第8話 時田さんとの最後の飲み会
『今回決して誤解をしていただきたくないことは、故郷となる土地からの強制退去は日本だけが対象というわけではないということです。アメリカ。中国。ヨーロッパ諸国の皆々様も同様に現在人が住んでいない未開拓地へと移住をしていただきます』
仕事終わりの居酒屋で。
モモ・リインフォース嬢が地球人のアナウンサ―と対談する形で、昼間の勧告の補足をしている。
『それに停滞する地球の有効的な使い方でもあります。地球で活用できる資源はまだまだ数多く存在しています。今まで技術の未熟さゆえに採れなかった深さの場所も、我々第二銀河帝国の技術提供によって採掘可能となりました。そのため現在産業が停滞し経済が頭打ちになっている国を優先的に今回の強制退去の対象国として、新しい産業で新しい需要を開拓し、国民のみなさんに豊かになってもらおうという側面もあるのです』
「なぁにが新しい産業よぉ! 職業選択の自由は何処に行ったって話ですよ! ねぇ、浅井さん!」
「え、ええ……」
いつものように、俺は時田さんに誘われて酒を酌み交わして愚痴っている。
「絶対シベリアなんかに行ってもいい目には合わないですよ! ねぇ浅井さん!」
「ええ、時田さんはシベリアに送られることになったんですか?」
「はい……絶対に行きたくはないですけど……でも、日本人皆そうなんですから仕方がないですよね……」
落ち込みながら言う時田さん。だが、周りのみんながそうだから嫌な決定を受け入れなければいけないという理由はない。
「時田さんは戦おうとは思わないんですか?」
「はい?」
時田さんが眉を顰める。
これは———言ってはいけない言葉だ。
今から俺が言う言葉は言ってはいけない言葉。コレを言ってしまえば、俺と時田さんの関係に亀裂が入る。人間だれしも思っても言わないことはある。それを言ってしまえば相手の図星を突くことになり傷つけるからだ。
だが、今の俺はそれを言わずにはいられなかった。
「いつもフォーチュン星人たちに愚痴を言っているばかりで何もしようとはしない。そんな不満があるんなら、口で言わないで行動をすればいいんじゃないですか?」
言った。言ってしまった……。
今日の俺は苛ついていた。その苛立ちをそのまま目の前の人にぶつけてしまっていた。
これは完全な八つ当たりだった。
チラリと時田さんの顔色を伺う。
彼は———がっかりしたような表情を浮かべていた。
「そう……ですね。本当に不満があるんならレジスタンスにでも入ればいいんですよね……」
シュンッと力なく椅子の背もたれに体を預けているその姿は、なんだか生きる気力を失ったうつ病患者のようだった。
「あ、すいません。言い過ぎました」
心底申し訳ないと思い謝る。
「いいえ、いいんですよ浅井さん……浅井さんの言う通りです。だけどすっかり俺は大人になって、失くしてしまった。子供の頃にはあった〝力〟を失くしてしまった……俺のとても大切な人に、今、危険がせまって来ているっていうのに……逃げてしまおうとしている。そして、俺はきっと後悔するでしょう。一生。怖いですよ。本当はね……」
そうブツブツ呟いて、両肘を机の上に乗せて、そのまま腕を枕に突っ伏してしまった。
寝たか?
「時田さん?」
「でもね浅井さん。仕方がないんですよ……」
寝てなかった。
時田さんは机に突っ伏した真っ暗な視界で、その暗闇の先に何かを見つめているかのように今度ははっきりとした口調で続ける。
「僕だって、もしも自分が天命を受けた戦士なら立ち上がりますよ! 戦えない人の痛みも人類の愛も背負って、千の覚悟を身にまとって雄々しく羽ばたいてみせますよ! でも……できない。所詮僕はただの凡人で勇者なんかじゃないんだから……強い力には逆らえない」
「勇者……ですか……」
「ああ……僕が選ばれし勇者だったらなぁ……今頃……」
そうして顔を上げる時田さんは、泣いてなかった。
酔いで顔を赤くして、にこやかな微笑を浮かべて、
「僕は、僕はね……!」
何かを言おうとした。
だが、その視界に入っていたテレビの画面が刺激的な映像を映し出していた。
『アジア大陸極北に移住の皆様に朗報です! 要はシベリアへの移住になるのですが、その過去悪名高い土地は今は地球温暖化によって生まれ変わっています! 新しく建築された建物に溶けた氷が流れた水路が走るニューシベリアシティはまさに現代に蘇ったヴェネツィア! この新しいフロンティアにはシベリア鉄道のカシマル・ヴァーレ号をご利用ください! 快適な列車の旅の先には、楽園が待っています』
四つの強制移住区のうちの一つ、北のシベリアの宣伝のCMだ。
時田さんが行くことになっていた土地。
そのCMはかなり綺麗な都市風景を映し出していた。近未来的な都市風景。街中に張り巡らされた青い水。そして緑豊かな街路樹。その街へと向かう黄金の列車に楽し気に載っている一家の映像……。
それを見た時田さんの目は輝き始め、
「僕は……やっぱりシベリアもいいかもなって思うんですよ! ねぇ、浅井さん!」
と、さっきまでの話題と悲しみをすっかり忘れて話題を切り替え。
笑顔で新天地へと胸を躍らせていた。
まさにザ・酔っ払いだ。文脈の繋がりを全く気にせずに思ったことを発言する。
その時、俺は二つのことに気が付いた。
「時田さんって、普通の人ですよね……」
「ええ! そうですよ。いや! 何でも普通がいいじゃないですか! 普通最高!」
普通の人間とは結局、力や知恵がないのではなく、状況は環境によって簡単に意志を変えてしまう人間のことを言うのだ、と。
そして、俺は普通の人間だったのだ———と。
◆ ◆ ◆
時田さんとの飲み会を終えて、俺はコンビニで缶ビールを買った。
飲み足りなかった。
それを飲みながら歩き、角を曲がった。
自宅のアパートが面している一本道。
そこに———再び黒鉄の巨人が立っていた。
「浅井ハル様————」
天使の翼を生やした少女も。
「———アリア・アテリアル」