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夫が死んだ(2)

「此度の死者、ルーディック・シェル・ライオネルを殺した犯人を裁かなくてはいけません。このシグベルが殺人者の首に縄をかけましょう」

「首はだめですが!?」

「……そうですね。両手に、です」


 墓地に埋めた棺にアンデッド化を防ぐ杭を打ち終えた途端、神士シグベルはそう言い放った。ダイダリーは裁きの神を主神する都市。その地で神に仕える神士が罪人を裁こうとするのも分かる。分かるけれど、この国において神士による私刑は認められていない。もしかしてこの男、やったことが……? いや、まさかね。


「シグベル様、それは衛兵の仕事なのでは……」

「ダイダリーの衛兵は優秀ですが、それはいつも犯人が見つかってからの話です」


 遠回しに「事件の解決能力は低い」と言いたいの?

 

 なんなんだ、この人。神士は神の声が聞こえると言うだけあって変わり者が多いらしいが、予想以上だ。


 あまりかき回されてもいけない。墓地を後にしてずんずんと進む彼を追いかける。教会に行くのかと思いきや、向かった先はライオネル家の屋敷だった。このまま家探しでもする気なのかしら……。


 屋敷の中に戻ると、葬儀に参加しなかった使用人達が慌ただしく片付けを行っていた。婚姻の翌日に領主が倒れたものだから、屋敷内はてんやわんやの大騒ぎだった。その喧騒は確かに耳に届いているのに、まるで現実味がない。


「ルーディック氏が亡くなられたのは昨日の夜から朝にかけて。その間皆様が何をされていたか、聞かねばなりませんね。ロゼリア様、お願いできますか」

「……ええ、分かりました」


 拒否をしても良かった。教会にそこまで踏み込まれる理由はないと追い出しても良かった。それをさせないのが、全てを見通すような彼の目だ。こちらを見透かすのに彼自身のことは一切覗かせない深い青。


 あの目にはきっと、神が宿っている。悪を裁く苛烈な神が。


 その圧に押され、私は言われるがまま昨晩この屋敷にいた人間を集めた。きっとここから一人一人話を聞いて……それで、そう、誰かが侵入者を見ていないか確認するのだ。そのはずだ。震えそうになる手を握り、呼吸を整える。貴族たる私が、この程度で臆するわけには行かない。


「昨日ですか? 強いて言うなら、夕食に毒を盛りましたよ! 風味が良くなるので! もちろん死ぬような量じゃありません」

(――なんですって?)


 料理長ギフティオの発言で私の覚悟は吹き飛んだ。待って、もしかしてずっとお腹が痛いのってそれのせいでは?


「私は不眠に悩まれているルーディック様に、深い眠りをもたらすお茶を……」


 それは本当に大丈夫なお茶なんでしょうね……。いけない、最初の発言が悪かったせいで執事のテオドアまで疑わしく見えてきた。


「ちなみにその葉を遠き帝国からわざわざ輸入したのが僕です。向こうじゃお薬代わりなんだって」


 ……旅の商人が何故領主の屋敷内に泊まっているのかしら。私付きとなった侍女にこっそり聞くと、彼はルーディックのお気に入りで特別に屋敷への出入りを許されているらしい。警備に穴を開けるなルーディック!


「俺は昨夜領主様の部屋には入ってない! 盗みに入ったのは別の部屋だ!」


 ちょっと従僕! 単純な窃盗犯の登場に私の頭はおかしくなりそうだ。続々暴露される事実に目眩がする。ふらりと倒れそうになる私を侍女が支えてくれた。


「私は彼の窃盗を知りながら見逃してしまいました……だって、例え犯罪者であってもクーゼルは大事な教え子の一人なのです」


 続く告白に立つ気力すら失った私が用意された椅子に体を預けていると、最後の一人が口を開いた。お願いだからこれ以上犯罪の話はしないでほしい。ちょっと受け止めきれない。


「昨晩、腹痛を訴えるルーディック様に痛み止めをお渡ししました」


 ああ、やっとまともな人が出てきた。ルーディックのかかりつけ医だという男……レイン・ヴェルゼ。切れ長の目につり上がった眉が特徴的で、抜き身の刃物のような印象を受ける人だ。医師にしてはまとう空気が物々しい。


