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医師レインの診察(1)

『君がそんな人だとは思わなかった。君との婚約は解消だ、後日家を通じて連絡が行くだろう』


 吐き捨てるような元婚約者――アルベルトの言葉。


『お前はファスティオ家の恥だ!』


 耳鳴りがするようなお父様の罵声。何も言わないお兄様の冷たい視線。


『まぁ、ローズはお遊びが下手ねぇ』


 くすくすと笑うお母様と、それによく似たお姉様の横顔。


『ロゼリア様は恐ろしい人ですわ……』


 怯えながら、でもどこか楽しそうにお喋りしながら離れていく友人や侍女達。


 誰も私が犯人ではないと信じてくれなかった。お茶会で人のカップに毒を盛るなど、するわけないのに。


 ああ、行かないで。待って、私の話を聞いて! 追いかけても追いかけても彼らは離れていくばかり。地面が崩れていくような感覚。もう走れない、と思った瞬間足に枷が嵌められる。


 振り向けばそこにはにやりと笑う老齢の男……ルーディック・シェル・ライオネル。その笑みは影のようにまとわりつき、彼の手が私の喉元に迫る――


「来ないで!」


 そう叫んで目を覚ました。その途端視界が歪み、起き上がろうとしてベッドに倒れ込む。鼻をつくのは消毒液の匂いだ。私の寝室と似ている部分はひとつもない。


(あれは、夢? ここはどこ……?)


 きょろきょろと周りを見渡すとすぐそばにヒルダの顔が見えた。その目の下にはひどい隈ができていて、ろくに眠っていないだろうことが分かる。


「ロゼリア様! ああ、良かった……」


 ずいぶん心配をかけてしまったようだ。声をかけようとしたが、喉の痛みに声が詰まってしまう。ケホッ、と何度か咳き込むとヒルダが飲み物を持ってきてくれた。


「少し起き上がれますか? ゆっくりでいいので、お飲みください」


 ほんのり甘い液体が喉を潤す。思っていたより喉が渇いていたらしい。あっという間に器を空にし、私は改めてヒルダの方を向いた。


「ありがとう。それで、ここは一体……」


 真っ白で清潔なベッド。扉には出入りを制限するための魔術式が刻んであり、床や棚にも浄化の陣が書かれている。魔術学校の保健室を思い出した。もっとも、こちらの方が術式のレベルは高いが。余程腕のいい術師がいるのだろう。


「レイン様の診療所でございます。ロゼリア様が今朝酷い熱を出されていたので……」


 ……医師のレイン、か。出会った日のこともあり、あまり印象は良くない。寝ている間に腹を裂かれていたりしないでしょうね、と思わず腹部を撫でる。ヒルダが「食欲が出てきましたか?」と聞いてくるので首を振った。今のはそういう意味じゃない。昨日の夜はヒルダの作った軽食で済ませたから胃の中は空だろうが、何か食べる気分にはなれなかった。


「そうだったの。えーっと、レイン様はなんと?」

「極度の疲労だろう、と。ロゼリア様は働きすぎです。まさか衛兵の真似事までなさるなんて……それにお怪我まで!」


 そう言われると何も言い返せない。先日の衛兵の一件から昨日まで無理を押し通した自覚はある。商人の調査は衛兵に任せているが、私が動かなくてはいけない場面もあった。


 身体活性魔法も万能ではないからずっと体を動かしていればガタが来る。限界を見誤った私の失敗だった。大人しくヒルダのお叱りを受け入れ肩を落とす。

 

「ごめんなさい。でももう大丈夫よ、屋敷に戻るわ。ここは少し、落ち着かないの」

「それは私の診療所が怖いということですか?」


 不意にかけられた不機嫌そうな声に、発生源を見やる。するとドアのそばにはレインが立っていた。いつの間に入ってきたのだろうか。彼は私とヒルダの視線を気にすることなくツカツカと歩み寄り、そのまま椅子に腰かける。


「医者が怖いとは、領主様は随分とかわいらしいお方ですね」


 その皮肉気な物言いに腹を立てる気力もなかった。私は再びベッドに沈みながら、彼の言葉を受け止めることにした。体調管理を怠る領主など文句のひとつやふたつ言われても仕方がない。


「まったく、こんな状態で屋敷に戻るなんて言い出すんだから始末に負えない。一度腹の中を見てみたいものです」


 レインは大げさに肩をすくめ、私を値踏みするような目で見た。そのまま私の熱を測り、呆れたと言わんばかりにため息をつく。彼の視線が次に向いたのはヒルダだった。


「ヒルダさん、あなたも大変ですね。せっかく看病したというのに、主が無茶をするばかりで」

「私は……ロゼリア様がご無事なら、それで……」


「忠義者で結構。でも、そろそろ少し休まれたらどうです?  顔色が悪いですよ。これ以上患者が増えても困ります」

「……そう、ですね。少し外の空気を吸ってきます」


 ヒルダは私の顔を心配そうにのぞき込むと、一礼して診療所の外へと出ていった。彼女がいなくなると途端に心細さが襲ってくる。かといって呼び戻すわけにもいかないし……。私が未練がましく扉を見ていると、カルテに何かを書きつけていたレインの手が止まった。


「あぁ、そうだ。御気分はいかがですか?」


 まだ少しクラクラする、と私が答える前にレインが続ける。

 

「夫が死んで、領主の立場を手に入れた御気分は」


 ……なんて嫌な人! 私だって好きで領主になったわけじゃない。夫が生きていれば、そのまま領主夫人としての仕事をこなしていたはずだ。その方が良かったのかもしれないが、私のやることに大きな違いは感じていなかった。


「…………良いものでは、ありません。でも私には責任とやるべきことがある。それだけです」

「色々と動いているのは知っていますよ。ただ、前領主の死には関心がないようですね?」


 彼の言葉が私の心に不快な記憶を呼び起こす。目を閉じれば瞼の裏にあの日の光景が蘇るようだった。


(あれは、事故よ。不幸な……偶然が重なった、事故)


 でも、本当に? まだ息の合ったルーディックを『死んだ』としたのは誰だったか。調べることもできたはずなのに、私はそれをせずに今日まで来てしまった。


 怖かったのだ。領主の命すら奪う悪意が渦巻いていたことが。迂闊に触れれば自分にまで向けられてしまいそうで。私は目を逸らすことで、現実を受け入れた振りをしている。


「あなたは、何か知っているの?」

「……病人に話すことではありませんね。今はせいぜいゆっくりお休みください」


 それを知る時が来たのかもしれない――そう思ったが、問いかけるとレインは眉をひそめるだけですぐに引いてしまった。梯子を外されきょとんとしていると、ベッドサイドのテーブルに軟膏の入った器が置かれた。


「これはおまけです。首に塗れば傷跡もそのうち消えるでしょう」


 今度こそレインは部屋を出ていった。ふぅ、と無意識のうちに詰めていた息を吐く。怖い人だ。迂闊に触れれば切り裂かれそうな鋭さと、多くの秘密を持っている。特にここは彼のテリトリーだ。毒を盛られても気付けない。ああ、でも、怖いからといって遠ざけるだけではいけないのだろう。私は知らなきゃいけない。あの日自らの手で曖昧にした……真実を。


 だけど、今はただ眠たかった。ヒルダが戻ってくるまで寝てしまおう、と目を閉じる。今度は嫌な夢を見ないように祈りながら。


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