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貴族の仮面

 アルヴィン家。交易を担当する家でありながら、これまで噂ひとつ出てこなかった。それはなぜ? 本当にクリーンだから? それとも、誰かが意図的に情報を遮断している?

 まずは屋敷に戻って、テオドアや衛兵たちと情報を整理するべきだろう。ヒルダも新しい情報を仕入れているはずだ。私は管理人に礼を述べ、クレプス商会から立ち去った。


「妙に速い取引、ね……」


 通常なら時間のかかる物資が、短期間で流通する。流通の効率化と言われれば聞こえはいいが、問題はその仕組みだ。何かしらの抜け道を使っているのか、それとも別の要因があるのか。


 屋敷に戻ると、ちょうどテオドアとヒルダが書類を整理しているところだった。私の姿を認めると、二人は手を止め、こちらに目を向ける。


「お帰りなさいませ、ロゼリア様」

「戻りました。そちらの調査はどうでしたか?」

「ヴェルナー家に関して、中々興味深い情報がありましたよ」

「侍女達からも、色々と」


 詳しい話を聞こうとする前に、ヒルダが「少し腹ごしらえをしましょう」と言うのでその提案に乗ることにした。緊張で忘れかけていたが、朝からお茶以外口にしていない。意識すると急にお腹が空いてきた。するとタイミング良く執務室のドアがノックされる。


「お食事をお持ちいたしました!」


 テオドアが扉を開けると、ギフティオが軽快に食事を運んできた。プチサンドにスープ、ナッツに焼き菓子。軽くつまめるものばかりなのはヒルダの指示だろうか?


「使う食材を指定しましたので、安心して食べられますよ」


 ヒルダの囁きに安堵しながら並べられた食事を眺める。タルトがあるわ……ダイダリーに来てからと言うもの、大好きだった甘い物もほとんど食べていない。鼻をくすぐるこの香りは蜂蜜かしら? 口に広がる甘さを想像していると、テーブルに軽食を並べていたギフティオが口を開いた。


「エルンスト家の知り合いから上物の蜂蜜とイチジクをいただきまして! 甘い物を食べれば疲れも取れますよ!」

「エルンスト家から?」

 

 何気ないようでいて、どこか引っかかる言葉だった。エルンスト家はルーディックと近い関係なのは知っているが……食材の融通だなんて、どういう繋がりなの?


「ええ、以前から良くしていただいております! でも、こういう食材を分けてくださるようになったのは最近ですねぇ」


 ギフティオの言葉が気にかかる。久しぶりに送られた高級な食材……そのまま親切と受け取ってしまって良いものだろうか。むしろ貴族たちを調べ始めたタイミングで口に入る物を渡すことが、警告なのでは? エルンスト家も警戒しなければ、と手帳に書きつけていると、ギフティオがにっこりと笑った。


「毒はありませんよ、少しでも混ざってたら自分が気付かないはずないので」


 それは料理人としての誇りなのか、毒殺者としての知識なのか。少し不安になりながらもタルトに伸びる手を止められなかった。だってこんなにも美味しそうなんだもの! ギフティオを信じ、私はイチジクを乗せて艶々と輝くタルトを取った。


「美味しい……」


 サクサクとしたタルト生地、バターの風味。イチジクの甘みとまろやかな蜂蜜が絶妙に絡んで深みのある味わいになっている。思わず声を漏らしてしまうほどの絶品だ。しかし毒がなかったとしてもエルンスト家を信用はできない。これだけの食材を用意できる資金については気にしておく必要がある。タルトに舌鼓を打ちながら、私は手帳にメモを取った。


「さて、まずはヴェルナー家の情報ですが」


 テオドアの一言で空気が引き締まった。彼に調べてもらったヴェルナー家は、ダイダリーの財務に関与している。最もお金を動かしやすい位置にいると言っても過言ではない。資金の流れから何か見えてこないかと思ったが、やはり発見があったようだ。


