悪役令嬢アシュリー、婚約破棄される。
学園最後の夜。
煌びやかなシャンデリアの下、生徒たちが憧れてきた舞踏会は、今や王太子と聖女のための舞台となっていた。
中央には、ルーチェを抱き寄せる王太子レイスの姿。彼は聖女の手に口づけを落とし、甘く囁く。
「ルーチェ……君こそが光だ」
「まぁ、殿下……」
人前でためらいもなく寄り添う二人。会場中が羨望と困惑の眼差しを送る中、ただ一人、アシュリーは俯いて黙り込んでいた。いつも通り無口で無愛想に。
――そして。
「公爵家のアシュリー! 妹の聖女ルーチェをいじめ、彼女の物を奪ったことなどの罪により――婚約を破棄し、辺境伯へ嫁ぐ事を命ずる!」
王太子レイスが高らかに宣言した。
どよめく会場。
誰もが名指しされたアシュリーを見つめた。
その時、アシュリーは顔を上げた。
そして――
ぱあぁぁっと、花が咲くように。
無邪気で、誰も見たことがないほど可愛らしい笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます、殿下!ありがとう、ルーチェ!」
一瞬で空気が変わった。
王太子は思わず可愛さに見惚れ、ルーチェは「はあ!?」と声を裏返した。
「私、早速行きますっ!」
裾を翻して走り出すアシュリー。
そのまま舞踏会場を抜け、夜の街へ――一直線に家へ――。
「あ、アシェリー!ちょ、待ちなさい!」
追いすがる父母の声。両親までもが慌てている。
だが、アシュリーは全く聞いておらず、にこにこと笑いながら夢中で馬車に飛び乗った。
「お母様、お父様、お元気で!」
隣には侍女ケイトがすでに乗っている。
二人を乗せた馬車は、月明かりを切り裂くように疾走した。
そんなわけで――乙女ゲームの悪役令嬢「アシュリー」はヒロインで妹の聖女ルーチェが婚約者の王太子レイスルートを選んだことにより婚約破棄され、辺境伯へと嫁ぎにいった。
◆
馬車の中。
走る車輪の音が、規則正しく響いている。
窓の外を眺めていたアシュリーに、侍女のケイトがそっと問いかける。
「……アシュリー様、“ざまぁ”とやらは、よろしかったのですか?」
「……ああ!ルーチェがなぜか怖がっていた…私はよくわからなくて…。それよりも、ようやく“悪役令嬢”を終えられたので早く辺境に行きたいのです!」
「……アシュリー様は、そのために努力してこられましたものね」
「ええ。妹のために“悪役令嬢”をきちんと務め終えられて本当によかったです!」
無邪気に笑って言い切るアシュリーを見て、ケイトは小さく目を細めた。
アシュリーは再び窓の外に目を向ける。
そして――遠い記憶が蘇っていった。
◆
前世、彼女は大企業の経理部長だった。
昔から勉強は出来た。仕事でも数字と成果を積み重ねれば評価されたが、それ以外で褒められたことは一度もない。
だが、成果を上げればとりあえず居場所がある気がした。
そして恋愛をしたこともなく、友人もおらず、ただ仕事だけに生き、やがて35歳で過労で倒れた。
――そして異世界転生した。
今世は公爵家の長女、アシュリーとして生まれたが、最初は混乱しかなかった。魔法はあるし魔物はいるらしいし、何より貴族になっていたからだ。
そして妹ルーチェもまた転生者。
彼女はこの世界を知っているらしく、幼いころからこう言っていた。
「お姉様は悪役令嬢。私は聖女になって王子様と幸せになるの。そしてお姉様は魔物だらけで寒い辺境の辺境伯に嫁ぐことになるのよ!
でも“ざまぁ”なんて絶対にしないでよ?お姉様なんか役に立たなさそうだからせめてモブやってよね。
それでね、辺境伯は「君を愛することはない」ってお姉様に冷たくあたるの!」
アシュリーは素直に頷き、その言葉を信じた。
◆
アシュリーはとりあえず暇だったので本を読んで学ぶうちに、この世界でも学ぶことは楽しいと思うようになっていた。
すると、いつの間にか王太子の婚約者になっていた。父も母もルーチェの言っていたようにはならず、アシュリーを冷遇する訳でもなかったが、妹はよく使用人や侍女とアシュリーに悪戯を仕掛けたり物を強請った。
7歳ほどのある日、王城でのお茶会。
多くの貴族が集まるそこで子供たちの輪から外され、本を開いていたアシュリーに声をかけたのは、長身の大人の男性だった。
どの位の貴族なのか分からず、アシュリーは一生懸命習った最高礼をした。
その姿に少し笑ったその男性は聞く。
「どうして輪に入らないのですか?」
「……妹が、私は地味だから王子の隣には似合わないと」
銀灰色の瞳にダークブラウンの前髪を下ろした男性はマルクスと名乗ったのち、しばし黙って彼女を見つめ、静かにしかし強く言った。
「……君の翠の瞳は澄んでいて美しい。夜の星を映したようなその髪も、誰よりも目を引く。
そして、さきほどの礼でわかったよ。君はとても努力家だ。……君には君の良さがある」
子供扱いではない真剣な眼差し。
――アシュリーは成果以外を褒められたのは、生まれて初めてだった。
心が弾むのを感じた。
その後、彼は炎の魔法を見せてくれ、自身の領地ののどかな暮らしを語ってくれた。
国境を守るため魔物を狩り、魔物を使役し、放牧や農業を営む。
その世界の姿にアシュリーの瞳は輝き、自然に言葉がこぼれた。
「……私、いつかマルクス様の領地に行きたいです」
「……そのためには強くならなければ、ね。私はマルクス辺境伯といいます。困ったら頼りなさい」
去っていく彼を見つめながら、アシュリーはやっと気づいた。
――彼こそが、ルーチェの言う辺境伯で、自分の未来の夫なのだと。
◆
その日から、アシュリーは密かに魔法を覚え始めた。
そのために新しく侍女についたケイトが力になってくれた。
ケイトは他の使用人と違いルーチェに取り入ることもなく、いつもアシュリーの味方でいてくれた。
王子妃教育の合間に屋敷を抜け出し、王都周辺の厄介な魔物を魔法でこっそり狩り尽くした。
冒険者たちは噂した――“月光の魔物姫”が夜ごと現れるのだと。
もちろん、本人はその異名を知らない。
◆
回想が終わり、馬車の中へ意識が戻る。
アシュリーは窓の外を見ながら呟いた。
「……でも、辺境の主な産業は農業や牧羊です。私はその実務ができません。……“君を愛さない”と言われる覚悟はできていますが、追い出されたらと思うと……」
真面目にしょんぼりと肩を落とすアシュリーを見て、ケイトは思わずくすりと笑ってしまった。
――マルクスがアシュリーの話を聞くとき、どれほど柔らかい表情を見せるかを、彼女はよく知っているから。