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社畜が語るおっさんライフ

 今日も仕事、明日も仕事、明後日も仕事。出社、仕事、残業、ああ、タイムカード切ってなかったな。

 タイムカードを切ってまた残業。サービス残業を推奨するかのような勤怠管理をしているあたり、管理職どもの性格の悪さが伺える会社である。

 そんな会社とっとと辞めてしまえという声が聞こえてきそうではあるがそうもいかない。AIだの何だのが自己主張を始めた現代において、俺のような何の資格も持たない人間は金が貰えるだけでも有難いのだ。


「それにしたってこれはなぁ……」


 数十年前は当たり前だった労働環境ではあるが、時代とは移り変わるものである。にも関わらずこの会社は俺の入社当時から全く変わっていない、というより変えるつもりがない。

 昔の劣悪な労働環境を引きずったままのこの会社は、現代の感覚で言えば間違いなく「ブラック企業」にあたるのだろう。


「さて、残りは明日にするか……」


 終わりの見えない膨大な量の仕事から目をそらすようにパソコンを閉じ、俺は会社を後にした。




 会社から駅へと向かう道すがら、アルコールの入った上司を常套句を使って撒いた若者を見かけた。

 上司との飲みは息が詰まる、という気持ちも分からなくはないが、酒を飲んで陽気になった男が分かりやすく肩を落としている様子は見るに堪えないものだった。

 飲みに誘うような後輩もいないのに見ず知らずの中年に同情してしまうとは、なかなか自分も年を食ったものだと自分で自分を嘲った。




 「ただいま」


 家に帰って口に出すその言葉に、返事は無い。自分のことを迎えてくれる人が家に居る、ということがどれほど有難いことか、世間の男どもはもっと理解すべきだ。

 とまあ、世の中に不平不満を述べたところで結局のところ俺が独り身なのは自己責任であるのだが。

 結婚願望は無いわけではない、むしろ結構あるのが、いかんせん時間が無い。婚活などしている暇があるなら、パソコンに向かって上司からの罵声を減らす方がよっぽど有意義だろう。

 別に俺も好き好んで奴らのストレスのはけ口になっているわけではないんだがな、と、そんなことを考えながら帰りに買ったコンビニ弁当を掻き込み、今日も眠りについた。






 「おい相場(あいば)、外回り行ってこい」


 ついさっき資料を俺のデスクに山積みしておいて何を言ってるんだコイツは、頭がイカれてるんじゃないのか。と声に出したらその場で首が飛びそうな言葉をなんとか呑み込み、うだるような暑さの中会社を出た。


「お待たせいたしました、タピオカミルクティーになりまーす!」


 通りの向かいにあるタピオカ屋の店員の声がいつもよりも耳につく。

仕事だから仕方ないのだろうが、このクソ暑い時期にそんなに叫ばなくてもいいだろう。元気な声というのは体感温度が上がるのだ。あまり夏に聞きたい代物ではない。

 いつだったかの流行りに合わせてできた店であったが、流行が過ぎ去ったあともそれなりの客入りはあるらしく今でもあの女店員が元気いっぱい接客をしている。

 こんな目と鼻の先に店がありながら、流行に乗り損ねた俺はタピオカミルクティーを口にしたことがないままであった。


「今度飲んでみるか」


 流行のものを一度も体験しないのは何だか負けた気がする。

 そもそも過ぎた流行りを追うのは既に手遅れなような気もするが、こんな時代錯誤も甚だしい会社に対する抗議の意味も込めて、流行りのものにはできるだけ手を出しておこうと決めている。決意と実行の関係性は言うまでもない。




 会社から少し歩いた交差点で信号待ちをしていると、よく通る笑い声が聞こえてきた。

 近くの高校が課外を終えたのか、昼過ぎにも関わらず数人の女子校生が制服姿で向かいの通りを歩いている。その中の1人を目にした瞬間、俺の視界から他のあらゆるものが、消えた。


「マジか……」


 目を奪われるという現象を比喩無しで、というのはさすがに大袈裟だが、その瞬間俺の目に彼女以外は映っていなかった。

 艶やかな髪、真っ白な肌、スラリと長い手足に整った顔立ち。美少女という言葉を体現したよう少女が、そこには居た。

 陽キャの中の陽キャとも言える雰囲気をその身に纏い、明るく、ポジティブ。スクールカーストの最上位に君臨する彼女であろうが、されど高慢さは微塵も感じさせず、周囲の人間から慕われるその様子はさながらお姫様だった。

 途中から過度な妄想が混じってしまったような気もするが、要するに可愛い。その一言に尽きる。

 俺は決してロリコンなどではない。ロリコンなどではないが、その容貌は婚期を逃した中年男を魅了するには十分すぎるものだった。

 彼女とその取り巻きは俺の向かいの横断歩道の前に立っている。それはすなわち、俺があの超絶美少女とすれ違い、あわよくばその匂いを嗅ぐチャンスを……やめろ、そんな目で俺を見るな。誰だって可愛い女の子とはお近づきになりたいものだろう。

 やめろやめろ、いち、いち、ぜろ、じゃない。ブラック企業で働く独身のおっさんだってキャッキャウフフの恋愛には憧れるんだ。




 信号が変わり、立ち止まっていた人々が歩き始める。

 彼女らは俺の背後にあるカフェに向かっていたらしく、目的地を目の前にした元気いっぱいの美少女が友人たちの3歩先を駆けていた。

 眩しい陽射し、揺れる黒髪、純白のブラウス、そして──



 ──速度の落ちないトラック



「危ない!」


 声が出た頃には、既に身体が動いていた。

 全盛期以上とも思える速度で駆け出した俺は彼女を突き飛ばし、その反作用で俺の身体が、止まる。一瞬の出来事だった。

 これらの流れを認識した頃には、俺の身体は既に宙を舞っていた。無意識に身体が動くなんてそんなことあるわけないだろう、などと思っていた俺だったが、実際にその状況になってみると意外と動けるものだなと自分に対して妙な感心を覚えた。


「お兄さん……お兄さん!」


 薄れゆく意識の中で彼女の声だけがはっきりと響く。いや、実際には彼女の声は知らないのだが、多分そうだろう。そうであって欲しい。

 しかし俺のことを「お兄さん」とは、お世辞まで上手いなんて聞いてないぞ。さっきの性格面の妄想もあながち間違っていなかったのかもしれない。

 死に際には走馬灯を見るとよく聞くが、俺が思い出していたのは直近数分の彼女の姿だけだった。どうやら俺の人生は名前も知らない美少女に上書きされてしまったらしい。これではロリコンと思われても仕方ないのか……。

 こんなくだらないことを考えられる程度には保たれていた意識だったが、時間が経つにつれそれも朧気になっていく。名前くらい知りたかったな、と、そんなことを思いながら俺の意識は途絶えた。

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