医師レインの診察(3)
控えめなノックがぼんやりとまとまらない思考を遮る。入室の許可を出せば、遠慮がちにテオドアが姿を現した。その後ろには荷物を持ったヒルダの姿がある。
「ロゼリア様、このような時くらいゆっくりされては……」
「そういう訳にもいかないの」
ダイダリーに来てから気付いたが、私は思い立ったらすぐ動きたくなる性分だったらしい。一度は目を逸らしたことを正面から突きつけられたのなら、できる限りのことをしたい。知りたい、と思った感覚を、もう自分では止められそうになかった。
「もう見て見ぬふりは止めました。教えて、テオドア。ダイダリーの……前領主夫人だった人について。私は名前くらいしか知らないの」
老執事はわずかに目を伏せる。何かを言い淀むその口は私を気遣っているのか、それともヴィオラを思っているのか。
「……ヴィオラ様は、とてもお優しい方でした。しかし、今さらどうして……」
私にとっては今さらではない。始まったばかりのことなのだ。レインの態度とシグベルの話が、眠らせていた違和感を呼び覚ました。
「優しい方……」
「ええ。いつも笑顔で、使用人や領民にも分け隔てなく……そうですね、慈善活動にも力を入れておられました。孤児院の子どもたちが満足に食事ができるようになったのは、ヴィオラ様のおかげです」
昔を懐かしむテオドアの声は柔らかい。もしかするとこのオレンジも、と私は籠に盛られた果物をひとつ手に取った。瑞々しく艶のある果実は、子どもたちにとってどれほどのご馳走となっただろう。
「それに、この診療所も。元々は貴族専門だったところ、領民にも門戸を開きました」
「反対もあったでしょうに……」
「そうですね。医師のレイン様がヴィオラ様を尊重し、尽力しなければなし得なかったことでしょう」
テオドアは目を細めて魔術式の描かれた壁を見やる。これを作ったのはレインだろうか? なんにせよ、二人の協力によって診療所が今の形になったのは間違いない。
困難を乗り越える男女二人――下世話な想像が浮かび上がる。口に出すのははしたない気がしたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「その……レイン様とヴィオラ様は……特別な関係、だったのかしら」
「古い付き合いだとは聞いております。そうでなくとも……強い絆があったことは、間違いないでしょう」
少し躊躇いながらもテオドアはそう答えた。強い絆。それは、領主と領主夫人の関係よりも?
「私はヴィオラ様にお仕えしてはいなかったのですが、侍女達の間ではずいぶん噂になっておりましたよ」
ヒルダがそう付け加えた。私の思うところを察してくれたのだろう。ヴィオラとレインの間には何かあると思われるような、そういう二人であったことが想像できた。
「でも、その話を聞くと、今のレイン様は……変わってしまったように、感じるわ」
シグベルの言葉を思い出す。テオドアの話からも、本当に以前の彼が良き隣人であったのは間違いがないようだ。それがどうしてああも嫌味な皮肉屋になってしまったのだろう。私が思わず呟くと、テオドアとヒルダは揃って顔を曇らせた。
「ヴィオラ様に、何があったの?」
「…………それを正確に把握しておられたのは、今は亡きルーディック様くらいでしょう」
テオドアが重々しくそう告げた。ヒルダもゆっくりと首を振り、詳しくは知りませんが、と付け足す。
「亡くなられる少し前からヴィオラ様は体調を崩され表に出ることが減っていました。度々レイン様に見てもらっていたようですが、良くはならず……」
そこで一度言葉が区切られた。二人は顔を見合わせ、言うべきか否かを迷っているようだ。無理に聞いている立場の私が急かすわけにもいかない。沈黙が病室を包みこむ。
気まずい空気を破り口火を切ったのは、その目に暗い光を宿したテオドアだった。
「ある夜、ルーディック様が医者を連れて来るように言いました。すぐにレイン様が呼ばれ……そして、ヴィオラ様が亡くなった、と。私が知っているのはそれだけです」
「私もそれ以上のことは……ただその時のレイン様が、まるで死んだのは自分であるかのような顔をしていらして……それは、よく覚えています」
執事と侍女は沈痛な面持ちで俯いた。よく考えれば、まだ一年と少ししか経ってないのだ。優しい領主夫人だったと言うならその傷跡も大きいだろう。
(……使用人達にとっての領主夫人は、まだヴィオラ様なのかもしれないわね)
今の私の立場は領主であるが、元は領主夫人としてこの地にやってきた女だ。そう思うと、彼らの見せる探るような視線や警戒は当然のものなのかもしれない。
私は視線を落とした。使用人達から信頼される主になるには、ヴィオラの件を放っておいてはいけない。彼女の死が、ルーディックの死にも関係しているならば尚更だ。
(いっそ直接レインに聞いてしまう?)
しかしまだ私は断片的な情報しか得られていない。レインなら何か知っているはずだけれど、いきなり問い詰めても警戒されるだけだろう。
結局こうなるのね、と溜息をつく。私の前にやってくるのはいつも穴だらけな情報ばかりで、その中から判断しなくてはいけなくて。でもそれで一歩でも進めるのなら、知りたいことに近付けるのなら……止まることは、できない。
「ヒルダ、ブレントを通してライルかオリバーに手紙が渡るようにしてちょうだい。ちょっとした調べものの依頼よ」
「ロゼリア様!?」
私は話しながらも書きつけていた手紙をヒルダに渡す。この都市で起こったことを聞くならやはり衛兵が一番頼りになるのだから。
「テオドア、ヴィオラ様に付いていた侍女はまだ屋敷にいる? いるなら話を聞けるよう手配して」
「え、ええ、おりますが……よろしいのですか?」
テオドアにはまた別の人を呼んでくるように命じた。ベッドの上でも、今の私にできることをしなければ。
恨むならレインの意地悪と意味深なシグベルを恨みなさい。それらが私を突き動かしたのだから。私は精いっぱい領主らしく声をはった。
「真実を知るべき時が、来たということよ」
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