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領主の責務(3)

 そして約束の日が訪れた。私は用意したスクロールを持って屋敷を出て、闇に包まれた街を歩く。話が通っているのか、衛兵の詰所へは誰にも止められることなくスムーズに向かうことができた。


「本当に来るとはな」

「約束ですもの。こちらがスクロールです」


 私の姿を見つけたライルが片方の眉をつり上げる。他の衛兵は出払っているのか作戦のために追い出したのか、中は静かなものだ。スクロールを受け取るオリバーは軽く中身を確かめ、「これこのままうちの物資にしても良いですか?」と本気か冗談か分からないことを言った。


「作戦が終わったら好きに使ってください。道具は使われてこそです」

「終わったら……そうだな、まずはそっちが先だ」


 ライルが口元を少し歪め、オリバーが静かに頷く。互いに言葉を交わすことなく、その一瞬の沈黙でお互いの考えを理解しているようだった。


 羨ましい、とちょっとだけ思う。私もそういう風に分かりあえる人がいたらどんなに良いだろう、なんて。……いけない、今は作戦に集中しないと。


「さて、作戦の流れを確認しておくか。領主様もいることだしな」


ライルが詰所の机に手をつきながら言う。


「俺達はあのスクロールを餌にして裏切り者を炙り出す。情報が流れているならそのうち出てくるはずだ」

「流石にライルと僕が揃っている時に襲ってくるとは思えませんからね。来るなら倉庫にしまって、僕らが離れてからでしょう」

「そんで、のこのこやってきた奴を叩くって寸法だ」

(わ、割と雑なのね……?)


 思ったよりシンプルな作戦に戸惑う。もっと凝った罠を想像していたのだけれど。あまり策を張り巡らせて綻びが出てもいけないし、このくらいがちょうどいいのかしら。


「ま、今日来ねえ可能性はあるけどな。そんときゃ俺達に後を任せて領主様は帰ってくれ。しばらくは倉庫の出入りも二人組にする予定だ」

「ええ、分かったわ」


 今日ここにいるのは半ば意地のようなものだ。領主として衛兵達の助けになりたいという想いと……問題を解決することで、彼らを味方につけようという打算。それを羽織ったマントに隠して、私は詰所から倉庫に向かう。


 夜の帳が静かに降りる中、私は物影に身を潜めた。空気は冷たく、吐く息がわずかに白く染まる。


 ライルは少し離れた位置に立ち、倉庫の入口を見張っていた。囮のスクロールは先程オリバーが収めにいった。焚火を行なっていたので、その姿はよく見えたことだろう。倉庫番の二人は何も知らないまま呑気に立ち話をしていた。


「う〜寒っ! 腹も痛ぇしちょっと便所行ってくるわ」

「おい、衛兵長に怒られるぞ」

「そこは何とか言ってくれって」

「規律違反だ、おい待て!」


 倉庫番の一人がこっそり持ち場を離れた。それを見たオリバーは苦笑いをし、向こうでライルが声を出さずに怒っている。


「すみません、うちの馬鹿が……」


 私の側に控えたオリバーが頬をかいた。職務放棄は問題だけれど、腹痛はね……。お腹が痛いのって神様に祈りたくなるくらい辛いわよね。裁神ダイダリューンは腹痛を助けてくれなさそうだけど。祈るならやっぱり医神カカムルかしら。


 すぐに戻ってきたから良いものの、彼のせいでどこか緊張感が緩む。


(本当に誰かが動くのか……それとも、私達の考えすぎ?)


