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慈善の狭間(1)

「ダイダリーの孤児院は、ロゼリア様の故郷にあったものとは違うでしょうね」


 隣を歩くヒルダが、どこか懐かしむように言う。


「確かに、教育の差は大きいでしょうけど……」

「それだけではありませんよ。大人の手が足りなければ、子どもたちはどうなると思います?」

「……あまり、良いことはなさそうね。だからこそ、グラウベン家の支援が本物か確かめる必要があるわ」


 ヒルダは微笑み、「ええ、それが良いと思います」と頷いた。




 孤児院は教会の近くにある。門を押し開くと、外の賑やかさとは違う、どこか穏やかな空間が広がっていた。石造りの古びた建物が、ダイダリーにおける孤児院の歴史を感じさせる。


 庭では数人の子どもたちが遊んでいた。泥だらけの手で木片を積み上げ、小さな砦を作っている子。枝を振り回し、剣士の真似事をする子。壁にもたれ、じっとこちらを窺う子。どの顔にも幼さが残りながらも、それぞれに違った表情を浮かべている。少し離れたところでは、年長らしき少女が弟らしき幼い子の手を引き、ぎこちなく歩かせていた。


「子どもの多さに対して、大人の姿が見えませんね」


 隣に立つヒルダが静かに言う。その視線の先には、わずかに開いた扉の向こうで赤ん坊をあやしている女性の姿があった。彼女のほかに、大人の姿は見当たらない。


「やはり人手が足りていないのでしょうね……」


 そのとき、一人の男の子がこちらに駆け寄ってきた。年の頃は七、八歳ほどだろうか。薄茶の髪を短く刈り、くりくりとした瞳が好奇心に輝いている。


「ねぇ、あんたたち誰?」

「ここには来たことのない人だね」


 それを見ていた他の子どもたちも、次々に集まってきた。興味津々といった様子でこちらを見上げ、時折ひそひそと耳打ちし合っている。近付いてこない子は、私を警戒しているのか視線だけを向けてきた。


「お嬢様、どうやら歓迎されているようですね」


 ヒルダが小さく笑う。私は少し肩をすくめた。


「さて、どうしたものかしら」


 この子たちにどこまで踏み込んで話すべきか……。目の前には、屈託のない笑顔がある。けれど、その背後には管理する大人の姿がほとんどない。この孤児院の抱える事情が、少しずつ見えてきた気がした。


「きれいなお洋服!」

「お姉さん、お金もち?」


 どんどんやってくる子どもたちに、私は少し戸惑いながらも笑顔を浮かべる。彼らの問いには「どうかしらね?」と冗談めかして答えた。だが、無邪気な質問の裏にある生活の違いを思い、わずかに胸を締めつけられる。


「みんな、ここでは読み書きを教わるの?」

「ううん、先生はいないよ。でも、お姉ちゃんが教えてくれる!」


 ヒルダの問いかけにそう言って指さした先には、先ほど幼い子の手を引いていた少女が立っていた。彼女は少しはにかみながらも、誇らしげに胸を張る。


 ヒルダは目を細め、小さく頷いた。


「偉いわね。でも、大人がもっといれば、みんなもっと学べるのにね」


 その言葉に、私も静かに考え込む。ダイダリーでは孤児院の運営すら難しく、人手が足りていない。貴族の慈善活動は機能しているようで、すべての問題を解決できるわけではないのだ。


「お姉さんはどこから来たの?」

「私は……」


 一人の質問に答えようとしたその時、奥の建物から足音が聞こえた。慌ただしく扉が開き、管理者らしき女性が書類を抱えたまま駆け寄ってくる。彼女の目の下には隈があり、どこか疲れた顔をしていた。


「領主様!? お越しとは知らず、大変失礼いたしました!」


 その慌てた声に、子どもたちがきょとんと私を見上げる。遊んでいた木の棒が地面に転がったまま、場は一瞬の静寂に包まれた。


「……りょうしゅさま?」

「えらい人?」


 無邪気な疑問にどう返したら良いか悩んでいると、女性が子どもたちに「あなたたちはそのまま遊んでいてね」と声をかけた。彼らはチラチラとこちらを気にしながら、それでも大人しく遊びに戻る。聞き分けの良すぎる子どもたちを横目に、私は院長だという女性の案内で建物に向かった。


