22.村人の悩みを聞いてみよう(1)
そういうわけで、本日はお泊り会なのである。
事件からはや四日。
荒らされたプランターを大急ぎで直し、まだ無事そうな株を植え替えて、ついでに余った場所には再び種を蒔きなおし、すっかり元の通り――とまではいかなくとも、とりあえず惨状の痕跡は見られなくなった今日。
再びアントンが夜の火の番をするこの晩。
大反対するトーマスを領主特権で黙らせ、尻込みする他三人も説き伏せ、さすがに一人ではまずいからと護衛も一人巻き込んで、私ははじめての夜更かしをすることになっていた。
『ヘレナさんに内緒で殿下の夜更かしの手伝いを!? ヘレナさんに内緒で!!!???』
とは、この話を持ち込んだときの護衛たちの反応。いったいヘレナがどれだけ怖いのか、二度も繰り返して確認すると、彼らは全員、急遽怪我が痛むから欠席すると言い出した。
しかし当然そんな言い訳を許すはずもなく、上司特権で強制措置。
『カイルがいればあいつに押し付けたのに……』と、現在も病室で療養中のカイルを恨みつつ、彼らは泣く泣くくじを引き、あたりを引いた犠牲者一人が私に同行することになったのである。
そんなこんなで、ヘレナの目を盗んで部屋を抜けだした深夜零時。
「…………お、おれは、駄目だって言ったんです……殿下を止めようとしたんです……でも殿下が、無理やりおれを…………」
などと、熊のような見た目に見合わぬ弱気さで、早くも弁明を考える護衛とともに、私はブランケットを抱えて温室を訪ねていた。
温室は、狭いとは言わなくとも広くはない。
もともとは応接室。部屋の中央の大きなテーブルと、テーブルを挟み込むように置かれた二つのソファの他は、たいした物もない場所だった。
あるのはせいぜい、部屋を飾る装飾品のたぐい。飾り棚やら壺や花瓶くらいのものである。
現在、それらはすべて壁際に寄せられ、部屋の中央には四つのプランターが並べられていた。
この部屋の主人はプランター様である。日当たりの良い窓の真正面はプランターのものであり、人間の入り込む隙はない。いや多少の隙間はあるものの、基本的に人間の居場所は家具とともに壁際だ。
そんな壁際に追いやられたソファに、私はアントンと並んで座っていた。
ちなみに護衛は立っている。別に座ってくれていても構わないのだけど、そのあたりは彼らの護衛としての矜持なのだろう。念のためいつでも動けるようにと、私の傍の壁際でピンと背筋を伸ばしていた。
ソファの向かい側の壁にあるのは、温室の肝である暖炉である。
部屋の広さに対して暖炉は大きく、中には赤い火が燃える。少し前に薪を足したばかりの火は勢いが良く、こんな真冬でも部屋全体をうっすらと暖めてくれていた。
しかしまあ、こっちは暖炉の反対側。
外の寒さの割には暖かくとも、忍び寄る寒さは消しきれない。
特に締め切った窓と壁際からは、隙間もないのに滲むように寒さが入り込んでくる。
「寒っ」
と思わずブランケットをかぶり、私は窓へと視線を向けた。
すでに深夜。窓は鎧戸が下ろされていて、外の景色を見ることはできない。だけど窓の外で吹き荒れる風の気配は、ガタガタと揺れる窓枠から感じられた。
ノートリオ領の冬の厳しさは、基本的に聖山から吹く北風のせいだ。
聖山の冷たい風が草原を凍らせ、吹雪を呼び寄せ、瘴気をも運び込む。特に冬は北風が強く、唸るような風の音を頻繁に聞いていた。
そんな風に紛れて、ふと風とは異なる音が耳に届く。
おや、と私は誰にともなく呟いた。
「獣の遠吠えが聞こえるのね」
別に、誰かの返事を期待した言葉ではない。
こんな寒い中に、狼でもいるのだろうかとぼんやり思いながらの独り言だ。
だけど意外にも、アントンはおずおずと私に反応を返してくる。
「あ、あの……はい。今年は特に、よく…………」
「今年は特に?」
「ええと、た、たぶん……今年は魔物が、多いですから…………」
なるほど?
それだけ瘴気が濃くなって、魔物が周囲に集まっているということだろうか。
アーサーが嬉々として調べていたけれど、まだまだ瘴気は濃くなっていく一方。山の様子を見る限り、この増加傾向は年明け後もしばらくは続きそうとのことだ。
『こんなこと滅多にないですよ! どこまで増えるか楽しみですね!!』
などと大興奮で話したアーサーのことは、しかし置いておいて。
「か、風の強い夜は……よく、聞こえるんです。…………風の音とは違うので、すぐにわかります」
――……ふむ。
適当に相槌を打ちつつも、私はアントンの顔を窺い見る。
思えば、当初はまったく口を利こうとしなかった彼も、最近はわずかながら声を聞くようになっていた。
あまり積極的に話したがる様子はないものの、こうして呼びかければ返事もする。聞いた以上の言葉を返しもする。『いらん』『しらん』しか言わなかったトーマスに比べると、むしろしっかりと会話をできているとさえ言える。
――もともとは、そんなに無口じゃなかったのかもしれないわね。
なにかのきっかけで、言葉少なになってしまった?
いつからか、誰かと会話するのが怖くなってしまった?
だとすると、そのきっかけとはなんだろう。
彼はいったい、なにを抱え込んでいるのだろうか。
実のところ、今日の目的はこれを聞き出すのが本命だった。
アントンの見張りも、犯人探しも二の次だ。というか、犯人はもうだいたい目星がついている。
だけど、今の状況で犯人だけ捕まえることに意味があるようには思えない。
誰が悪い、誰が正しいで話を終わらせるには、少しばかり知らないことが多すぎる。
だから気になるのは、どうしてこんなことをしてしまったのか。
その理由を、知っておく必要があると思ったのだ。