 そんな不安すら頭をよぎった。しかしその時、遠くで小さな足音が聞こえた。


「来ましたね……」


 オリバーが呟くのと同時に、私はそっと呼吸を整える。足音が近づくにつれて、心臓が高鳴った。これが本当に計画通りに進んでいるのだろうか。集中し、耳を澄ませる。そして視界に現れたのは――予想外の人物だった。


「シグベル様……!?」


 銀の髪を靡かせたシグベルが悠々とこちらに歩いてくる。ライルとオリバーの手が剣にかかった。私は驚きながらも冷静を保とうとすることくらいしかできない。しかし、シグベルの言葉はそれすら許さなかった。


「あなたがここにいることは予想していました。しかし、裏切り者を疑うなら、もう少し慎重に行動すべきでしたね」


 誰を、何を。疑問はいくつも浮かんでくるが喉から先へと出ていかない。シグベルはいつも冷静な神士で、考えを読ませない男だ。嫌な予感が胸の内で膨らんでいく。


 倉庫番は意味が分からないと言う顔できょろきょろと辺りを見渡していた。


「例えば深夜の倉庫番を買って出た衛兵、などを」

「なっ……」


 全員の視線が二人の衛兵に向く。


「な、何だよ、オレが裏切り者って言いたいのか!?」

「神士様、何を言ってるんです……?」


 強く反論する者が一人、困惑している者が一人。シグベルは二人の前に立ち、静かに告げた。


「二人とも、兜を外していただけますか?」

 

 皆が倉庫番を見る目は冷たい。衛兵のどちらかが裏切ったと確信しているようだ。状況が飲み込めていない私は、そこまで決めつけることはできない。シグベルに言われるがまま、倉庫番の二人が兜を外す。するとライルが怒りを滲ませた声をあげた。


「お前……ダリルか! あいつはどうした!」


 気が付くと彼はお腹が痛いと離れた方の胸倉を掴みあげていた。ダリルが倉庫番の名前なのは分かるけれど、話についていけないわ。領主としてしっかりしなくちゃいけないのに。


「た、頼まれたんだよ、調子が悪いんで代わってくれって」

「なら何故そのことを黙っていたんだ? 予定にない交代は報告が義務だ」


 衛兵の言い訳をオリバーが冷静に詰める。少し状況が読めてきた。どうやら裏切り者の名はダリル、御手洗いに行った衛兵と入れ替わってここに来たらしい。


「それにその鎧……お前のもんじゃねぇだろ。識別タグが違うぞ」

「しまっ……」

「ってのは嘘だがなぁ!」


 ライルは掴んだ胸を使って衛兵を軽々と投げ飛ばす。彼が宙を舞っている間に二人が剣を抜き、倒れた衛兵に向かって突きつけた。しかし犯人はここで終わる気はないらしい。止める間もなく手元に何かを広げた。ライルとオリバーの剣が届くよりも早く、辺りに光が広がる。


(スクロール!)


 途端に足場が崩れた。隆起した地面は土属性の操作魔術によるもの。思わずよろめく私に触れたのは……二人の攻撃から抜けだした、裏切り者のダリル。首元に冷たい何かが触れる。――短剣だ。


(そんなっ……!)


「領主様を傷付けられたくなかったら下がれ!」


 私が足を引っ張ってしまうなんて! 危険なところに立つ覚悟はしてきた。衛兵に迷惑をかけないようにやれる自信はあった。けれどそれはただの勘違いで、思い上がりだった。


 私がいるせいで動けないライルとオリバーの悔しそうな表情が胸を締め付ける。駄目だ、自分で何とかしなければ。


 足を踏む? 分厚いブーツに私の脚力では通じない。


 魔術を使う? 詠唱が終わるより短剣が喉を突くほうが早い。


 手を払う? ギリギリと音がしそうなほど締め付けられて動けないのに不可能だ。


 どうするべきか頭を巡らせていると、不意にシグベルが動いた。ゆっくりと一歩、こちらへ近付く。あまりにも超然とした態度に怯んだのか、男が体を強張らせた。その弾みに短剣が喉に触れ、熱と痛みがやってくる。


「っ……!」

「その罪は重いですよ。……罪には罰を。あなたには裁きが必要です」


 人質がいても変わらないシグベルの態度に、怪我をしたにも係わらず私は不思議と安心した。しかしダリルはそうではなかったようで、動揺からかわずかに力が緩む。


「や、やめろ……! 来るな!」

(……今!)


