43.【イベント】いなくなった村の子供を捜せ!(10)
「―――――おい! バカ待てコラ!」
滑り降りる小さな影に向かって、スレンは慌てて声を張り上げた。
だけど、それで止まる相手でないことは、もう散々思い知っている。手を伸ばして引き留めようにも、彼女はすでに雪の中。どうやっても届かない距離だ。
――無茶苦茶だ、あの女……!
スレンはロープを握りしめたまま、表情を強張らせる。
周囲には、滑り降りる領主に気付いて呆気にとられる村人たち。顔を見合わせ、ざわめく声。こちらへ駆けてこようとしているのは、おそらくあの女の護衛だろう。
しかし、どれほど急いで駆け付けようとも、こうなった以上は手遅れだ。体の重い男たちは雪の上に降りられず、もはや見守ることしかできないのである。
――いや、理屈はわかる、理屈は……。
結局のところ、この雪の上を行けるのは体の軽いあの女だけだ。
命綱もある。周囲にロープを結べるような場所はないが、ロープを握るスレンはいる。子供の二人くらい、スレンなら難なく引き上げられる。
まだ間欠泉には噴出の兆候はない。あまり時間をかけられないこの状況では、降りるなら今しかない。実際、あの女の選択は最適解ではあった。
――だからといって、下りるか!? あいつ、長だろうが、バカ!
いくら噴出の兆候がないとはいえ、あの場所は熱水の影響範囲。噴出したらひとたまりもない場所だ。
そうでなくとも、雪崩の起きやすい危険な場所。体が軽ければ――というのもあくまでも憶測であり、実際のところはわからない。ひょんなことで、雪が崩れ落ちる可能性はあるのだ。
あの女は、あれで一つの村の長。もしも長であるあの女になにかあったら、今後この村が立ちいくとも思えない。たとえ最適解だからと言って、迷わず突っ込んでいい選択肢ではなかったはずだ。
――つーか、『無茶するな』って言われてただろうが! あいつ人の話聞いてねえな!!
こんなの、無事に助かったとしても説教ものだ。頭の固そうなあの女の侍女を思い浮かべ、スレンは思わず苦い顔をし――――。
不意に感じた空気の変化に、はっと顔を上げた。
わずかだが、肌に触れる瘴気の濃度が増している。
反射的に視線を向ければ、噴出口から吹きあがる蒸気が少しずつ濃くなっているのが見えた。
――よりによって、このタイミングかよ……!
まだ、周囲の誰も気づかないようなかすかな変化。
だけど、まぎれもなくこれは噴出の兆候だ。
まるで狙いすましたようなタイミングに、スレンは思わず「くそっ」と悪態をつく。
――そりゃ、そろそろだとは思ってたがな。いくらなんでも、あいつ運が悪すぎだろ!
いや、噴出直前に救出に向かえたのは、むしろ相当に運が良かったと言うべきか。今、このタイミングで動き出さなければ、あの子供が助かる可能性は完全に消えていたのだから。
いずれにせよ、あの女は『持っている』。
良くも悪くも極端なツキ、運勢、巡りあわせ。竜の導きとは思いたくないが、なにかしら劇的で、たぶんろくでもない――――いわば、星の巡りとでも呼ぶべきものを。
――って、そんなこと言ってる場合じゃねえ! まずいぞ……!
ロープを握りしめたまま、スレンは周囲を見回した。
これはあの女の命綱だ。手離すわけにはいかない。
だけど他の誰かに託そうにも、呆気にとられた周囲の村人たちは、ようやく我に返ってこちらへ駆けよってこようとしているところ。先に気付いて駆けてくる護衛も、まだ少し距離がある。
ここから噴出までは多少の時間こそあれど、待っているほど余裕はない。噴出前にあの女を引き上げなければ手遅れなのだ。
どうするべきかと逡巡するスレンの目に映ったのは、雪の中にたたずみこちらを見つめる一頭の馬だった。
たしか、名前はベアトリスとか言ったはず。ずいぶんと大人しい、よく馴れているらしいその雌馬に、スレンは苦悶に顔をしかめた。
しかし、いかに苦悶しようと他に選択肢はない。
「おい、頼めるな。持ってろ!」
ロープの片端はあの女の腰に結ばれている。もう片端はベースキャンプに握られていて、引き寄せることはできるだろうが時間がかかる。
鞍に結んでいる時間すらもない。ロープの半ばをベアトリスの眼前に突き付ければ、彼女は心得たようにがっちりと噛んだ。賢い馬だ。
「頼むぞ。絶対に離すなよ!」
託すようにベアトリスの鼻面を叩くと、スレンは周縁部から飛び出した。
なおも蒸気は増していく。瘴気はますます濃くなっていく。
噴出直前の瘴気は、この地に長く生きる集落の人間でさえ、一瞬で意識を持っていかれかねない。よそ者であるあの女にとっては、そろそろ危険な水域だ。
周囲の男たちも、間欠泉の変化に気付き始めたらしい。
血相を変えて叫ぶ声が聞こえる。噴出に向けて地面が小刻みに揺れる。脆い新雪が、振動に崩れようとしている。
スレンは片手でロープを掴んだまま、その雪の上へと降り立つ。もう雪崩がどうと言ってはいられない。
ロープの先にいるであろう無茶苦茶な新領主を目指し、彼は飛ぶように駆け下りていった。




