12.先住民
ところがどっこい、なんとちゃっかり生きている。
フィジカルモンスターの暴挙によって唐突に窓から飛び降りさせられたものの、私を待ち受けていたのは地面の衝撃ではなかった。
スレンに抱きかかえられ、落ちた先は地上一階。周囲に木の一本もない建物の裏側に用意されていたのは、分厚い布のクッションだった。
触れてみれば、かなりの密度のフェルト入り。色は白く、手触りは経年劣化でざらついている。なんとなく覚えのある感覚に首を傾げる横で、響いたのは低い怒りの声だった。
「――スレン!!!!」
地の底から響くような声は、不思議とどこか聞き覚えがある。
相変わらず首をひねる私をよそに、スレンはびくりとしたように飛び起きて、苦い顔で声へ視線を向けた。
追いかけるようにしてそちらを見れば、目に入るのは松明を手にした人影だ。
人影は数人。その中でもっとも大柄な影が、身を強張らせるスレンへと歩み寄る。
「■■■■■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
うーん、怒涛の怒鳴り声。何を言っているのかはわからないけれど、何語であるかはピンときた。
セントルムの言葉ではない。草原の言葉だ。
松明の火が揺れて、暗闇から現れた影を照らす。
「………………ドルジェ?」
光に浮かぶのは、度重なる取引ですっかり見慣れた厳めしい顔だ。
不愛想で、にこりともせず、友好的な態度だったことは一度もない。すっかりこちらを毛嫌いしているとばかり思っていた人物に、私はしばし呆気にとられた。
――…………なんで。
周囲を見れば、他の人影にも見覚えがある。
どれも、野営地で見た先住民たちだ。好意的だった相手も、とてもではないが好意的とは言えなかった相手も、落ちてきた私たちを見て駆け寄ってくる。
「■■■■■■!」「■■■■■■■!」「■■■■!!」
口々に何かを言うと、彼らは急かすように私たちを追い立てた。
スレンが慌てて布を回収しようとするのも制し、ドルジェが先導するように松明を持って先を行く。
それを他の先住民たちが追いかけて、さらにそれを追おうとスレンが呆ける私を拾い上げる。
「見つかってるから、回収している時間はないってさ」
苦々しく言う彼の頭上では、扉を破って部屋に乗り込んで来たらしい見張りたちが叫ぶ声がする。
窓からこちらを見下ろして、「いたぞ!」「こっちだ!」と人を呼ぶ声を背に、スレンは再び私を小脇に抱えて駆け出した。
あとに残されたのは、フェルト入りの重たい布だけだ。
おそらくはテント用の、修繕もできず取り換えることもできないまま、ボロボロになるまで使い古した貴重な布をそのまま置いて、先住民たちは私を連れて逃げ出したのである。
――…………なんで?
〇
わけがわからずとも、逃避行はなぜか続く。
夜の闇に足音は響き、曖昧な松明の火を手にして、一行は関所の出口を目指して走っていた。
先頭はドルジェ。少し遅れて先住民。私はその最後尾を走るスレンに抱えられ、なにもできないまま揺られているところだ。
自分で走ると言いたいけれど、どう考えても足手まといなのはわかっている。
背後にはすでに追手が迫っているし、正面からも騒ぎを聞いて兵たちが駆けつけてきていた。
それをドルジェが見た目通りのパワーでいなし、なんとか逃げ続けられている状況。
だけど追手はどんどん増え、響く兵たちの怒声は次第に近づいてきている。
スレンたちにとっては慣れない敵地。
関所の出口まではまだ遠く、このままでは追いつかれるのも時間の問題だった。
なのに、なぜだか彼らは未だ私を置いて行かないのである。
――なんで??????
どうせ手持無沙汰な荷物状態。切羽詰まっていても、頭は考えてしまうもの。
追い立てられての逃走中。背後から「この蛮族め!」「王女を返せ、ケダモノ!」などと叫ぶ声を聞きながら、私は一人ううむと首をひねっていた。
先住民である彼らが捕まれば、当然ながら命はない。
セントルム王国民でもない彼らに人権はなく、国の法も適用されない。そのうえ王女を誘拐したとあっては、問答無用の処刑である。
もしも無事に逃げ切れたとしても、今度は前領主の恨みを買う。
前領主は私を諦めないだろうし、そうなると邪魔な先住民の排除に動き出す可能性だって出てくるだろう。
それなのに、どうして私を助けるのだろう?
