14.村人たち
氷橋とは、その名の通り氷でできた橋だ。
木材で橋組だけを作り、その間にロープなどを渡したのち、上に雪を乗せて踏み固める。
これを原型としてさらに藁を敷き、水をかけ、凍らせることを繰り返して補強する。氷が厚ければ厚いほど頑丈なこの橋は、水が瞬時に凍るような寒冷地の冬にしか作れない。
だけど、木材の乏しいこの地でも生み出せる橋だ。
大河に架かる見事な氷橋に、私は圧倒されていた。
ノートリオと隣領との間に横たわる川は、狭いところでも川幅は百メートルを超える。
太古の昔にかけられたという橋も、前領主の手によって隣領側から破壊されていた。
すでに脆くなっていた橋は、一部を壊されることで半壊した。ノートリオ領側に残された部分も、せいぜい川の半ばまでしか届かない。
となれば、どんなに短く見積もってもあと五十メートルは橋を伸ばす必要がある。半壊して脆くなっている橋だけに、残っている部分の補強もしなければならないだろう。
前領主が橋周辺をどれほど警戒していたかはわからないが、さすがに昼間に作業しては人目に付く。それに、春も近いこの季節では、夜でもなければ氷橋を作れる温度までは下がらない。
つまり、作業時間は日が落ちてから現在まで。
護衛たちが馬を奪って駆け戻ってくるまでの間に、これだけの橋を作り上げた。
一人二人の力では不可能だ。十人、二十人でも難しい。
間に合わなければ、すべての労力が無へと帰す。貴重な木材を浪費して終わるだけ。
上手くいくかもわからないこの橋のために、だけど今、村人たちが集まっているのだ。
「ヘレナさんの説得にハワード先生やマーサさんが応じて、村の人たちに呼び掛けてくれたんです。なんとかしよう、なんとかしなくちゃって。自分たちの村のことなんだから、って。それで――――」
それで、村人たちの中にも少しずつ、賛同する人間が増え始めた。
なにかできることはないかと、話し合った。
トーマスが氷橋の案を出して、モーリスが材木を運ぶために馬車を出して、男衆が桶やら藁やらを積み込んで、女衆が野営のための準備をして――――それで。
「川の近くで野営を張って、俺たちが先行して関所に忍び込んでいる間に準備をしてくれていたんです。殿下が無事に、村へ戻って来られるように!」
顔を上げれば、対岸の影たちがこちらに気付いて手を止めている。
わっと聞こえるのは歓声だ。見慣れたいくつもの影が、馬を駆る私たちへと大きく手を振った。
すでに、先導する護衛が橋に足を踏み入れている。
その後ろに先住民たちが続き、スレンの駆る馬がその後を追う。カイルは少し速度を落とし、私たちの後ろに付いた。
「急いでください。全員が渡ったら、氷を割って橋を壊す予定です!」
その声に急かされるように、馬の足が氷を踏み、急ごしらえの橋が軋む。
危うい橋の上を、だけどたしかに進みながら、スレンが私を見下ろしてにやりと笑った。
「――――お前のその、つまらない考え方。改める気になったか?」
どこか挑発的なその物言いに、私は「まさか!」と首を振る。
人間の行動は損得勘定。無償の善意など存在しない。誰しもなにかしらの見返りを求めている。
だから私は計算する。人の感情、好悪、恩も恨みもひっくるめて、ゲームのように一つの数値に変換する。
それはわかりやすくて、やりやすくい。王宮での私を、紛れもなく守ってきた考え方だ。
間違っているとは思わない。変えようとも思わない。必要性すら感じない。
「でも――――そうね」
でも、私は不格好な橋から対岸を見据え、少しだけ付け加える。
よそ者同士の揉め事に、危険を冒してまで首を突っ込んできた先住民。
黙っていれば自分たちだけは助かっただろうに、それを投げ捨てた護衛たち。
私を救出することと引き換えに、唯一の逃げ道である隣領との繋がりを完全に断った村人たち。
自分たちがどれほど不利な立場に立たされたのか、わかっているのだろうか。
これがどれほど非合理的な選択だったか、わかっているだろうか。
このまま私を村へ連れて帰っても、問題が山積みであるということは――――。
たぶん、わかっていなそうだ。
歓声を上げる村人たちに、私は苦笑交じりのため息を吐く。
「世の中案外、私が思っているほどみんな賢くはないのかもしれないわ」
「…………ほんっとに素直じゃないな、お前!」
私が言えば、スレンが呆れ切ったような苦い声を上げた。
…………でも、まあ。
実際、私のような人間は必要なのだ。
素直な人間ばかりで社会は成り立たない。
努力はそのまんま報われる。頑張ったから上手くいく。なんの横槍も邪魔も入らず、このまま私を助け出してハッピーエンド――――なんて。
そんな素直に事が進めば、誰も苦労はしないのだ。
「――――――アレク!!」
対岸まであと二、三十メートルというところで、不意にスレンが私の体を引き寄せた。
次の瞬間、聞こえたのは、ヒュッと鋭く風を切る音。引き寄せられた私の眼前を駆け抜けた矢が、走る馬の首筋を射抜く。
「やば……っ!」
馬の悲鳴が響く。制御を失い暴れる馬上で、スレンが焦ったように私を抱え込むのと、私たちが投げ出されるのはほとんど同時。冷たい氷の上に叩きつけられ、一瞬衝撃で目の前が眩む。
眩む私のすぐ傍で、暴れ馬がわけもわからず橋から落ちる。ドオン、と氷を破る重たい音がする一方で、背後から駆けていたカイルが、すぐに止まることができず私の頭上を飛び越していく。
「殿下!!」
たぶん、それでもすぐに向きを変えたのだろう。
少し離れた場所から、こちらに駆け寄ろうとするカイルの声が聞こえるけれど――――。
「――――動くな」
それよりも早く、制止の声が響く。
痛む体で半身を起こせば、目に入るのは暗闇に浮かぶ火だ。
火が照らすのは橋の対岸。集まる人影と――引き絞られた弓の弦。
カイルは動けず、スレンが舌打ちをし、足を射られた馬が血を流す。
馬のうめき声の響く中、兵たちの間から歩み出たのは一つの影。
誰であるかは考えるまでもない。
松明を手に、こちらへの怒りと優越感を顔に湛えた前領主だ。
「動いてはいけません、殿下。村人たちを死なせたくないのであれば」
護衛を引きつれ前に出る前領主の背後。向こう岸から隣領の兵たちが狙うのは、私ではなくその後ろ。
私を待ち構えて対岸に集まっていた、村人たちだった。




