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影の市の終焉(1)

 轟音が響き、壁が崩れる。火花が散り、黒煙が渦を巻いた。

 ルカは私の腕を掴み、瓦礫を飛び越えながら叫ぶ。


「走れ!」


 後方では剣戟の音と悲鳴が入り乱れ、炎が敵味方を区別なく包んでいく。


「くそっ、こっちの道も塞がれたか……!」


 ルカが舌打ちする。背後では足音が迫ってくる。それが襲撃者のものか、クレイヴ達のものかは関係がない。襲撃者が予想通りディートリヒ家ならルカの安全は保証されないし、クレイヴ達なら私は囚われの身に逆戻りだ。二人で逃げるしかない。


 飛んでくる矢に対し咄嗟の魔術で防壁を張りながら、私達は必死に走った。肺が焼けるようで、足も鉛のように重い。ルカが手を引いてくれなければとっくに倒れていただろう。


 辺りに漂う血の匂い、金属の焼ける音、うめき声。しゃがみ込みたくなるような惨状から目を逸らし、彼の背に集中する。前に襲撃を受けた時とは違う。相手は影の市を分析し、効率的にこの場を滅ぼそうとしているのだ。


「ロゼリア様、こっちへ」


 不意に足を止めたルカが、私を狭い路地へと押し込んだ。そこに入った瞬間喧騒が途切れ、奇妙な静けさが広がる。戦いの音も遠ざかって行くように感じた。壁に視線を走らせる。やはり、消音魔術の術式が書き込まれている。その隣には、商売の神のシンボルがあった。


「この先には僕の昔の隠れ家があるんですが、まぁそれは別にいいでしょう。ここならしばらく安全です」


 壁にもたれかかると疲労が噴き出してきた。息が荒くなり、立っていられずに屈みこむ。ルカはそんな私の背を撫でて落ち着かせながら、不意に口を開いた。


「……後は任せますよ、神士様」


 その言葉にハッと顔を上げる。まるで私達を待っていたかのように、シグベルがそこに立っていた。


「シグベル様……?」


 身に着けているのは白い聖衣ではなく黒いローブ。裾が汚れているのは土か血か……。手に持っている抜き身の剣がギラリと光る。いつもと変わらないのは、落ち着いた青い瞳くらいだった。


「ええ、ロゼリア様。シグベルです。あなたを探しておりました。お怪我は?」

「……ありません。ルカが、庇ってくれたので」

「その男があなたを誘拐しなければ良かっただけのことですがね」

「分かってますって。それじゃ、僕はここまでだ。……ロゼリア様、どうかお元気で」


 飄々とした態度と余裕を取り戻したルカが、そう言って微笑む。その笑顔がどこか寂しそうで、最後に一瞬だけ私を見つめた目が揺らいでいた。

 どういう意味か聞き返す間もなく、彼は足を忍ばせて闇の中に溶けていく。


「待って、待ちなさいルカ・フィッツ! あなたも、一緒に……」


 私の声は壁の魔術にかき消された。追いかけようにも、今の体で喧騒に戻るのは死にに行くようなものだ。何もできない私に、シグベルが声をかけてくる。


「あの男なりの誠意、と言ったところでしょうか。帰りましょう、ロゼリア様」


 その声はひどく優しかったが、私の欲しいものではなかった。しかしいつまでもここにいる訳にもいかない。私はシグベルに支えられて立ち上がる。


「急ぎましょう。まだ安全とは言えません」

「……分かりました」


 熱気が背中を焼くようだ。助けを求める声が耳を打つ。でも……私は振り向けない。振り向けば、足が止まりそうだから。シグベルの先導に従って、ひたすらに進む。再び大きな音がして、天井の一部が壊れて落ちる。あちこちで悲鳴が上がり、影の市の住人が炎の中を逃げ惑う姿が遠くに見えた。

 影の市があるのは地下だ。このまま大規模な攻撃が続けば、崩れてしまうかもしれない。煙と炎の充満も危険だろう。私達に時間は残されていないのだ。


「この襲撃はディートリヒ男爵の指示です。影の市はダイダリーの闇の中心……危険な薬物、呪いの品、表から違法なルートで供給される物資。ディートリヒ家はそれらを滅ぼし、裏に流れる資金を断つつもりでしょう。アルヴィン家の資金源でもありますからね。もっとも、表向きの目的はあなたの救出ですが」

「シグベル様は、どうして……?」

「利害の一致です。私とて、この場所は好ましくないと感じています。特に呪いの品など、神への冒涜だ!」


 シグベルが強く、吐き捨てるように言う。私だって頭では分かっていた。影の市は、存在していい市場ではないと。でもここで生きている人もいると思うと、彼らからすべてを奪う選択肢は選べなかった。私がそれを決断できずにいるうちに、アルヴィン家の動きは活発になり、ディートリヒ家は過激な行動に出た。その事実に胸が締め付けられる。


「以前の襲撃ではまだ情報が足りませんでした。ですが、今回は違う。内部の者からの密告で影の市の最深部までの情報が出揃っています。最早ここの滅亡は決まったことですが……生き残った者たちがどう動くか、それが問題です」


 シグベルは複雑な道を迷いなく曲がりながらそう告げる。それが当然だとでも言うように。でも、もっと他に方法があったのでは? という疑問が浮かんで止まらない。こんなに突然、多くの犠牲を出す方法ではなく、徐々に衰退させることだって――。


(それをできなくしたのは、私……)


 私が商人に裏切られて捕まった話などすぐに広まっただろう。であれば、影の市を滅ぼしたいディートリヒ家が見逃すはずはない。領主に牙を剥く闇市を潰せ、出入りする商人を潰せ。彼がそう兵を挙げたことは想像に難くなかった。


(影の市だって、見捨てたくなかった。でも、結果としてここを壊したのは……私なんだ)


 ルカの隠れ家だって、ここにあった。去っていった彼は、影の市に生きる人でもあった。途端に寂しさが溢れだし、鼻の奥がツンと痛む。しかし、そんな感傷に浸っている暇はない。私が領主として、ダイダリーを守る。そのために、死ぬわけにはいかない。立ち止まるわけにはいかない。


「ディートリヒ男爵とは、また話をしなければいけませんね」

「そうですか。……では、脱出したら私からそのように伝えましょう」


 その時、前方で強い音を立てて道を塞ぐものがあった。恐らく脱出用に開けてあった門が、私達を拒むように閉じられたのだ。そして、その犯人は――。

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