族長の甥であるドルジェがいる以上、独断専行だとは思えない。
だけどそうなると、族長はこのことを知っていて、わざわざ危険な聖地外に人をやったことになる。
私一人を助けるために。
集落全体を危機にさらすかもしれないのに。
これがどれほど危険な行為か、族長がわからないはずがないだろうに。
「――――実際さ」
疑問を抱く私の頭上で、スレンはぽつりと独り言のように呟いた。
「長は最初、断ったんだよ。お前を助けろ、ってあの姉ちゃんに言われたとき」
それは――そうだろう。
それが当然の返事だろう。
私だって、同じ立場なら断っている。
理由は考えるまでもない。
メリットがろくにないのに、デメリットが大きすぎるからだ。
たかだか異民族の子供を助けるのに、集落全体を危険にさらす意味などないのである。
「どうしてそんなことをしないといけない。そんな義理がどこにある。その頼みに、聞くだけの価値があるのか、て」
「正論ね。その通りだわ」
私が言えば、スレンがちらりと視線を寄越した。
この暗さでなにが見えたのか、少しして小さなため息が落ちてくる。
「そっちの村は動かないのに、どうしてこっちに頼めるんだ――って。長の態度に最初は俺も驚いたけど、話を聞けば理由はすぐわかった」
「理由?」
そんなもの、決まっている。私を助ける価値。損得の釣り合い。数字の計算。
でも、スレンはそんな私の考えとは、まるで違うことを言う。
「長は、怒っていたんだよ。それは道理が違うだろって」
「………………」
「お前を助けようとしない村の連中。それを受け入れるお前の侍女。剣を持つのに守らないお前の護衛。――みんな、お前がいたから今もここにいるのに」
スレンの声は静かで、淡々としていて、だけど少し力んでいた。
私を抱える腕にも力が入り、ぐっと痛いくらいに締め付けられる。
「なのに、どうして自分で助けない。どうしてできることをしない。どうして他人任せにしようとする。挙句――挙句、長の問いにアレクの身分だって。長はあの侍女に、『お前の依頼』を受ける価値があるか聞いたってのに!」
はっ、と笑うようなスレンの吐息に、なんとなく想像がつく。
たぶんヘレナは、長の真意を勘違いしたのだ。
長としては、『ヘレナ』からの依頼を受けるいわれはない。
村と集落という大枠としての交流はあっても、ヘレナはあくまで個人。しかも村人たちが救出に乗り気でないとなれば、ヘレナの独断による依頼だ。
ならばなぜ、その頼みを聞く必要があるだろう。なんの利点があるだろう。村としての依頼ならまだしも、たった一人の独断のために、どうして集落全体を危険に巻き込めるだろう。
いったい『お前』は、なんの理由で無関係な一つの組織を動かせると思ったのだろう。
いったい、なんと傲慢なのだろう。
セントルムでの身分も立場も、彼らにはなんの価値もないというのに。
「自分たちで動けないような連中の頼みは聞けない。あいつらのために、お前は助けられない。助けたとしても、あの村には渡せない」
荒い呼吸とともに、スレンは吐き捨てる。
足音は響き続ける。
夜の暗闇。慣れない敵地。私という足手まとい。
追手たちの声は、もうすぐ背後まで迫っている。
それでも、彼らは足を止めなかった。
「お前が正妃の子だとか、正統な後継者だとか、関係ないんだよ、俺たちにとってはさ」
私を抱えたまま、スレンは語る。
前を向き、息を切らせ、必死に追手から逃げながら。
「誰に頼まれたからじゃない。お前の身分のためじゃない。損とか得とかでもない」
強いて言うなら、きっと自分のため。自分たちの義理と、情と、意地のため。
スレンは抱え込んだ私を見下ろして、どこか胸を張るようにこう言った。
「俺たちは、俺たちの誇りにかけて、決して友を見捨てないんだ」
視線を上げれば、見えてくるのは関所の出口。
暗闇に佇む門の影が、あともう少しだと告げていた。
スレンは遠く門を見上げ、再び口を開き――――。
「それに――――」
そう言いかけて、ふと足を止めた。
なにかと思えば、先頭のドルジェが立ち止まっている。他の先住民たちも釣られて足を止め、その場から動かない。
なぜ――とは、思わなかった。
よくよくあたりを確かめるまでもなく、取り囲まれている。
――――先回りされた……!
考えてみれば当然。兵たちの方が、関所についてはよく知っているに決まっている。
関所と言うだけあって、ここは旅人を送り出し、受け入れる拠点だ。ノートリオが未開発の現在では、この場所こそがセントルム王国の最初にして最後の関門。簡単に人を通すわけにはいかない。
あたり一帯は広く塀に囲まれて、出口になるのは大きな門が一つきり。
ここを通らなければ、隣領に入ることも出ることも叶わない。
ならば、スレンたちが門へ向かうのは当たり前に予想できること。
大声で騒いでいれば、現在位置だってまるわかり。待ち構えるのはわけのないことだ。
つまりは絶体絶命。
目の前には剣を抜いた兵。背後からは、追い付いてきた兵たち。左右からも駆けつけてくる兵の声。
多勢に無勢。勝ち目はない。
だというのに、スレンは落ち着いていた。
殺気立って剣を構え、今まさに切りかかろうという兵たちを前に、彼が口にするのは話の続きだ。
それに、ともう一度口にして、彼は門の影を見据えて肩を竦めた。
「事情ってのは、変わるもんだ」
同時に、いくつもの音が響き渡る。
金属のぶつかり合う音。ドン、と鈍く重たい音。
誰かが倒れる音とともに聞こえたのは――――。
「――――――殿下! ご無事ですか!!」
意外にも耳慣れた音。
護衛カイルの、慌てたような叫び声だった。




