9.だけど助けなんて来るだろうか?
王妃の長子。国王の末子。
正当なる血筋。男児の代役に過ぎぬ女児。
王妃の実家という強い後ろ盾。内輪揉めでまとまりのない親族たち。
恵まれた才能。不気味な子。
前世の知識。可愛げのない娘。
思えば私は、王宮の人間たちにとってはずいぶん厄介な存在だったことだろう。
国王も王妃も高齢に差し掛かり、新たな子を授かるのは難しい。
しかし国王には愛妾たちの子がすでに何人もいて、その半数以上は成人済み。なかなか子を授からなかった王妃に代わり、彼らは次期国王と目され教育も受けてきた。
派閥が作られ、兄弟同士で対立し、愛妾以外と成した非嫡出子まで含めた激しい後継者争いは、しかし待望の王妃の長男誕生によって決着がつけられた、はずだった。
三年前、弟は死んだ。
多くの人々に望まれ、祝福されて生まれてきた王妃待望の男児は、不慮の事故で呆気なく逝ってしまった。
以来、弟の後釜にと引っ張り出されたのが私だった。
母たる王妃は次の男児を望み、父たる国王は愛妾の愛しの息子たちに後を継がせたいと望んでいるにもかかわらず、否応なしに表舞台に立たされた。
ほんの数日前までは、貧乏くじを引かされた鈍臭い田舎娘以外の誰も、私を顧みることはなかったというのに。
王家の伝統にのっとり、王位継承者の証たるブローチは弟から私の手に渡った。
困難を退け、無事に成長するようにとの願いが込められたブローチは、私の周囲を一変させた。
絶対的な正当性を持つ男児がなくなり、次代の王の座は宙に浮く。
もとより激化していた後継者争いに置いて、私の存在は新たな火種だ。
正当性で言えば王妃の子である私でも、こちらはまだ十にも満たない女児。対する妾の子らはすでに分別のある成人した男児が複数。幼いころから教育を受け、誰もがそれなりの才覚も持っている。
正当性を盾に私を王位につけようとする人間に、『幼すぎる』と誰かが異を唱える。
愛妾たちの長男を王位につけようとする人間に、『王妃の子を差し置いて』と誰かがまた異を唱える。
愛妾の子らを、一時的な代理の王とするのはどうかと言う。そのまま乗っ取るつもりだろうと反発が出る。後見人をつけて私を女王にしろと言う。傀儡にするつもりだろうと糾弾される。
国は宗教上の理由から側室を持てない。
離婚を求める周囲の声に、男児に固執する王妃は耳を貸さない。
王は六十を超えて枯れ果て、かつての節操のなさが見る影もない。
正当な血筋はもはや私一人だけ。次代の王の世に居場所を求める人々は、良くも悪くも私を見る。
貴族たちの関心。たくさんの贈り物。仲良くしたいと近づく子息や令嬢。世話係が増え、教師が山ほど付き、護衛はそれ以上に付いた。
褒め言葉をたくさん聞かされた。私のためだと叱る人間がいた。見返りは要らないと親切にされた。優しくされた。甘やかされた。期待された。羨まれた。望まれた。
妬まれた。恨まれた。憎まれた。嫌われた。蔑まれ、死を願われた。それを隠して、笑顔を向けられた。
これまでの無関心が、まるで嘘だったかのように。
腹は立たなかった。悲しくはなかった。失望しなかった。嬉しいとも思わなかった。
ただ、ああそうか、と思っただけだ。
これが、かつて弟が向けられていた視線だ。
望まれ、慈しまれ、愛されていたのは、弟ではなく弟の持つ『価値』でしかなかったのだ、と。
王妃にとって大事だったのは、弟が男児であることだ。
そうでもなければ、こうも簡単に次の男児に固執しない。
国王にとって関心があったのは、弟が後継者争いを終わらせたからだ。
そうでもなければ、弟自身の死ではなく、火種が増えたことだけを嘆きはしない。
昨日まで弟に媚びていたのに、今日からは私に取り入ろうとする貴族たち。まるで生まれたときから付き合いがあったような顔で、私に近づく親族たち。手のひらを反す使用人。ずっと仲良くして見たかったとうそぶく令嬢令息。こんなことをしてやったんだと、恩を押し付けてくる有象無象。
