16.君の道行きを選択しよう!(3)
――いつから。
たぶん、違和感に気付いたのはかなり早い時期だった。
そもそも、遊牧民が移動もせず、同じ場所に留まり続けていると聞いたときから、なにか『ある』のだろうとは思っていた。
引っかかることはいくつもあった。
身を隠すような集落。荒事を予期したように、女子供だけを遠ざけている状況。集落にいるのは成人した男性ばかりで、最年少らしきスレンも十分立派な青年だった。
だというのに、彼だけがまるで子供のように扱われている。同じくらいの年代の他の先住民もいる中で一人だけ、狩りにも行かせず族長と留守番だ。
その子供扱いを、奇妙なことにスレン自身も受け入れている。反発しながら、子供でないと言いながら、彼の言動はちぐはぐなくらいに幼かった。
確信したのは、間欠泉での一件だ。
彼のあの、異常なほどの身体能力。先住民たちにとってさえ致死量の瘴気の中を、平然と動き回る姿。他の人間が全員瘴気に呻くのをよそに、最も濃い瘴気を浴びていたはずの彼がピンピンしていたこと。
疑問をつなぎ合わせれば、答えは見えてくる。
なぜ、彼らは隠れ住んでいたのか。
なぜ、スレンはあれほど守られているのか。
なぜ、瘴気の中でも活動できるのか。
――――魔物は。
既知の生物に、よく似た姿を持つ。
ごく普通の兎がいるように、魔物としての兎がいる。
ごく普通の狼がいるように、魔物としての狼がいる。
ならばごく普通の人間がいるように、魔物としての人間がいてもおかしくはないはずだ。
他の先住民より、一回り大きな体。
思わず目を奪われるほどに端整な容姿。
普通の人間ではありえない身体能力。
すぐに成体と同じ体格にまで成長するという、魔物の性質。
魔物は魔物に狙われる。あるいは『人間の魔物』など、人間にすら狙われるだろう。
幼体であれば、なおさらだ。
彼が、どうして族長たちの集落に身を寄せているかは知らない。
族長たちがなんのために彼を守っているのかはわからない。
そのあたりの込み入った事情は、今の私にとっては二の次だ。
ただ、私は彼に声をかけた。
たった一言、これだけを。
『魔法の発動まで、何秒かかる?』
魔物の幼体は、魔法の発動までに時間がかかる。
見た目こそは成体と変わりないが、幼体は隙が大きく、狩りの対象に選ばれるほどには脆い。
ただでさえ、魔物は魔法の発動前後に隙ができるのだ。ここで狙われるわけにはいかない。
だから、前領主たちの注意を自分に引きつける。
前領主に釘を刺しながら、スレンの魔法が発動するまで時間を稼ぐ。
何気ない風を装い、魔法の直撃を避けられるだけの距離を取り、村人たちも魔法の巻き添えにならないよう橋から遠ざける。
魔法さえ発動すればしめたもの。
私たちが立つのは、氷でできた一夜橋だ。橋が落ちれば、彼らはもう追いかけては来られない。
もちろん、もう一度橋を作るか、あるいは川が再び凍る冬まで待つなら話は別だが――――。
「あなたでは、私を殺せないわ」
直撃こそ避けれども、爆風と衝撃で揺れる橋の上。
狙いを定められない弓兵を横目に、私は驚く前領主へ視線を向ける。
「同じ手は使えない。村人も、先住民も、魔物さえも味方につけた私に、正面から挑んで勝てる道理もない」
私を味方につけなければ、前領主の言葉は宙に浮く。
口八丁で、宙に浮くのだと思わせている。
だけど、彼は私を村から連れ出せない。ノートリオ領においては、私の方が彼よりはるかに優位にある。
少なくともこの状況で、彼はそう思わされたはずだ。
「で、殿下…………」
足元の氷にひびが入り、前領主が怯えたように私を見る。
私はその顔を見つめ返し、静かに、だけど確かな声で言った。
「嘘を吐き続けなさい、マーカス。それがあなたにできる、唯一の手段よ」
氷が割れる。
橋が崩れ落ちていく。
兵は弓を構えていられず、前領主が悲鳴を上げて逃げていく。
向こう岸の兵たちがおろおろとざわめく間にも、橋の崩壊が広がっていく。
私の足元もまたひびわれ、不吉な音とともに崩れ落ち――――。
「――――――アレク!!!!」
川へと落ちる寸前。
強い力が、背後から私の腕を引く。
大きな体が私を引き寄せ、守るように抱え込むのと同時に、私は凍てつく水の中へと落ちていった。




