37.運も実力のうち!(1)
…………行商人。
おっ……とぉ……? 行商人の方が来たんだ…………?
外部に助けを求めると決めたとき、私も行商人が来る可能性は考えていた。
今は厳冬期も終わりかけ、吹雪が起きることもほとんどなくなっているころ。もうじき春に向かうこの時期は、どこの集落も物入りだ。
長い冬を乗り越えて食糧がない。これから春の活動再開に向けて物資がない。雪が溶ければ大隊の行商人グループが草原を回り始めるだろうから、小隊や個人の行商人にとっては今が一番の稼ぎ時となる。
おそらく、ノートリオ領にも近く行商人が来るとは思っていた。
そして、もしも屋敷に助けが来るのであれば、この行商人たちこそが、スレンたち集落の次に期待できるであろう相手だろうとも。
そもそもの話、セントルム王国はこのあたりの先住民からあまり好感を持たれていない。
セントルム王国からすればここはノートリオ領だけど、先住民からしたら聖地一帯が自分たちの土地。それを勝手に切り取ったうえ、先住民を不法入居者扱いしたら嫌われるのも当然だ。
さらには歴史的にもたびたびノートリオ領に入り込み、開拓と称して土地を荒らして去っていく。開拓に入るセントルム王国民は基本的に先住民を見下して、野蛮人として疎んでいる。ごくまれに、先住民族研究家たちが彼らと親しく付き合うこともあるけれど、そんなものは例外中の例外だ。
だから、もしも他の先住民が屋敷に掲げた布を見つけたとしても、おそらく関わり合いになりたくないと無視をされる可能性が高い。まず助けてはもらえないだろうと私は見ていた。
期待できるのは、すでに交流のあるスレンたち集落。
もしくは、以前にスレンたちから聞いた行商人の存在だ。
中でも一番期待をかけていたのはスレンたちの方だ。
もしもあちらで同じ病気が流行っていたなら、物資の足りないこちらの村より早く収束させている可能性は高かった。あちらがすでに落ち着いているのであれば、私たちが同じ状況だろうと気付く余裕も出るだろう。
あの族長の人柄からして、こっちの危険を知っておきながら無視するとも思えない。誰かしら周辺に派遣することはあり得るはずだ。
彼らに具体的な村の場所は教えていないものの、交易をしていたのは集落と村の中間地点だ。ここからおおよその位置は予測できる。狩猟による移動距離も考えると、村の位置を把握していてもおかしくない。屋敷の目立つ位置に布を掲げておけば、さほど無理なく見つけてもらえると考えていた。
――でも、スレンたち集落の人間はいない。それで行商人……?
「いやいや、君たちは本当に運が良かったよ。今の時期にこの道を通るのは俺だけだし、ちょうど薬も補充したばっかりだった。なにより俺の相棒が見つけたのが良かった。そうじゃなければ気付かず通り過ぎていたね」
ぺらぺらと喋る行商人アルドゥンを見上げつつ、私は熱で呆けた頭で考える。
たしかに運は良かった。行商人が相手の場合、屋敷を見つけたとして必ずしも助けてくれるとは限らない。
対価の面では、一応私がセントルムから持ってきたいくつかの金品や装飾品がある。だけどこれを売りさばけるルートがなければ、商人としては旨味がない。
あるいは悪徳商人であれば、助けずに全滅させた方が手っ取り早いと考えるだろう。どうせこの雪の中、セントルム王国民を助けに来る先住民もいない。春になって全滅したところが見つかっても、誰も不審には思わない。たとえ金品が盗まれていても、死んだ後に盗んだのか見殺しにしたのかは誰にもわからないのだ。
そしてなにより、善良な行商人が来てくれたとしても、助かるかどうかは半々だ。
今の時期、雪の中を行く行商は小隊だろう――ということは、彼らの持てる物資は少ない。これで助かるとなると、よほど的確な物資を持っていなければならないはずだ。
つまりは特効薬。あるいは効き目の大きいなにかしらの治療手段。最低でも、既知の病気としての知識が必要となる。
この男は、『どこの集落も病気でボロボロ』だと言った。
