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医師レインの診察(4)

 報告を待つ間に少し体調が戻ってきた。この分なら明日か明後日には仕事に戻れるだろう。大きく伸びをして、私はヒルダが持ってきた報告書に目を通す。屋敷の出入りについての記録と、屋敷の警備を担当していた衛兵の証言だ。よく訪れた人間や印象的だったことを中心に聞くよう頼んでおいた。


 几帳面な字は以前見たオリバーのものだ。忙しい中わざわざ聞き取ってまとめてくれたのね。時折「こいつは細かい」とか「いい加減な奴」と注釈を入れる荒い字はライルだろう。仲が良いようでなによりだ。


(これは結構助かるわね)


 どの部分に注目すればいいのか分かりやすい。特に気になるのはどの衛兵からも話が出てくる商人だ。屋敷の記録を見ると『セイラー』という名で他国からの輸入品を卸しているらしい。領主が気に入っていたようだ、という証言でふとある人物を思い出した。


 ルーディックが死んだ日にも、遠き帝国から薬にも使われるという葉を持ってきたと言う商人がいた。あの商人とセイラーは何か関係があるのだろうか?


(……可能性はあるわ)


 以前の商人がセイラーその人でなくとも、取引先や仕入れ元が共通していたり、何らかの情報を共有していたりする可能性はある。ダイダリーで商売を続けるなら、ライオネル家との関係は無視できないはずだ。


 いずれにせよ、商人たちの繋がりを調べる価値はあるかもしれない。

 

(…………少し、思考が飛びすぎかしら?)


 体調の悪い時に推論を立てるべきじゃない。今は情報を頭に入れておくだけにしておこう。ヒルダが剥いてくれたオレンジを食べ、水を飲む。微睡みたくなるような穏やかな昼下がり。私はどんな違和感も見逃さないよう何度も報告書を読み直した。


「気になるのはセイラーという商人と……やっぱりレイン様ね。別に医師はレイン様しかいない訳じゃないでしょう?」

「ヴィオラ様が信頼されておりましたから……」

「でもそういう相手は自分の妻に近づけたくないのが男というものじゃない? ルーディック様は、違ったのかしら」


 実際侍女達の間ではそういう……二人の関係を邪推するような話が出ていたと言うのだから、奇妙なものだ。私とヒルダが首を傾げていると、もう一人の侍女が声を上げた。


 テオドアが連れてきてくれた彼女はカーラ、かつてヴィオラに付いていた侍女である。


「ルーディック様は、ヴィオラ様にあまり関心がないようでした。とにかく子どもさえ産まれれば良いと言ったご様子で……」

「子を望むならなおさらではなくて?」

「ダイダリーでは、ライオネルの名があれば血は重要ではありません」


 その決まりは知っている。この地において、ライオネルの家名は何よりも重視される。その風習のせいで私は嫁いですぐ領主になってしまったのだから。


 ただ、納得ができるかと言えば別の話だ。もし私だったらどうだろう。子どもさえできるなら血が繋がってなくても良いとは、思えそうになかった。それなら最初から養子を取る方がずっと良い。


「ライオネルの存続を優先したということね……」

「…………あるいは、子のできない原因がルーディック様の方にあったか」


 私はふと疑問を覚えた。もしルーディックに原因があったのなら、ヴィオラの方はどうだったのだろう?


「カーラ、ヴィオラ様が体調を崩されたのはいつ頃?」

「……亡くなる、半年前頃からです。食事を残されるようになり、徐々にお痩せになっていきました。まるで……命そのものを、削られるような」


 カーラの言葉に、私は姿勢を正した。


「それは……単なる体調不良ではなかった?」

「分かりません。でも、ある時期からずっと、身体が重いとおっしゃっていました。あんなにお痩せになっていたのに……」


 今にも泣き崩れそうなカーラに、思わずヒルダと目を見合わせる。ルーディックの側に原因があったのなら、ヴィオラが弱っていったのは別の理由なのか?


 ――それとも、それこそが、何かの兆候だったのか。


「レイン様でも治せなかったの?」


 背筋を嫌な汗が伝う。私の問いに、カーラはゆっくりと頷いた。


「どんな治療も、効果が出ないと」


 ゾッとする感覚に鳥肌が立つ。医師のレインにも治せない体調不良……それに蝕まれたヴィオラは、どれほど苦しんだことだろう。私は腕を擦りながら強引に話を戻すことにした。


