23.【イベント】夜毎見る悪夢(3)
それから、アントンはぽつりぽつりと語り出しだ。
彼の家族のこと。妻と娘のこと。二人を亡くした日のこと。
山から冷たい風が吹く、瘴気の濃い日。いつもよりも魔物が活発で、遠吠えの妙に耳につく初夏。
楽し気な娘の笑い声。窘めるような妻の声。生活は苦しくとも幸福な日常。
そのすべてを引き裂いた、魔物の爪痕。響き渡る悲鳴と、忘れえぬ惨劇のことを。
「――――マリアとリリーは、僕の目の前で、魔物に殺されました」
アントンはそう言って、きつく膝を抱え込む。
声はかすれ、途切れそうなほどに細い。絞り出すような息苦しい声が、静かな部屋に響いた。
「悲鳴を聞いて駆けつけたときには、もう手遅れでした。畑は荒れて、二人とも倒れて、血だまりの中で、うめき声と、肉を噛む音が――――」
――…………食べられる瞬間を見ていたってこと。
とつとつと語るアントンに、私は「ぐぬ」と顔をしかめる。
彼が昨年に妻と子供を亡くしたことは知っていたけれど、『村の大半の人々と同じく』なんてとんでもない。いや凍死・病死・餓死の村の大半の人々の死も決して軽いわけではないのだけども、それにしたってこれはあんまりにも壮絶だ。
――これは、トラウマにもなるわね……。
かける言葉も見つからない。そりゃあ、ああもなるというものである。
「あの日のことを、何度も夢に見ます。僕は必死で、魔物を追い払おうと暴れて、でもできなくて、僕は、僕は―――――」
傷が痛むのか、アントンが片手で不自由な――不自由だったはずの足に触れる。
彼の足は、おそらく魔物を追い払おうと立ち向かった際に傷を負ったのだろう。片足で済んだのは、魔物が満腹になって満足したからか、それともトーマスが割り込んできたからか。
アントンは記憶を払うように、水で濡れた頭を振る。
「あれ以来、外に向かおうとすると、足が動かなくなるんです。傷は完治しているのに、畑に出ようと思うと、痛みで感覚がなくなって。動くはずなのに、動かせなくて」
「………………無理もないわ」
「でも、このままじゃいけないと、思っていたんです。この村では、みんな誰かしら家族を亡くしている。僕だけじゃない。僕だけこうしていいわけがない。本当は動けるのに動けない僕は、この村のごく潰しだから」
……なるほど、ここで『ごく潰し』。
働けない自分に負い目を感じていたのは、トーマス以上にアントンの方だったのだ。
「トーマスさんから温室栽培の話を聞いて、僕は迷いませんでした。これなら、やれるかもしれない。今度こそ、やらないといけない。少しでも、村の役に立てるように、って」
そして、気負っていたのもまたアントンの方。
彼はやり場のない感情を抑えるように、膝を抱く手に力を込めた。
「…………でも、駄目でした。結局、こんなに迷惑をかけて、台無しにしてしまって」
震え、かすれた声には、今はかすかな嗚咽が混じる。
夜は更け、風の音はいつの間にか絶え、室内は静かだ。
今はもう、遠吠えも聞こえない。薪の燃える音とアントンの声だけが、闇ににじむように消えていく。
「僕自身、薄々、わかっていたんです。トーマスさんに言われたときに、『これ』は僕がやったことなんだって。僕は変われない。僕はずっと、あの日のまま」
悪夢から抜け出せない。夢から目覚めない。動かない足では前に進めない。
輝かしい幸福の日々。その終わり。収穫を目前に控えたまま、いつまでも収穫を迎えられない。
すべてを悟ったように、アントンは長い息を吐く。
長い長い吐息のあとで、彼はようやく顔を上げた。
「王女様」
浮かべる表情は、くしゃくしゃに乱れた笑みだった。
それ以外の表情を知らないかのような、疲れ切った苦笑だ。
「犯人は僕です。皆の期待を裏切って、貴重な食糧をめちゃくちゃにした、役に立たないごく潰しです」
その顔で、彼は私の顔を見る。
すべてを受け入れるように――あるいは懇願するように、固く両手を握り合わせながら。
「どうか、僕を罰してください。――こんな役立たずは、村には不要です」
――………………ふむ。
アントンが口を閉ざせば、部屋には重たい沈黙が満ちる。
トーマスは何も言わない。アントンは期待を込めて私を見つめ、暖炉の火がぱちりと爆ぜる。
火に揺れるほの暗いアントンの顔を、私もまた無言で見つめ返した。
彼は私の言葉を待っている。どんな言葉を待っているのかは、おおよそ予想がついていた。
彼はおそらく、もう疲れてしまったのだ。
繰り返し夢を見ることも、過去に囚われることも、いつまでも変われない自分にも、村に後ろめたさを感じながら生きていることも。
なにもかもに疲れてしまった。終わりにしたくなってしまった。過去に永遠に囚われたまま、妻と娘のところに行ってしまいたいのだ。
「………………」
ゲーマーとして、私は無意識に計算を巡らせる。
人口が一人減れば消費する食糧が減る。プランター荒らしの問題も解決。アントンが抜けた分の人員を追加する必要はあるだろうが、次からは温室栽培の支障もなくなり、結果的にはプラスになる。
村人が死んだらゲームオーバーという前提はあれども、今回の場合はどうだろう。
アントン自身が『村には不要』と言うからには、やるなら村から追放という形になるだろう。
畑荒らしは平時でも犯罪。領地によっては重罪として扱われる。となると、プランターとはいえ彼は犯罪者ともみなせる。
村から追放された犯罪者は、もはや『村人』とは言えない。その後どんな結末を辿ろうが、こちらの関知するところではないだろう。
これが私の独断ではなく、アントンの希望を汲んでいることは、横で聞いているトーマスによって保証できる。
詭弁と言われればもちろんのこと大いに詭弁だけど、こういうシステムの穴を突くような攻略法はゲームでは珍しくない。チートやツールを使っているわけでもなし。正直ゲーム的には割とアリな選択肢ではある。
――なるほどね。
ふーむ、と私は長い息を吐く。
思考終わり。改めて顔を上げ、私はアントンに視線を返した。
そのまま、待ちわびるような彼に大きくうなずいてみせると――――――。
にこりと笑って、こう言った。
「お断りするわ」
私、ゲームは正攻法でクリアしたいタイプだしね。