それに、『薬も補充したばっかり』だとも。
それをあわせて考えると――――。
考えると。
「――――――――ああああああああああああああああ!!!!!!」
ヘレナの腕にもたれかかっていた私は、勢いよく跳ね起きた。
あっ、駄目だ熱。くらっとする。
いやでも眩んではいられない。私はベッドの端に手を突っ込むと、こっそり隠していた鍵を手に取る。
なんの鍵かというと、貴重品入れの鍵だ。
不遇な立場であったとはいえ、これでも一応私は王女。多少なりとも宝飾品のたぐいは持っているし、この領地にも持ち込んでいる。
いかに領内では使い道がないとはいえ、これらも金品は金品。金目の物を丸のまま置いておくわけにもいかない。処分するのも忍びないし、いずれなにかの役に立つだろうと鍵をかけてしまっておいたのだ。
そして、案外早めに使い道はきた。
「殿下、急にどうされました!?」
「まだ眠っていた方がいいよ。この薬、効き目は大きいけど即効性はそんなにないんだ。特に症状が重かったときは、少し長引くこともあるし」
とヘレナとアルドゥンが揃って呼びかけるのを横目に、私はその鍵でベッドサイドのテーブルの引き出しを開ける。そのまま一番目に付くブローチを鷲掴みにすると、アルドゥンへとほとんど投げつけるように放り投げた。
アルドゥンは目を丸くしたまま、それでもしっかりと受け止める。
「えっ、なに」
「報酬よ!」
「えっ、いや礼なんていいよ。欲しいのは金じゃないし。だいたいこれ、相棒の不始末――じゃねえや、相棒たっての頼みだからさ。ほら、人として当然のことだろう? こういうときはお互いさまってやつだよ」
ねえ、とかなんとかアルドゥンは言うけれど、ちょっと待て。今不始末って言った!?
うわこれ村になんかされてる!? 相棒って誰!? なんかめちゃくちゃ信用できないんだけど!?
泥棒程度ならいいけど――いやいや、生きていたなら贅沢は言うまい。というか今は、それよりも優先するべきことがあるのだ!
「礼じゃないわ! いえ礼も含めてだけど、それの価値、わかるわね!? あなた商人でしょう!?」
「価値? こんなの、ただのブローチ――――」
言いかけて、アルドゥンはかすかに息を呑む。
ブローチは手のひらほど。金の台座に大粒の宝石。魔除けを意味する真っ赤なガーネット、幸運を招くエメラルド。周囲を飾るのは、小粒ながら惜しげもなくちりばめられた魔石たちだ。
金は純金。掘り込まれた精緻な細工。男物としても女物としても使えるデザインはやや古風で、しかし古いからこその気品がある。
ブローチを見つめたまま、アルドゥンは目を奪われたように動かない。
「殿下、それは――」
「それを報酬に、もう一仕事頼まれてちょうだい! できる限り、すぐに!!」
そのブローチは、私が持ってきた中で一番価値の高いものだ。セントルム王国では、村を助けた礼をして、さらにもう一つ仕事頼んでも、有り余るほどに釣りが出る。
だけど命の前には、いくら価値があっても意味がない。所詮ブローチはブローチ、差し出したところで惜しくはない。私自身も、高価であること以外にブローチに対して思い入れを持っていない。
そもそもこれらの宝飾品のたぐいはすべて、いざという時の金にするために持ち込んだものだ。
「場所はここから東、川を二本越えた先! 川のほとりが窪地になっていて、そこにちょっとした木立があるわ! ヘレナ、道案内ができる人間をつけてやりなさい!」
ああもう、頭が痛い! 熱で意識が飛びそうになる!
困惑するヘレナに、わけがわからないという顔のアルドゥン。二人はまだ気が付いていない。事態は一刻を争うというのに!
「そこに集落があるのよ! そのブローチは薬代と世話代、手間賃! 今すぐそこに行って、集落の人たちを助けてやって!!」
スレンたちの集落は、人目を忍ぶ隠れ里だ。
どこの集落もボロボロで、行商人が薬を補充する必要があるほど病気が蔓延している中、あの場所だけは誰も知らない。
他の集落の人々も、行商人すらも訪れない孤立した場所なのだ。