 震える短剣がシグベルに向けられたことを確認して体から力を抜いた。するりとマントが滑り、腕の中から抜け出す。このまま逃げられるかと思ったが、そこまで上手くは行かなかった。すぐに短剣が追いかけてくる。


 私は無理やりマントを引き剥がし、視界を奪うように布を相手の顔に叩きつけた。短剣が布を裂く。私はもつれるように倒れ込みながら、即座にライルとオリバーが飛び込んでいく姿を見た。


「ご無事で?」

「これが無事に見えまして? はぁ……でも、助かったわ」


 縄を構えたシグベルはすぐにダリルの下に行ってしまった。ぽたりと喉を伝う血を拭いながら、私は三体一の一方的な戦いを見る。犯人はすぐ地面に押さえつけられ、シグベルによって拘束された。


「ったく、手間かけさせやがって」

「ぐ、うっ……」


 あちこちに傷を負ったダリルが私の前に引きずり出されてくる。荒い息を吐いた彼は、地面に顔を擦り付けながら口を開いた。


「りょ、領主様、どうか御慈悲を……!」

「よくそんな口が聞けたもんだな」

「それでも、話を聞かないわけには行かないでしょう。あなた、ダリルと言うのでしたね? 何故こんなことをしたのです」


 ダリルが話し始めるには少し時間がかかった。寒さが体に染みてくる。見かねたシグベルが上着を貸してくれたが、それでも温まるには足りなかった。


「教会の方が話しやすければ動きましょうか」

「は、話します! 金が……金が、足りなくて……」

「衛兵の給料はこの都市じゃ一番です。ダリル、本当のことを話せ」


 オリバーが私への説明も兼ねつつダリルに詰め寄る。ライルと揃って殺気立っており、今にも剣を抜きかねない雰囲気だ。ピリピリした空気に肌が粟立つ。


「そりゃ暮らすには十分です。でもお袋が病気で……医者にかかるには足りなくて、それで、それで……高く売れるスクロールに目を付けました」


 親が病気で、治療のためのお金が足りない……。犯罪は犯罪だ、許されることではない。けれど、もし自分だったらどうだろう。今は縁が切れてしまったけれど、まだ家族だったころにお父様やお母様が倒れていたら。それでも私は、同じことを言えるだろうか?


 ……それについて考えるのは後にしよう。簡単には結論が出せそうになかった。


「そもそも、スクロールの売却には許可がいるはずだけれど」

「えっ!? そ、そうなんですか……でもあの人はそんなこと……」


 スクロールの売買は資格を持った人間しか行えない。無許可の……しかも横流し品を買う人間が、この都市にはいるということだ。まだ問題が続く気配に私は内心頭を抱えた。


「詳しい話を聞きたいところですが、この場は相応しくありません。後日改めて聴取します」


 しかしなるべく威厳が保てるように堂々とダリルを見下ろす。土に汚れた彼の顔は憐れみを誘うが、ここは毅然とした対応が必要だ


「ダリル、あなたは拘束され、適切な場所で話を聞かれることになります」


 ダリルは手をぎゅっと握りしめたが、俯いたまま何も言わない。もしかしたら何も言えないのかもしれなかった。言い訳も弁明も無意味だと悟ったのだろう。


「今すぐ結論は出せませんが、スクロールの横流しは重大な罪です。今夜は詰所で拘束し、後日裁定を下します」


 冷たい風が吹き抜け、焚き火の炎が揺らめく。私の言葉にライルとオリバーも無言で頷いた。シグベルも不満はないのか、地面に転がしたままだった男を立たせる。


「……少なくとも、職を解かれることは覚悟してください」


 その言葉が決定的なものだったのか、ダリルは顔を強張らせた。これまでの生活が終わる――その事実がようやく実感としてのしかかったのだろう。


 私は目を伏せ、息を吐いた。この件は、これで終わりではない。だが今は、ひとまずここまで。傷ついた喉がピリリと痛んだ。

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