「……その時期、何か変わったことはあった?」

「……そうですね……強いて言うなら、商人の出入りが普段より活発だったかと」

「一年半前なら、取引の記録は残っているわよね。ヒルダ、その時期に購入したものを調べてちょうだい」

「……特に珍しい物が多かったので印象に残っています。皆子宝に恵まれると謳っておりました」


 ヴィオラ様の物はまだ残してあります、とカーラが言うので記録と共に持ってきてもらうことにした。動かせないような大きな物は屋敷に戻ってから調べれば良いだろう。


 次の予定を立てつつ思案していると、すぐに二人は戻ってきた。屋敷の隣にある診療所って便利ね、とつくづく思う。恩恵を受ける立場だからこそ、ここを市民にも解放したヴィオラ――ヴィオラ様の覚悟が見える気がした。


「ヴィオラ様がよく触れていたものを中心に持ってまいりました」

「こちらがその記録です」


 侍女二人の言葉を受け、私は帳簿と持ち込まれた品々に目を通す。鏡、櫛、薬……どれもそのまま残されていたというのだから驚きだ。売主には様々な名前があったが、やはりセイラーの名前もよく出てくる。


 一つ一つ確認していると、ある首飾りが目に止まった。繊細な意匠のところどころあしらわれた桃色の宝石が優しく輝いている。私の趣味ではないけど綺麗ね、と手に取ろうとしたところで違和感に気が付いた。


「これは愛の神の文様……? でも、酷く歪んでいるわ」


 一見そうとは分からないが、首飾りの中には神の文様が取り入れられている。ただそれは一部が捻じれたり逆さになっており、デザインの一部としては溶け込みながらも文様を歪めていた。


(文様は正しい形でないといけないのに……)


 魔術学校で受けた神学の授業を思い出す。その中で、神の文様は正確に取り扱わなければならないと厳しく教わったものだ。扱いを誤れば、罰が下ると。神の文様を刻む品は必ず教会の検閲を受ける必要があるとも聞いている。


「偶然、とは思えないけど……」

「記録には由緒ある品だと残っています。そうなると……意図的なものではないでしょうか?」


 ヒルダの言葉にも一理あった。この首飾りは、怪しい。売主を確認するとそこには『セイラー』の名。疑いを強めた私はまずこの首飾りを調べることにした。


 こんな時に頼りになるのは神士であるシグベルだ。教会まで呼んできてもらうことにする。


「何度もごめんなさいね、ヒルダ」

「いいえ、ロゼリア様のためですから」


 彼女が部屋を出たところでカーラに向き直った。彼女にはいくつか聞きたいことがある。


「この首飾り、ヴィオラ様はよく身に着けておられたの?」

 

 私は慎重に首飾りを持ち上げながら尋ねた。指先に冷たい金属の感触が伝わる。美しく輝く桃色の宝石は、光を受けて柔らかな輝きを放っていた。


 しかし、それに刻まれた歪んだ神の文様が、まるで異質な存在として浮かび上がるようだった。


「ええ。見た目を気に入っておられたのと、これもやはり子宝に恵まれるということで……」


 カーラは記憶を辿るように言葉を選びながら答える。彼女の表情には微かな躊躇いが見えた。ヴィオラ様にとって、このネックレスはただの装飾品ではなく、願いを込めたものだったのだろう。


「この文様には気が付かなかったのかしら?」


 私は首飾りを指でなぞりながら続けた。信仰心の篤い者なら、この違和感に気づいたはずだ。


「ヴィオラ様が信仰されていたのは医神カカムルでしたから、他の神についてはあまり詳しくはないかと」

「そうね……私もすべての神の文様を正確に覚えているわけではないわ」


 少し考えながら答える。神々の文様はそれぞれ厳格な意味を持ち、歪んだ形で刻まれることは本来あり得ない。もしヒルダの言う通り意図的にこうしたのなら、何かしらの目的があったのではないか?


「これは正確な記憶ではないのですが、ヴィオラ様が弱り始めた頃とネックレスを購入された時期は重なっていると思います」


 カーラの言葉に、私ははっとした。もしそれが事実なら、ヴィオラの体調不良は単なる病ではなく、この首飾りが関係している可能性がある。


「ありがとう、十分よ」


 私は軽く頷く。これだけの情報があれば、さらに詳しく調べる価値は十分にある。だが、もう一つ気になることがあった。


「そうだ、ルーディック様はどうだった? この首飾りのこと、どう思っていらしたの?」


 ルーディックがこれをどう扱っていたのかも重要だ。もし彼が何か異変を感じ取っていたのなら――。


「さぁ……そこまでは分かりかねます」


 カーラは少し困ったように眉を寄せる。彼女の立場では、領主であるルーディックの細かな言動までは把握できなかったのかもしれない。


 この小さな装飾品が、ヴィオラ様の運命を狂わせたのだとしたら――何者かの意図があるのではないか。ふと、そんな予感が頭を過った。

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