5.残された村はどうなっているだろう(2)
そもそも大前提として、村人たちは前領主マーカスの選抜を受けた人々なのだ。
貴族三男のプライドと劣等感を拗らせ、自分は優秀な人間なはずだと根拠のない自信を持ちつつも、失敗には耐えられない無責任な臆病者。そんな人物が傍に置くのは、太鼓持ちか押しに弱い小心者、あるいは疑うことを知らない素直な子供、もしくは――――。
力尽くで押さえつけられるような、自分よりも圧倒的に弱い者たちの他にない。
「…………だって、ねえ……?」
「そりゃ、あたしらだって助けてやりたくないわけじゃないけどさ……」
「でも、あたしらはただの村人なんだよ。なんの身分もない、力もない……」
「隣領にいるってことは、あっちの領主もあいつの味方なんだろ? それじゃあ、俺たちが行ったところで出来ることなんて……」
「そもそもあの野郎、俺たちを見殺しにするつもりだったんだ。今回歯向かったら、今度こそ殺されるに決まってる……」
「あのクソを追い出すのと、自分から行くのは話が別だろ……? わざわざ罠にかかりに行くようなもんじゃねえか……」
村人たちは消極的な顔を見合わせると、ぼそぼそと小声で言葉を交わし合う。
顔には恐れと怯えの色。声には罪悪感と言い訳の響き。罪悪感はありつつも腰が引けた態度。
できればこのまま、何事もなくやりすごしたい。
そう思っていることが、なにも言われなくとも痛いほどに伝わってくる。
「で、でも、このままじゃ殿下が……!」
アレクシスはマーカスに捕まっている。彼女一人では逃げられない。
ならば、このまま見過ごすことはできない。アレクシスの身になにがあるかわからないのだから――――。
「…………だけど、王女なら殺されることはないだろ?」
焦るヘレナの耳に、ぼそりとした声が届く。
まるで幻聴のようにささやかで、なのに聞き逃すことのできない、ほの暗い実感のこもった声だ。
ぞっと背筋が寒くなる。血の気の引いた顔で村人たちを見回しても、彼らはこちらを見もしない。
「それは……でも……だけど…………!」
「――――ヘレナさん」
それでもなんとか説得できないかと言葉を探すヘレナに、呼びかけたのは護衛の一人だ。
四人いる護衛たちのリーダー格。最年長の小柄な男が、わずかに声を潜めて諭すようにこう言った。
「実際問題、彼らの言う通りだ。マーカス閣下は、殿下を攫っても手にかけることはないだろう」
「………………」
それは――――そう。ヘレナも、その通りだと思う。
マーカスにとって、アレクシスは利用価値がある。一方で、アレクシスを失うのは痛手でもある。
彼の立場としては、信頼して王女を預けられた身だ。やむを得ない事情で失ったと言い訳はできても、世間からの非難は避けられない。
特に隣領に身を預けている今、隣領の領主の目もあるはず。彼はきっと、アレクシスを生かしたいと思うはずだ。
「それに――言ってしまえば、これは予定通りでもある。殿下はもともと、閣下に預けられるはずだった。少し事情は変わっているが、結果的には元に戻っただけだ」
それも――――そうかもしれない。
本来の予定では、アレクシスはマーカスの庇護下に置かれることになっていた。
アレクシスには、もとより行動の自由がない。マーカスの管理下でしか動けないはずだったのだ。
「俺たちも、本来なら殿下から閣下の配下に移る予定だった。敵対する理由はない。そもそも傍から見れば、反乱を起こした逆賊は村人の方だ。――ここで殿下を村に取り戻しても、逆賊の村に捕らえられたと思われるだけだ」
彼の言葉は――正しい。たしかに正しい。
もとより最初から、まっとうな状況ではなかった。領主を追い出した村人に、実権を持つはずのなかったお飾り領主。いびつなままに進んだ村は、いつかどこかで清算が必要だった。
反乱は重罪だ。
領民に反乱を起こされた領主は嘲笑され、あるいは能力不足として実権を取り上げられるだけだが、反乱を起こした領民の方には刑罰が待っている。
恩赦が与えられるかどうかは、次に就任する領主次第。多くの場合は危険因子として、極刑になるか重罪人として一生過酷な労役が課されることになるだろう。
わかっている。
「要は、意味がないんだ。ここで殿下を無理やり取り戻したところで、どうせすぐに国が手を出してくる。――それくらいなら、今のうちに対立せず投降した方がいい。どうせこちらに勝ち目はない。殿下の配下である俺たちなら、閣下も無下にはしないはずだ」
わかっている――――けど。
「上手く立ち回れば、村人の減刑も望めるかもしれない。ただ、余計なことさえ言わなければいいんだ。俺たちや殿下が、大人しくさえしていれば――――」
「――――殿下が」
だけど、ヘレナは頷けない。
護衛の言葉を遮ると、彼女はこぶしを握り締める。
彼の言葉は正しい。実に真っ当である。なんならヘレナだって、さんざんアレクシスに似たようなことを言っていた。
隣領に助けを求める。国に事実を訴える。それはノートリオ領の真実を晒し、マーカスの愚行と村人の罪とつまびらかにすることだ。
村人は裁かれ、ノートリオ領開拓は中断し、マーカスは失脚するだろう。
アレクシスは王都に戻り、再び王城で暮らすことになり、この危うくも彼女にとっては楽しい生活は終わるだろう。
そんな真っ当なことが――――。
「殿下が!!! 大人しくしてくださるとお思いですか!!!! この状況で!!!!????」
起こるわけがない。
それで話が済むのであれば、誰も苦労なんてしないのだ。
「逆賊!? 減刑!!!?? 殿下が領民を罪人にされて、納得するわけないじゃないですか!!!!!!」
「へ、ヘレナさ――――」
「もういいです! わかりました! みなさんで駄目なら、他を当たります!!」
たじろぐ護衛のリーダーに、ヘレナは大きく首を振った。
もう一刻の猶予もない。アレクシスはマーカスの手に落ちて、じきに隣領に入るだろう。
アレクシスは一人、敵陣の真っただ中。怯えて震えてもいないだろうし、不安でなにも言えないなんてこともないだろうけれど――。
彼女はまだ、たったの七歳だ。
誰が助ける気がなくとも、彼女自身が助けを望んでいなくとも、せめてヘレナだけはあの子を助けてやらなければならない。
覚悟を決めるように、ヘレナはぐっと奥歯を噛み、大きく息を吸い込んだ。
「誰か、私を案内してください! あの蛮族――――先住民の住む集落に!!」