異母姉たちでさえ、これまでずっと無視をしていた私たちに嫌がらせをするようになった。
異母兄たちは、弟に向けていた憎しみをそのまま私に挿げ替えた。
嫉妬さえも、弟自身のものではない。生まれついて愛されていた弟は、だけどきっと、そのことには気付かなかったのだろう。
だから弟は死んだのだ。
――馬鹿らしい。
周囲に人が増えるとともに、いつの間にか感じるようになった奇妙な視線。食事の際には必ず付くようになった毒見役。たびたび覚える部屋を荒らされたような感覚に、椅子に仕込まれていた毒の針。ナイフを袖に忍ばせ微笑むメイドと、危機に駆けつけない専属のはずの護衛たち。
犯人は、異母兄姉とは限らない。私を邪魔に思う人間は山ほどいる。慈しむような顔で近づいてきても、そこには利害しか存在しない。
無償の愛。人の善意。親切。好意。
そんなもの、信頼する方が間違っているのだ。
人が誰かを助けるのは、自分にとって見返りのあるときだけ。そうした方が、自分に有利だからというだけ。
人の行動を左右するのは、ただひたすらに『価値』の重さのみ。
だから計算する。だから損得を考える。
自分の存在、立場、行動。誰かに与えた行為、誰かにされた行為、そこで動く感情も、すべて数値に換算する。
恩も恨みも一律計算。好意も悪意も、私にとっては大差ない。ゲームのようにひとつひとつを足し引きして、おかげでこうして生き延びてきたのだ。
今回だって、それと同じ。
――助けが来るとは思っていない。求めていない。期待してもいない。
嘘ではない。強がりでもない。これはまったくの本心だ。
だって計算上、誰が私を助けたとしても、損得の数字が釣り合わない。
ならば助けに来ないのは当然で、期待して待つほど無意味なことはないのである。
かといって、前領主の言いなりにもなりたくはない。
どうやってジョナスを言いくるめたのかは知らないけれど、どうせすぐに化けの皮ははがれる。ジョナスは押しに弱くとも愚かではない。今の状況に、違和感を覚えていないはずはないのだ。
泥船の野望に付き合う気はない。
誰が助けに来なくとも、こんな状況くらい自分でなんとかする。
今まで、ずっとそうやってきた。
これからだって、ずっとそうやっていける。
誰に頼ることもなく、ずっと――――。
〇
そこで、ぱちりと目が覚めた。
隣領に囚われてから、早一週間。なんとかブローチの在りかを聞き出したがる前領主をあしらいつつも、脱出のための進展はないまま一週間。
ままならない日々に悶々としつつも夜はきっちり寝ていた私は、思いがけない覚醒にベッドの上でしばし呆けていた。
部屋は暗く、関所は静かで、時刻は紛れもなく夜。
普段なら中途覚醒などしないのに、どうしてこんな時間に目が覚めてしまったのか。
いや、どうしてもなにも、理由は考えるまでもなかった。
――――寒い!!!!!!!!
窓が開いていて、風が吹き込んできているのだ。
ここはノートリオ領に最も近い隣領最北の地。四月とはいえ雪も降るし、夜はとことんまで冷える。窓など開けて寝ようものなら、うっかり凍死だってしかねない。
というわけで、寝る前にはきっちり戸締りをしていたのだ。
なのになぜ、窓から風が吹き込んでいるのか。
まったくわけがわからずに、私は震えながら窓辺に目を向けて――――。
「あ」
「えっ」
窓枠に足をかけ、侵入を試みる不審者と目が合った。
窓の外には月。まばらに散らばる星明り。
闇に慣れた目は、不審者の影をぼんやりと浮かび上がらせる。
大きな背丈。端整な輪郭。夜に溶けるような黒い髪。奇妙な服のシルエット。
見覚えがあった。
「………………なんであなたがここにいるの、スレン」
呆気に取られて呟けば、影はムッとしたように眉根を寄せた。