「特に最近になってから大きな資金の流れがありますね。ただし収入源は不明瞭です。以前より不審なところはありましたが、見逃せる変化ではないでしょう」

「つまり、どこから流れてきたお金なのか、掴めてない?」

「そうなりますね。どれもここ数カ月以内の話なので、確認できないものではないはずなのですが。それと……気になることが、もうひとつ」


 テオドアは広げた帳簿の一部分を指さした。そこにあるのはアルヴィン家からの大口の取引記録。表向きは『交易の促進』となっているが……。


「この金額が大きすぎます。アルヴィン家とヴェルナー家の間で何かしらの取引があったことは間違いないかと」


 『交易の促進』とは聞こえがいいが、あまりにも大規模な金の動きだ。


「アルヴィン家が主導しているの?」

「名目上はそうですが、実際の資金の流れはヴェルナー家が受け取る側になっています」


 つまり、アルヴィン家を経由することで、ヴェルナー家の収入の出どころを曖昧にしている可能性がある。


「アルヴィン家はもともと交易を生業にしているのよね。それにしても、何と取引を?」

「それが問題で、品目の記録がほとんどないのです。ただ『交易の促進』という一文のみ」


 私の背筋が冷えた。物の取引ではなく、ただ金だけが動いている? それはまるで──


「まるで資金洗浄ね」


 ふと、ギフティオが興味深そうにこちらを見つめていることに気づく。


「おや、資金洗浄とは物騒な話ですね! もしそれが本当なら、いったい何のお金なのでしょう?」


 考えられるのは、違法取引や賄賂、あるいは……もっと危険なものかもしれない。


「テオドア、他に気になる動きは?」

「細かく洗い直せば、他にも怪しい動きがあるかもしれません。すぐに確認します」


 私は手帳をめくり、メモを取りながら言った。


「アルヴィン家とヴェルナー家、それからエルンスト家の動きも見ておいた方がよさそうね」


 いよいよ、貴族たちの関与が本格的に浮き彫りになってきた。私は再び鴉の紋章を取り出して眺める。この中のどこかが……あるいは複数が、クレイヴと共謀しダイダリーを腐らせている。鴉は一体、誰なのだろうか。


「私からも良いでしょうか、ロゼリア様」

「ええ、お願い」


 次に口を開いたのはヒルダだ。彼女は侍女達の話から何を聞いてきたのか。私がじっと見つめると、彼女は落ち着いて紅茶を口に運んだ。


「まずは、ドレイク家から。大きなこととして、現当主の奥様が病に倒れているという話があります。その家の侍女は奥様のことで精いっぱいのようですね」

「病、ね……」


 薬になるような食材を必要としているのはその奥方のため? もし本当ならその境遇には同情するが……それが、クレイヴのつけこむ隙になるかもしれない。ざわざわとする胸を押さえ、私は口を開いた。


「他の家はどう? 例えば、ディートリヒ家は?」


 ディートリヒ家は革命の流れを汲む貴族の家系である。都市改革も掲げているが、その裏には何があるのか分からない。私の問いかけにヒルダは複雑な笑みを浮かべた。彼女は慎重に言葉を選んでいるのか、それとも革命家であった過去を思い出しているのか――どちらにしても、ディートリヒ家に関する話が軽々しく語れるものではないことは、私にも理解できた。


「……ディートリヒ家は、ロゼリア様にとって単なる貴族の一つとはならないでしょう」


 ヒルダの声音が少し低くなった。まるで警告のような響きを帯びている。


「彼らは表立って反旗を翻すことはありませんが、貴族制度に対する不信感は根強いです。昔から、体制そのものに疑念を抱く者たちを匿ってきた家でもあります。特に今の当主は賢い人で……目立たぬように動く術を知っているようです」


 私は静かに紅茶のカップを手に取った。ひと口含みながら考える。彼らは確かに表向きには穏健な貴族だが、その思想が根強いのなら……裏では別の顔を持っている可能性もある。


「つまり、貴族の中でも異端視されている?」

「はい。表向きは社交界にも顔を出しますが、実際のところ、彼らが本当に付き合いを深めているのは別の層です」


 ヒルダは言葉を切ると、カップを置いた。その目が、私の顔を探るように細められる。


「私の教え子も、彼らと関わりがあります」

「…………革命思想の、ということ?」

「……ええ。そう、ですね」


 私は少し驚いた。ヒルダが過去革命思想を伝えた人たちは、一部を除いて危険思想の持ち主として犯罪者のように扱われている。そんな人々を雇う屋敷が、ライオネル家以外でもあるなんて……。


「ディートリヒ家で働いている子から話を聞くことができました」


 ヒルダはゆっくりと身を乗り出し、私の方へと視線を向けた。


「彼は当主の指示でヴェルナー家の様子を窺っていたようです。その中で、当主が何かを隠しているらしい、と」


 ここでヴェルナー家に繋がるとは。それに他の貴族を探るディートリヒ家の動き。どちらも気にかかるが、先に名前の出たヴェルナー家について掘り下げたい。


「ヴェルナー家の当主が?」

「ええ。数か月前から、急に態度が変わったらしく。それまでは比較的開けた思考を持っていたのに、突然閉じこもるようになったと。まるで何かに怯えているように……。彼の行動を観察している者たちの間でも、違和感を覚える声は多いそうです」


 ロゼリアはページをめくった。ヴェルナー家の当主の変化……それはアルヴィン家との資金の動きが活発になった時期と重なる。そして、この手の急な変化は、多くの場合何らかの圧力か恐怖によるものだ。


「そして、もう一つ。影の市に流れている物の中に、奇妙なものがあると聞きました」

「奇妙なもの?」

「『病を癒す秘薬』。高値で取引されているそうです」


 病を癒す秘薬――その言葉がロゼリアの胸に引っかかった。当主の妻が病に伏せているという、ドレイク家。まさか、彼女に使われたものなのか? それとも、別の誰かがそれを求めているのか?


「詳しく調べる必要があるわね」

「ええ。ディートリヒ家の者達は、ロゼリア様を完全に信用しているわけではありません。でも、ロゼリア様がこの街をどう変えるのかには興味を持っているようです」


 ヒルダはカップを持ち上げ、再び優雅に口をつける。そして、私を見つめながら穏やかに笑った。


「ロゼリア様の手腕を見極めたいのでしょう」


 それならば、受けて立つまでだ。必ずこの都市を変えてみせる。私はそう決意して、カップの紅茶を飲み干した。


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