 中に入ると、冷えた空気が肌を刺した。石造りの壁は薄暗く、ところどころひび割れている。広間に置かれた長机は傷だらけで、子どもたちが食事をとるには少し心もとない。暖炉はあるが、薪はほとんど燃え尽き、冷え切った灰が残るばかりだった。すれ違った子どもが袖を引いたとき、薄い生地ごしに小さな手の冷たさを感じる。彼らはここで、どれほどの寒さに耐えているのだろうか。


「少し寒いわね」


 そう呟いた瞬間、目の前の老いた院長はしきりに頭を下げた。


「も、申し訳ございません! ただいま薪が少なくなっておりまして……十分なもてなしもできず……」

「いえ、気になさらないで。突然来た私にも非はあります」


 思ったことを口にしただけなのに、過剰なほど申し訳なさそうにされる。それだけで、この孤児院を取り巻く環境が決して良くないことが察せられた。

 私は部屋を見回す。来客用なのだろうが、最低限の椅子と机が置かれているだけで、装飾や暖を取る工夫も見られない。


「院長。失礼ながら、ここでの暮らしは厳しいのではありませんか?」

「ええ、なかなか厳しいですが……まあ、ここではこれが普通ですからね」


 院長はため息混じりに頷いた。


「以前ヴィオラ様が色々と支援してくださってから、食事は本当に良くなったのです。彼女が亡くなってからもエルンスト家の方々が定期的に食料を送ってくださっているおかげで、食べるものには困っておりません。王都との繋がりが深い家なので、そのあたりの余裕があるのでしょう」

「そう、ヴィオラ様が……」


 確かヴィオラ様は慈善活動に精力的な領主夫人だった。エルンスト家は彼女の実家だ。ヴィオラ様が亡くなった後も遺志を継いで支援を続けている、とも考えられるが……私は他の部分が気になって少し眉を寄せた。王都との、繋がり。それが何を意味するのか、考えなくてはならないだろう。しかし、まずは院長の話を聞くことが最優先だ。


「……今は食料以外の援助が期待できない、ということですか?」

「その通りです。衣服や薬、暖房のための薪などは、すべてこちらで何とかしなければなりません。しかし、寄付を募ろうにも、ダイダリーの住民も余裕がない方ばかりで……ヴィオラ様がいらっしゃった頃は、その辺りも汲んでくださったのですが……」


 懐かしく、そして悲しそうに語る院長を前に、私は指先を組んで考え込んだ。孤児院にとってヴィオラ様は本当に大きな存在だったようだ。彼女亡き後、エルンスト家から行われている支援は『生かすため』のものとなっており、『生活を向上させる』ためのものではない。遺志が正しく継がれているのかは、疑問が残る。


「では、グラウベン家の支援については?」

「グラウベン家の方々は、どちらかというと孤児院の運営というより、働き手の確保に関心をお持ちのようです」


 院長は困ったように微笑む。


「子供たちがある程度の年齢になると、手に職をつけられるよう職業斡旋をしてくださるのですが……幼い子たちへの支援というよりは、働き手の育成という考え方ですね」


 なるほど、と思った。エルンスト家は食料と言う支援を行い、グラウベン家は労働力の供給に注力している。だが、それ以外の貴族は?


「他の貴族は、ここに関わっていないのですね?」


 「ええ……」と肯定する院長の顔が少し翳る。


 「これがダイダリーですからね。ここにいる子どもたちは、それでも精一杯生きています。私も、できる限りのことはしていますよ」


 院長の気丈な言葉に、私は静かに息を吐いた。貴族たちの支援には、それぞれの思惑があるのだろう。

 エルンスト家の動きはもしかすると、ヴィオラ様だけではなく王都との繋がりが影響しているかもしれない。そしてグラウベン家は、将来の労働力を確保するために動いている。それ以外の貴族は、何もしない。


 ……孤児院の問題をすぐに解決できるわけではない。でも、これはダイダリーの構造の一部だ。


 私は小さく微笑み、院長を安心させるように言った。


「お話を聞かせてくださって、ありがとうございます。孤児院の子供たちのこと、私が領主でいる間にできることを考えますね」


 それは、いつかこの都市を変えるときに、必ず向き合わなければならない問題なのだから。

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