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知るべき影(1)

 昨日から領主としての仕事を進められていない。食後シグベルを見送った私は、一度執務室に戻って仕事を片付けることにした。ある程度は執事が助けてくれているが、彼に頼りきりでもいけない。ダイダリーの領主は私なのだから。

 

 そう思いペンをひたすら動かしていると、不意にノックの音がした。テオドアだ。私が何の用か問いかけると、彼は扉の向こうから答えた。


「領主様、商人のルカ・フィッツが謁見を求めています」


 ルカ・フィッツ。どこかで聞いた覚えもあるするが、はっきりとは思い出せない。疑問に思うものの、『商人』という言葉が引っかかった。今探しているセイラーは商人だ。そして、屋敷に出入りする商人は限られている。


(何か関係があるかもしれない……)

 

 商人同士、何か知っていることや繋がりがある可能性もある。これも何かの縁、と私は「通して」と短く返事をした。


 すると、扉が開くなり、まるで風が吹き込んだように軽やかな足取りで男が現れた。明るい茶髪に、猫のような瞳。飄々とした笑みを浮かべ軽やかに歩く様は、まるでどこにも根を張らぬ流浪の旅人のようだった。


「突然の訪問失礼します、領主様。ルカ・フィッツと申します」

「ロゼリア・ケイ・ライオネルよ」


 整った身なりに身軽な雰囲気。名乗った名前に馴染みはないが、見覚えはある気がする。じっと顔を見つめると不意に記憶が繋がった。


(確か、ルーディックのお気に入りだったという商人……?)


 葬儀や領主の就任で忙しくしている間に姿を消してしまった男だ。


(何故今になって?)


 そんな彼が改めて屋敷に来るということは、何らかの意図があるに違いない。まずは話をしてみよう、とヒルダを呼んで紅茶とちょっとしたお菓子を用意してもらうことにした。その間、彼に関することを少しずつ思い出す。ルカはルーディックが屋敷の出入りを許可するほどの商人であり――レインに、薬草の取引を持ち掛けた男でもある。間接的にルーディックの殺害にも関わったとも言える。警戒した方が良い。そう思いながら彼を見やると、ルカは人懐っこい笑みを浮かべた。


「今日は領主様にお話がありまして」

「何かしら」

「そう固くならずに。領主様がレインのことで僕に疑いの目を向けているのは分かりますよ? でも、僕が彼の計画にどれだけ関わっていたかといえば……ねぇ。僕はただ商人として商品を売った、それだけなんです」


 すっと肩をすくめる彼の表情にはどこか余裕があった。身の潔白を訴えるような切実さはあまり感じられず、逆に何かの材料にしようとでも考えているようだ。信用ならない男、と私はヒルダの淹れてくれた紅茶で喉を潤す。


「それを私に信じろと?」

「もちろん、信じるか信じないかは領主様にお任せしますとも。ただ僕はあなたとも上手くやっていきたいんですよ、ロゼリア様。僕達は協力できる、そうは思いませんか?」


(協力ね……それが本心なら、少しは信じてあげてもいいのだけれど)


 そんな気持ちを正確に読み取ったのか、ルカは目を細めてこちらを見た。狙いをつけた獣のような瞳をしている。


「例えばセイラーという商人に関わること、などでね」


 カップとソーサーがぶつからないよう、揺れそうになった手に力を入れた。何故それを知っているのか、どこで聞いたのか。動揺を悟られないよう紅茶を置き、ルカに向き直る。直接問いただしてもするりとかわされるだろう。そんな予感があった。


「……なんのことかしら?」

「あぁ、これは失礼。領主様が彼について調べているのは、秘密でしたね?」


 彼は唇に人差し指を当てて微笑む。単純に考えれば『お前の隠し事を知っているぞ』という脅迫なのだが、そう言った物々しい雰囲気はない。ただ自然体で、柔らかく、彼は私に向かって言葉を続けた。


「情報は商売道具です。それをお見せするのは、僕なりの誠意と思ってください」


 本当に誠実な人間はこんな人を食ったようなやり方はしないだろう。そう私が内心で呆れつつ見つめると、ルカは紅茶のカップを手に持ち軽く首をかしげた。


「今なら領主様の知りたいこと、おひとつ教えて差し上げますよ?」


 私は一瞬息を止めた。彼の言葉があまりにも軽い調子で放たれたからこそ、逆に重く響いた。『今なら』、『ひとつ』。そう言った言葉選びで私を焦らせているのだ。こういう時こそ冷静にならなければ。……シグベルなら、どう対応するだろう。ふとそんなことを思う。彼ならきっと、こんな揺さぶりには動かされない。私もダイダリーを守る領主として、簡単に揺らいではいけない。息を吐き、お腹に力をいれてルカを見据える。


