6.幽閉中は行動が制限されるぞ(2)
しかし、よろしくなくとも入ってくるのが前領主という人物。
私が返事をするより先に、彼はさっさと扉を開けて部屋へ入ってきてしまった。
「ごきげんよう、アレクシス殿下。調子はいかがですかな?」
「礼儀がなっていないわね、マーカス。それとも、女性の部屋に許可なく入るのがノートリオ流かしら?」
というか、内鍵かけているのに入ってくるなや。
まあ、合い鍵なんて当たり前のように前領主が持っているんだけどね。隣領領主のジョナスも持っているし、部屋の掃除やら私の世話やらをするためにメイドたちでさえ持っている。プライバシーってなんだっけ?
「やれやれ、どうやらご機嫌斜めのようでいらっしゃる。ご安心ください、私は紳士ですので」
「へえ、ここでは礼儀知らずを紳士って言うのね。勉強になったわ」
知らなかったー。
いやあ、ところ変われば常識が変わるというけれど、お猿さんを紳士と呼ぶ世界もあるんだね。
などと感心して頷けば、前領主のこめかみが引きつった。苛立ちにぴくぴくと口角を震わせているあたり、相も変わらずの煽り耐性の低さである。
――いえでも、実際に無礼極まりないでしょ、これ。
一方の私は、距離を取るように窓辺に寄りつつも、冷めた目で前領主を見据えていた。
女性の部屋に勝手に入る時点で、紳士を名乗る資格無し。だいたい、今は朝の割と早い時間。すでに身支度を済ませていたからいいものを、もしも着替え中だったらどうするつもりだったんじゃい。
――……別に、どうするつもりもないんでしょうね、きっと。
だってこっちはまだ七歳。所詮は幼い子供である。
着替えなんて見たところでどうということはない。自分はどうとも思わないし、ならば気を使う必要もないはずだ――と、きっと思っていることだろう。
女性に対する気遣いをしないのは、そもそも私を女性と思っていないから。
こんな無茶苦茶なことをしておいて話ができると思っているのは、それだけ私を馬鹿にしているから。
これだけ煽り散らしても本気で怒らないのは、つまりは私を対等な相手だと思っていないからだ。
事実、前領主は頬を引きつらせながらも、どこか余裕のある顔で私を見下ろした。
「まったく、殿下はとんだ跳ねっかえりですなあ。まあ、大人に反発したくなるのも子供らしさというものでしょう」
うーん、舐め腐ってる。ムカつく!
「ですが、聡明な殿下ならおわかりでしょう、反発しているだけではどうにもならないと。――どうです? 今一度、落ち着いて私と話をしてくださいませんか?」
ムカつく私はさておいて、前領主は『どうです?』などと言いながら、すでにソファに腰かけている。
しかも我が物顔で向かいのソファを私に勧めているあたり、断られるなどとは思ってもいないらしい。
もっとも、私が断ったところで素直に出ていく気など毛頭ないだろう。
なにせあちらは、子供である私をべろっべろになめ切っているのだ。
――どうしたものかしらね。
正直、第三者のいない状況で前領主と会話をすることに、あまりメリットは感じない。
こっちの意見を聞き入れるとは思えないし、このタイプは基本会話をするだけ無駄。せいぜい、煽って留飲を下げるのが関の山である。
一方で、この男が居座ると決めた以上、私の力で追い出すことも難しい。
外の見張りはおそらく前領主の味方。ここで誰か呼んだとしても、前領主の影響下にある人間しか来ないだろう。
しかし、じゃあ無視を決め込むとしたところで――。
「まずは、殿下には私への誤解を解いていただかなければなりませんからね。村の連中はずいぶんと私のことを悪し様に言っていたでしょうが、それがすべての誤解のもと。殿下にはお辛いことでしょうが、村の連中は偽りで殿下を騙して――――」
こうなるわけだ。
勝手に話し出す前領主に、うんざりと首を振る。
「その話はもういいわ。どうせ『村人が悪い、自分は悪くない』しか言わないんでしょう」
話をしたい相手ではないけれど、こうなった以上は仕方がない。
どうせ黙っていても、聞くに堪えない話をされるだけ。せめてなにかしら情報が引き出せることを期待して、つついてみるしかないだろう。
「あなたのやり口はだいたいわかるわ。同じことを繰り返し言い張って、こっちが根負けするのを待つだけでしょう。理屈にならない理屈でも、何度も言われれば刷り込まれるものだものね」
まあ、よくある洗脳の手口である。
ポイントはまったく会話にならないこと。話しても無駄だと思えば相手も反論しなくなり、つまりは自分だけがしゃべり続けられるのだ。
あとはスピーカー状態で、無限に自分に都合のいいことだけを垂れ流し続けるだけ。反論をシャットアウトされた状態で、同じことを何度も何度も何度も聞かされ続けて、揺らがずにいられる人間なんてそうそう多くはないのである。
「それで私を丸め込んで、ノートリオの惨状の言い訳をするつもりなのでしょう? 王女を救出するためだったと言えば、まだ面目が保てると思ったのでしょう? ――そのために、こんな状況になってもまだ、国へ事態を報告していないのでしょう?」
「………………」
おっ、前領主の顔が強張った。痛いところを突いたかな?
