36.…………ぬかと思った!!!!!!
次に意識がはっきりしたとき、真っ先に聞いたのはヘレナの声だった。
「――――――殿下!!!!」
うるさっ!!
「殿下、ああ、良かった……! 良かったああああああ、殿下ぁああああ!!!」
とかなんとか言いながら、ヘレナは私の肩を掴んでぐらぐら揺さぶる。
いや、あんまり揺すらないで。寝起きだからか、頭がぐわんぐわんする。
というか、これどういう状況?
ここどこ? 私どうなってんの? なんでヘレナは泣いてるの??
重たいまぶたをこじ開ければ、目に映るのは天井だ。
見慣れた王宮とは違う、どこぞの貴族屋敷の装飾的な白い天井。壁にはどこか見覚えのある飾り棚、ベッドサイドに小さなテーブル、文机、ソファ、暖炉、ガラス窓。窓の外は晴れていて、真っ白な雪原に陽光が照っている。
うーん、なんだこれ。雪ぃ? 王都でこんな真っ白になるまで雪が降ることあったっけ?
そのせいかやたら空気が冷たいし、暖炉の火もガンガン燃えているのに寒気がするし、おまけに体も妙に痛い。
頭が重くて、動くのが億劫で、全身力も入らなくて、まるで熱でも出て寝込んでいるときのよう――――。
「――――――熱!!!」
そこまで考えたところで、私はがばりと身を起こした。
雪が積もっていて当たり前だ。ここは王都ではない。ノートリオ領である。
そして私は実際に熱を出していたはずだ。最後の記憶は、村中に病気が蔓延してバタバタと人が倒れていたこと。私も感染して発熱し、起き上がれなくなっていたこと。意識がもうろうとする中で、ヘレナがなにか呼びかけていたこと。
そのまま、たぶん私は意識を失ったのだろう。最後の記憶の中では、窓の外では雪が降っていた。今日は晴れている――ということは、最低でも雪が止むくらいの時間が経っているのだ。
「あれからどうなったの!? 何日経った!? 村は!!???」
というか、なんで私は生きている?
病気が治っ――――てはなさそうだ。まだ頭に熱がこもっている。興奮と同時に熱が一気に上がったのか、頭がくらりとした。
思わず倒れそうになる私を、横からヘレナが慌てて支える。
「殿下、村は――――」
「村は無事だよ。村の人たちもね」
言いかけたヘレナの言葉の先を奪ったのは、聞き覚えのない声だった。
はっとして視線を向ければ、ヘレナから少し離れて立つ人物の存在に気付く。
この地域特有の薄い顔立ち。黒い髪に黒い瞳。冬にもかかわらず、日に焼けたような浅黒い肌。背は、このあたりの人々にしてはやや高い。柔和な顔立ちの男性だ。
年頃は三十……手前くらいだろうか? 顔立ちのせいか表情のせいか、ちょっと年齢が読みにくい。
服装は、スレンたちと似てはいるけど少し異なる。旅装だろうか、もう少し身軽そうで、飾り気も少ない。
話す言葉は、癖がなくて聞き取りやすい――セントルムの公用語だ。
「君たちは運が良かった。もう少し遅れていたら死人が出るところだったよ。――まったく、よくもまあ無事だったもんだ。寒さに慣れないセントルム人が、こんなろくな対策もできていないような状況で。今年はどこの集落も瘴気と病気でボロボロだったってのに」
「………………」
えーと……。
誰?
顔に見覚えはない。ということは、スレンたちの集落の人間ではないだろう。
それ以外に先住民族に知り合いはいない。だけど男は部屋にいて、村は無事だと言っている。それにヘレナが大人しく私の部屋に入れている。
となると、えー……駄目だ頭が回らない。ヘレナが部屋にいて追い出さないということは、不利益になるような人物じゃないと思うんだけど……。
「おっと失礼。挨拶がまだだったな」
上手く反応のできない私に気付くと、男はそう言ってどこか芝居がかった仕草で肩を竦めた。
それから、さらに芝居っぽく慇懃に一礼する。
「はじめまして、ノートリオ領の新しくて小さな領主様。わたくしめはアルドゥン・ロー。エニスヘムから来たオカ族のマイマイチでございます――って言ってもわからないか」
流れるような口上。滑らかな言葉のリズム。耳になじみやすい声音。
顔に浮かぶのは、いかにも人懐っこそうな表情だ。
「ざっくり言うと、聖山の向こうのさらに北方に暮らす一族の出身で、今は聖山周辺を巡って集落を相手に商売をする、ごく一般的な行商人だよ」
アルドゥンと名乗る男は、そう言って実に商人らしい愛想のよい笑みを見せた。