間、意識が闇に落ちた。
◆
目を覚ましたとき、天井が見えた。
寝台の上。
隣の椅子に腕を組み眉を寄せたまま座っているイゴールがいた。
彼は気配に気づくと、静かに目を開けた。
「……起きたか」
声は低く抑えられているが怒りを隠しきれない響きだった。
「……城は無事?」
ケイトはかすかに身を起こし、淡々と聞いた。
イゴールは黙って彼女を見つめ、やがて噛みしめるように言った。
「お前のおかげで俺が着くまでなんとか持ち堪えた。でも、お前は……俺を置いて死ぬつもりだったのか」
その言葉にケイトは瞬きをした。
そして、変わらぬ無表情のまま返す。
「私は職務を果たそうとしただけです。アシュリー様を守ること、辺境を守ること。それが私の侍女としての――」
「違う!」
低い声が怒鳴りに変わる。
大柄な体を乗り出し、イゴールは彼女の肩に手を乗せる。
「俺にとっては“お前”が一番なんだ!職務も誇りも大事だ……だが、命を犠牲にしたら何も残らない!」
ケイトは初めて、わずかに目を見開いた。
いつも笑っているイゴールが、怒りと哀しみを剥き出しにしていることに胸が痛くなった。
「……イゴール」
「お前が倒れて……冷たくなって……もし二度と目を開けなかったらと思うと……」
そこで言葉が途切れた。
頬を一筋の涙が伝う。
大柄な肩が震え、嗚咽が漏れた。
「……怖かった。本当にっ…」
ケイトは口を開きかけ、けれど言葉が出なかった。たじろいだように視線を逸らす。
「……わ、私は……」
小さな声で言った。
「私はただ守ろうと……」
「俺を、ひとりにするなよ」
イゴールは彼女を抱き寄せた。
「ずっと一緒に生きてきただろ。だから、お前がいなくなるなら俺は一緒に……」
耳元に落ちる低い声。
ケイトは堪えきれず、一筋涙をこぼした。
「……わかりました」
視線を逸らしたまま、小さく呟く。
「無茶をするのは……あなたが隣にいる時だけにします」
イゴールは一瞬驚いたように黙り、次の瞬間、涙の残る顔でふっと笑った。
「……ああ。俺の隣にいる時だけ許すよ」
ケイトは彼の胸に顔を埋め、小さく頷いた。
侍女のケイトではなく妻のケイトとして。
その温かさに身を委ねながら――。
◆
――数日後。
東の森の大物は討伐され、マルクスとアシュリーは銀狼を連れて無事に帰還した。
城門の前で兵や民の歓声に迎えられたあと、アシュリーは真っ先にケイトとイゴールの姿を見つけて駆け寄った。
「ケイト!イゴール!」
その小柄な体で勢いよく抱きつく。
ケイトは少し目を瞬かせ、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。
「お帰りなさいませ、アシュリー様。……城は無事、守りました」
「ほんとうに……ありがとう」
アシュリーは潤んだ瞳でケイトの手を握りしめた。
「でも……マルクス様がいない間、どれほど大変だったか」
横でイゴールが低く呟いた。
「……大変どころじゃない。ケイトは結界を張り続けて、気を失うくらい無茶をしたんですよ」
ケイトはさらりと「今こうして元気ですから」と答えようとしたが――。
「ケイト」
アシュリーの声が、遮った。
「……自分のことを大切にしてください」
叱るようでいて、アシュリーの瞳には涙が滲んでいた。
「ケイトは、わたしにとって本当に大切な人なんです。だから……無理をして倒れるなんてこと、二度としないで…」
ケイトは不意を突かれたように目を丸くした。
アシュリーは続ける。
「ケイトがいなかったら、私は今ここにいないかもしれない。ケイトは私の恩人です……だから、お願いです。自分のことも、もっと大事にしてください。」
その言葉に、マルクスも同意する。
「……そうだね。無茶をするくらいなら城なんか壊れてもいい。逃げてほしいよ」
イゴールが真剣に言った。
「俺は……もう二度と、ケイトが意識を失う姿なんか見たくないからな」
大柄な体をかがめ、妻の肩を抱きしめた。
ケイトは硬直したように黙り込んだが、やがて頬を赤く染め、ぎこちなく呟いた。
「……だ、だからイゴールが隣にいてくれればいいんです」
その答えに、イゴールはかすかに笑い、強く抱き寄せた。
「……そうだな」
◆
アシュリーは袖で涙を拭いながら、マルクスに小さく囁いた。
「……いいですね。お互いのために本気で怒ることができて、支え合える人がいることって」
マルクスは横目で彼女を見て、ふと笑みを浮かべた。
「……そうだね。守りたいと思える存在がいるのは、幸せなことだと思うよ。私も…」
アシュリーの胸が熱くなり、そっと微笑んだ。
――自分も、マルクスの隣にいるからこそ強くなれるのだ、と。
二章を準備中です、よろしくお願いします!