「……あなたはそれで何を得るの?」

「直球ですね。じゃあ僕も正直に答えましょう。『信頼』ですよ、領主様。僕は、領主様からの信頼がほしい。ダイダリーは拠点の一つですからね、疑われたままというのは厳しいものがあります。公に屋敷の出入りを認めていただければ、それで十分ですので」


 つまり、ルーディックが生きていた頃のように扱ってほしい、ということかしら? もし彼が再び屋敷に出入りするようになれば、ルカを疑う視線は減るだろう。それは領主が彼を認めたということなのだから。それに、領主との取引は商人の地位を上げる。深い関係を築ければ優遇を受けられる可能性もある。私は今のところルカを懐に入れるつもりはなかったが、彼が得たいものは大体理解できた。……それがすべてだと思わないよう、注意は必要だけれど。

 

「なら、行動で応えていただきたいわ。信頼には理由が必要です」

「僕の持ってるセイラーの情報では、理由になりませんか?」

「その内容によります。どんな立派な器でも中身が空では意味がないもの」

 

 私が言い返すとルカはふふ、と楽し気に笑って、少し間を置いた。その目は鋭く光り、ぎらついている。正念場だ、と直感した。私はもう一度紅茶を飲み、呼吸を整える。相手の空気に飲まれてはいけない。


「では、これはサービスと言うことで。セイラーがただの商人でないことは察しているでしょうが……彼には、裏の顔と名前があります」


 ルカはそこで言葉を切り、まるで味見するように紅茶を一口飲んだ。裏の顔と名前――それが分かれば、調べられることはぐっと広がる。『別』ではなく『裏』と言うくらいだから、後ろ暗い部分に関わっているのかもしれない。心臓がドキリと跳ねた。例えば、闇市。例えば、呪いの品。知りたいが、危険な気もする。


「どうです? 少しは信用する気になりました?」

「…………先ほどまでよりは、ね」


 私が曖昧に答えると、ルカは目を細めて笑った。


「でも、それだけでは何も返せないわ。『裏の顔と名前がある』なんて曖昧な話、誰にでも言えることですもの。あなた自身にも、あるのではなくて?」


 軽く挑発すると、ルカは一瞬口元に手を当てて考える仕草を見せる。だがその目は油断なく私の出方を窺っていた。


「そうですね……なら、名前だけ先に教えるというのはどうでしょう」


(名前だけ、ね。妥協としては良いところかしら。名前だけでも調べられることはずいぶん増えるもの)


「いいわ。でもまずはあなたの情報が本物かどうか確かめさせてもらう。信頼はその後、これでどう?」


 ルカは「承知しました」と軽く笑い、紅茶を飲み干してから口を開く。彼の表情から、一瞬笑顔が消えたように見えた。


「セイラーのもう一つの名前は『クレイヴ』です。裏で動く時は必ずその名前を使います」


 しかし、それは錯覚だったのかもしれない。言葉を続けるルカは、先ほどまでと変わらない笑顔だった。


「これで少しは取引の価値を感じました?」


 『クレイヴ』。それがセイラーのもう一つの名前、そして大きな手がかり。口の中だけでその名を呟く。それは古語で『渇望』を意味する言葉。裏の商人らしいと言えば商人らしいが、逆に言えばルカがでっちあげることも可能な名前。私は表情を崩さず、淡々と返した。


「価値を付けるのは私よ。……少し時間をもらうわ。連絡先はどちらに?」

「商会に連絡してくれればいいですよ。ではまたお会いしましょうね、ロゼリア様」


 そう言って、彼はにこやかな笑みと大仰な一礼を残して立ち去った。足音が完全に聞こえなくなるのを確かめてから、私は大きく息を吐く。


(き、緊張したわ……! でも、まだ油断は禁物ね。本当に価値のある情報か、確認しないと)


 商人との取引、しかもこれほどまでに重要なことは初めてだ。上手くやれていたか不安になりながらも得たばかりの情報を手帳に書きとめる。『クレイヴ』――この名前を調べれば真実に近付けるかもしれない。淡い期待を抱きながら、私は冷めた紅茶を飲み切りソファに体を預けた。

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