というか、今まで当たり前のように『報告していない』前提で考えを進めていたけど、やっぱりそうだったんだね。
それともこの反応ということは、もしかしたら虚偽の報告でもしていたのかもしれない。
私のような嫌われ者の王女はさておき、普通の王女が相手なら実際これは大問題だ。
前領主の主張の通りであれば、王女は村人たちの手によって過酷なノートリオ領に取り残されたことになる。卑劣な村人は橋を落とし、王女を村に閉じ込め、人質にした。前領主は冬が明けるまで手も足も出ず、自力で王女を救出することもできなかった。
そんな状況で、半年以上もの間黙っていた。それどころか、偽りの報告で隠蔽していたのだ。開拓失敗なんて目ではないほどの大失態である。
これが知られれば、前領主も失脚程度では済まないだろう。まず間違いなく罰せられることになるはずだ。
それも王族の危機に虚偽報告。叛意ありと見なすには十分。囚われた王女が私でさえなければ、首の一つ二つは飛んでもおかしくはなかった。
――まあ、私の場合はむしろ死んだ方が感謝されそうだけど。
なにせこっちは嫌われ者。王宮における厄介なお荷物だ。
おそらくノートリオに送られた時点で、『あわよくば死んでくれないかな』くらいは期待されていただろう。
もっとも、そんなことをわざわざ言う必要もなし。
私は素知らぬ顔で、前領主へと語りかける。
「要は、私が口裏を合わせるかどうかがあなたの進退を決めるのよ。そのことをよく自覚したうえで、まずは女性の部屋に入るときのマナーを学び直すことを勧めるわ」
もちろん、マナーを良くしたところで口裏なんて合わせる気は毛頭ないけどね。
前領主には、恨みはあれど義理はなし。なんで私が、わざわざ村人を犠牲にして前領主を助ける真似をしなけりゃならんのか。領主を名乗るつもりがあるのなら、さっさと国に自分の失態を白状して今から事態の収拾を付けんかい。
そう思いつつも前領主を見れば、彼は口をつぐんで肩をぷるぷる震わせている。
さらには両手を握りしめ、その手もぷるぷるさせている。
うーん、この論破ゲーム、ぬるすぎる。最序盤のチュートリアルかなにか????
「………………………………」
――――とはいえ。
「………………………………どうやら」
とはいえ、私自身わかってもいる。
こんな論破なんて、いくらしたってこの状況では意味がない。
「あなたは、私が思っていた以上に生意気なようだ。ずいぶんと、周りから甘やかされていたようで……」
ぷるぷる震える前領主の口から、押し殺したような声が漏れる。
顔は怒りで歪みながらも、私を見る目に未だ余裕を残しているのは、自分の絶対的な優位を自覚しているからなのだろう。
「ですが、ここにはあなたを甘やかす者はいません。口は達者なようですが、自分の立場を理解していないあたりはやはり子供ですなあ。ならば大人として、私があなたに身の程を教えて差し上げるべきでしょう」
言いながら、前領主はソファから立ち上がる。
足を向けるのは、私の立つ窓際だ。彼は私ににじり寄りながら、薄ら笑いとともに肩を竦めた。
「おわかりですか? あなたはもう、私の手の内にいるのです。どれほど反発したところで、あなたをどう扱は私次第なのですよ」
「………………」
「意地を張るのもけっこう。ですが、いつまで意地を張り続けられますかね? あなたのわがままを許す人間は、ここには一人もいないというのに」
それとも――と言って、前領主は無言の私の前に立つ。
顔には優越感の笑み。嘲るような瞳の色。口調はまるで子供に言い聞かせるかのようだ。
それでいて、声は勝ち誇ったかのように、高らかにこんな言葉を吐く。
「それとも、誰かが助けに来るとでも? あの臆病な村人どもが? 弱腰の陰気なハワードが? たった数人の護衛たちが? ――――まさか、野蛮人どもの襲撃なんぞを期待してなどはいないでしょうなあ!!」
………………うーん。
自信満々になにを言うかと思えば、そんなこと。
そんなの、考えるまでもないのに。