 しかし私が倒れたルーディックを見て駆け寄った時も止めずにいてくれたので、そう悪い人ではないと思っている。言っていることも理にかなっているし、彼は信用できるかもしれない。


 今更ながら、本職の前で拙い身体活性魔法を使ってしまったことが恥ずかしく思えてきた。でもあの時は、嫁いだばかりの夫が死んでいるなんて想像できなかったのだ。


「本来なら腹を開いて体内の様子を確認したかったのですが」


 ……前言撤回しよう。この男も駄目だった。どこか楽しそうに腹を裂く話をしないでほしい。どんなに体調が悪くてもレインにだけは頼るまい、と胸に刻んでおく。


(まっとうな人間が……一人もいない……)


 次々と出てくる情報に、夫が死んだという感傷に浸る暇もない。まるで胃を締めつけられるような鈍い痛みがじわじわと広がっていくようだった。


「だいたい奥様だって怪しいじゃないか! 貴族の御令嬢を毒殺したって噂だぜ!?」


 突然庭師がそう叫んだ。一瞬で皆の視線が私に集まる。


「未遂です! いや違います、冤罪です!」


 慌てて否定するもその言葉が届いた気はしなかった。本当に私は何もしていないのに……。完全に犯人だと思われているが、私は自分が無罪だと知っている。令嬢は死んでいないし、私は毒を盛ってない。誰も聞いては、くれないけれど。


 部屋の中を包む空気に押しつぶされそうになりながら大きく息を吸う。目の前に並ぶのは好き勝手に罪を告白し、欲を露にする危険人物ばかりだと再認識した。その全員が今、私を試すような目で見つめている。神士であるシグベルですら、だ。裁定者もこの地において中立ではない。


(私はどうすればいいのかしら)


 頼るべきだった男は既に亡く。磨いた魔術も生まれ持った魔法も、有効な時はとうに過ぎ。今の私にできることは、決断だけだ。この穴だらけの状況からどんな結論を導き出すのか。それだけが問われている。


「話は、大体分かりました。従僕クーゼルの窃盗はしかるべきところで裁きましょう」

「ルーディック氏の死については?」

「…………不幸な、事故です。年齢もありますし、摂取したものが体に響いたのかもしれません」


 私は悩みに悩んだ結果、腹を括って彼らを受け入れることにした。貴族社会では犯罪者扱い、家族にも見捨てられやってきたのがこのダイダリーだ。どうあがいてもここから逃げることはできないのだから、いたずらに犯人を捜してかき回すよりは束の間の平穏を選ぼう。味方とまではいかなくとも、まず敵でないことを皆に示す。それが、私の結論だ。


「それがあなたの選択ですか。どうやら運命は決まったようです」


 運命? どういう意味だろう、とシグベルを見るが彼は何も答えない。ただその深い青で私を捕らえている。心臓が跳ねる音が耳に響くのを感じた。この先に続く言葉を聞きたくない。でも、聞かなければならない。


「本日、不幸な事故によりルーディック氏は亡くなりました。これでライオネルの名を持つのは彼女……ロゼリア・ケイ・ライオネル様だけ。彼女が、この贖罪都市ダイダリーの次の領主です」


 告げられたのは神士による領主交代の承認だった。葬儀の最中、それだけは避けたいと思っていたことだ。しかし彼が宣言したことで完全に退路が塞がれる。帰る家もない私には、領主を務める以外の道など残されていなかった。


「これからこの地を治めるのはあなただ。…………罪人にかける縄は、次の機会を待つとしましょう」


 そのシグベルの笑みで、自分が駒のように扱われていたことに気付いた。どこからか分からないが、彼の掌の上で踊らされていたような気がする。葬儀の時から? あるいは、昨日の婚姻の儀で初めて顔を合わせた時からなのか。それでも今はまだ、その手の上から飛び出すことはできない。


 身一つでこの地にやってきた私にとって、これは乗り越えなければならない試練なのだ。


「……謹んで、拝命いたします」


 その言葉を口にした瞬間部屋の中の空気が変わった。大きくうねり、新たな一歩を踏み出したことを肌で感じる。シグベルは満足そうに頷き、次に何をすべきかを指示し始めた。


 それを聞く私の心には新たな疑問が湧いていた。シグベルの目的についてだ。私を駒として動かした先に、いったい何があるのだろう。私は考え続けなければならない。考えることを放棄した結果辿り着いたのがこの場所なのだから、もう二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかった。

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