41.病気の住民を確認しよう
大慌てで私が駆けつけたときには、すでにエリンは真っ青な顔で病室のベッドに横たわっていた。
ベッドの傍には診察をするアーサーがいて、慌てて駆けつけたらしいモーリスがいて、ベッドにしがみつくトビーがいる。病室の外には村人たちが集まっていて、こわごわ中の様子を窺っていた。
病室の空気は重い。ようやく乗り越えたと思った病気の再来かと、誰もが不安と緊張を抱いている。
アーサーが難しい顔でエリンの脈を測る間、声を発する人間は一人もいなかった。息詰まる静寂の中、ただアーサーの動きを見守り続ける。
その動きがようやく止まったところで、逸るように声を上げたのはモーリスだった。
「あ、あの、アーサーさん! どうなんですか、彼女の――エリンの容体は!?」
おっ、呼び捨て。いつの間に?
……と思ったけど、思えば二人の関係が発覚したのは十一月半ば。今が三月半ばだから、四か月くらいは経っているのか。
それならまあ、進展していてもおかしくはない……のかな? 七歳児にはちょっとよくわかんないですねえ……。
などと考える私をよそに、モーリスは必死の顔でアーサーへと詰めかける。
「だ、大丈夫ですよね。ちょっと疲れが出ただけですよね? ま、まさかあの病気が再発したなんてことはないですよね!? だって、もう薬もないのに…………」
「…………すみません、今はまだなんとも……」
対するアーサーは難しい顔だ。エリンを見つめたまま眉根を寄せ、彼は考え込むように目を伏せる。
「ただ……再発もあり得ないことではありません。以前より瘴気が薄れたとはいえ、まだ普段よりもかなり濃い状態ですからね。体質や条件次第では、十分可能性はあるでしょう。それにエリンさんは看護師としてずっと病人の世話をしていて、病気に接する機会も人より多かったはずです。たくさん病気の空気を吸い込んでいたところに、看病疲れで一気に症状が出る、なんてことも――――」
「そんな…………」
「あ、ああ、いえ、あくまでも可能性の話ですよ! 他の病気かもしれませんし、とにかく今は様子を見るしかないと思います」
血の気の引いたモーリスに、アーサーは慌てて首を振った。
しかし、振ってからすぐにまた顔を悩ましげに歪ませて、モーリスに窺うような視線を投げかける。
「ですが……可能性の話をするのであれば、少しご相談があります。他の方に聞かせるような内容ではないので、モーリスさん以外のみなさんはご退室いただいても良いでしょうか?」
ふむ? ご退室?
アーサーの言葉に、集まっていた人々も困惑の顔を見合わせる。
モーリス自身も戸惑った様子で、ちらりと視線を下に落とした。
「私以外って、こ、この坊主も出て行けってことですかね?」
視線の先にいるのは、ベッドに縋りつくトビーだ。
トビーはエリンの枕元にくっついたまま、ぴくりとも動こうとはしなかった。顔も上げず、泣き声も上げず、ひたすら怯えたようにエリンの服を掴んでいる。
その様子は、普段のわがままで甘ったれたトビーを知っているだけに異質だった。
震える手でただエリンにしがみつくトビーの姿は、泣かれるよりも喚かれるよりもなお、彼の不安を物語っていた。
アーサーはトビーに一度視線を向けると、申し訳なさそうに眉尻を下げ、それでもはっきりと首を縦に振った。
「トビー君には、この話はまだ聞かせない方がいいでしょう」
不穏な予感に、顔を見合わせた村人たちがざわりとざわめいた。
〇
病室を出たときには、すっかり夜になっていた。
エリンの傍から離れたがらないトビーはなんとか引き離され、今は村の女衆たちに回収されている。今晩は彼女たちが、エリンの代わりに面倒を見てくれるとのことだ。
集まった村の人々も不安を残したまま解散し、人気のなくなった二階回廊。
屋敷はすっかり静まり返っているのに、妙に落ち着かない不穏さに満ちていた。
――……なんにしても、今は様子を見るしかないわよね。
エリンが倒れたのが、本当に病気の再発のせいであるかはまだわからない。単なる気疲れであれば、一晩ぐっすり寝て明日には元気になるだろう。あるいは別の病気だった場合、様子を見ているうちになにかしら目に付く症状が出てくるかもしれない。
もしも病気の再発だとしても、今の村ではできることがない。村の薬は使い切り、行商人はスレンたちの集落にいる。結局のところ、見守る以外にできることはないのである。
「……薬、取りに行ってくるか?」
考え込む私にそう言ったのは、同じくエリンの一報を聞いて一緒に病室まで就いてきたスレンだった。
視線を上げれば、スレンが私を見下ろして肩を竦める。
「お前たちじゃ集落まで行けないだろ。必要なら俺が行ってやる。長に手伝うように言われているしな」
「………………そうね」
本当に病気の再発だとしたら、それしか手段はないだろう。
雪に慣れない私たちでは、この目印の少ない草原ではあっという間に遭難してしまう。
とはいえ、いかに雪慣れたスレンの足でも、村から集落までは二日近くかかっていたはず。となれば往復で四日。病気の再発であれば一刻の猶予もないけれど、逆に再発でなかった場合が厄介だ。
なにせ村の食糧は、おそらくあと四日も持たない。スレンが行って帰っている間に尽きてしまうくらいの在庫数だ。
この状況で、未だ食糧供給再開の目途は立っていない。村の半数は動けず、狩人たちも完全復帰とは言い難い状況。ここでの頼りの綱は、なんだかんだで草原を知るスレンになるだろうと考えていた。
そのスレンを四日間欠かすのは、村にとってはかなりの痛手だ。これがエリンの命を救う一助になるなら人々も納得するだろうけれど、完全な無駄足の場合はそうもいかない。拙速な判断は、村を危機に晒すだけではなく、村人たちの不満の種にもなるだろう。
そして、アーサーの口ぶりからして無駄足の可能性は半々くらい。再発の可能性もあるし、別の病気の可能性もある、と。
この状態で判断に踏み切るのは、さすがに勇み足が過ぎるように思われた。
――それに、なーんか引っかかるのよね。
引っかかるというか、予感というか、憶測というべきか。
いやでも確証があるわけではないし、そもそも医者モドキであるアーサーが保留を言い渡しているのだから、こちらで勝手に決めつけるわけにもいかない。
でもまあ、なーんかね。無駄足になる気がするんだよね。ゲームだとここの判断すごいヒヤヒヤするんだけど、いったん情報が出そろうまで待ってもいい気がするんだよね。
それに、どうせ今はもう夜だしね。いくら土地勘のある先住民とはいえ、この時間から外に出るのは無謀すぎる。
回廊から窓を見れば、外は星すらも見えない暗闇だ。街の灯りなどあるはずもなく、いつの間にか風どころか雪までちらつき始めている。
そういうわけで、判断保留。
私はスレンを見上げると、静かに首を横に振った。
「とにかく、まずは明日の朝を待つわ。そこで、もしも必要そうならお願いするわね」
願わくは、明日にはエリンの体調が戻って、村が落ち着きますように。
とか願うと、だいたいフラグになるんだよなあ…………。




