17.【シナリオクリア】大草原の小さな領主(Lv.1)
気が付けば、いつの間にか夜が明けていた。
私は冷たい川岸に寝ころび、しばし呆けたように空を見る。
雲は薄く、青く澄んだ朝の空。空気は冷たく冴えていて、清々しいより痛々しい。
重たい頭を少し動かせば、遠くに聖山の白い影が見える。
ノートリオ領南部、川岸。橋からだいぶ流された冷ややかな砂利の岸辺で、私は仰向けに倒れていた。
「あー……ひどい目に遭った…………」
隣で同じく倒れていたスレンが、同じように空を見上げて呟いた。
私はどうせ見えないと思いつつ、まったくだと頷いて同意する。
いやまったく、本当にひどい目に遭った。
真冬の凍るような川に落ち、氷を避けながら死ぬ気で――主にスレンが必死に泳ぎ、今は冷たい河岸の上。全身はずぶ濡れ。体はそれこそ凍るように冷たく、生きているのがまるで奇跡のようだ。
それでもまあ、生きてはいる。
橋での立ち位置や川の流れ、スレンの身体能力に期待した危うい賭けも、勝ってしまえばこっちのもの。
私は大きく息を吐くと、未だ立ち上がる気力もないまま、ちらりと隣に倒れるスレンを見た。
「ねえ、スレン」
呼びかければ、彼もまたちらりと私に視線を返す。
見た目だけなら端整な青年。他の大人より頭一つ高い背丈に、引き締まった立派な体。
それでいてちぐはぐな――そう、たぶん『あどけなさ』のある彼に向け、私はずっと抱いていた疑問を口にした。
「あなた、本当は何歳なの?」
「………………」
スレンは一度、ぐっと口をつぐんだ。
そのまま逃げるように視線を逸らし、気難しげに眉間に皴を寄せ、目いっぱいに渋い顔をしたあとで――――。
渋々。
本当に、渋々と言うようにこう言った。
「………………今年で、九歳」
九歳。
きゅうさい。
…………………………。
きゅ、九歳~~~~~~~~~~~~~~!!!!????
「子供じゃん!」
疲れも吹き飛ぶ衝撃の事実に、私は声を荒らげた。
いやだって、本当に子供じゃん! しかも『今年で』九歳ということは、実際には八歳じゃん!
魔物の幼体は大きくなるのが早いとは言うけれど、それにしたって早すぎる。どうりで精神年齢低いと思った!
っていうか、トビーと同い年!? この見た目で!? なんという詐欺!!!!
「うわー、うわー! どうりで、族長もドルジェもやたら過保護だと思った! ひよっこって、雛って、そのまんまの意味だったのね!!」
「うるさいうるさい! だったらお前はいくつなんだよ!!」
スレンが顔を赤くして、騒ぐ私を怒鳴りつける。
その羞恥心に染まった顔を横目で見やり、私は横たわったまま『むん』と胸を張ってみせた。
「七歳だけど」
「お前の方が年下だろーが!!!!」
私も今年で八歳だから、一歳しか違わんわい!
わっはははははははは!!
ははは――――と、そうやって白い息を吐きながら笑っていたときだ。
聞こえたのはいくつかの足音。近づいてくるざわめきの声。なにかを探すような会話と、誰かへの呼び声。
それから――――。
「――――ああ」
重たげな視線をざわめきに向け、スレンが渋い顔をかすかに緩める。
足音から少し遅れて現れたのは、雪を踏み分けやってきた数人の村人だ。
彼らは遠目から私たちに気が付くと、大きく目を見開き、すぐに大きな歓声を上げた。
「おおーい! いた! いたぞ―――――! 二人とも無事だ!!」
その声を聞きつけて、さらに足音が集まってくる。
駆けつける足音は、呼び声とともに私の耳に届く。
男の声、女の声、子供の声、村人の声、先住民たちの声。聞こえるのは、どれも聞き覚えのある声だ。
「――――領主さん!」
「領主様!」
「領主!」
それに――――。
「殿下ぁ!!!!!」
聞き馴染みのある、泣き出しそうな必死の声。
岸辺に仰向けになっていたスレンが、近づいてくる声たちを聞いて億劫そうに身を起こした。
岸辺に仰向けになっていたスレンが体を起こし、私の肩をぽんと叩く。
「――――帰るか、アレク」
空は青く、風は冷たい。
北からの風はなにもなくとも瘴気を孕み、触れる肌を痺れさせる。
仰向けのまま視線を向ければ、遠く北に、うっすらとした聖山が見える。
高い山の麓に位置するこの場所は、一年の半分が雪に覆われた寒冷地。
瘴気満ち、実り少なく、魔物蔓延る不毛の地だ。
それでも――――。
「みんな待っている。行ってやれよ、領主様」
冬は明ける。
春は来る。
朝の陽光に照らされた雪の下には、新しく芽吹く緑が見える。
私は凍り付いたような体を起こすと、川を背にして、雪と緑の混じる早春の草原に向き直った。
目に映るのは、草原で大きく手を振る村人たち。安堵したような護衛たち。スレンに呼びかける先住民。転がるように駆けてくる、ヘレナの姿。この小さな体には、手に余るほどの光景。
照り返す陽光の眩しさに、私は知らず目を細めた。
――――帰る、か。
頭の中で、聞いた言葉を噛み締める。
生まれてからずっと私が生きてきたのは、王都の荘厳な城の中。ノートリオに滞在したのは、まだ一年にも満たない期間。
だけど不思議と、私はスレンの言葉に頷いていた。
「………………そうね」
帰ろう。
この冷たい、不毛で、過酷な地へ。
私はこの大草原の、領主なのだから。




