8 始まり
一週間の民宿滞在はあっという間に過ぎて行ってしまった。ここには、自由がある。滞在中に沙瑛が出掛けたのはあの日だけだった。あとは宿の共用部で本を読んだり、玩具で遊んでみたり、大人たちの誰かしらに相手をしてもらったり。
土地柄なのか、ここで出会う人々は皆おだやかでさっぱりとして、陽気な雰囲気を持っていた。沙瑛がこれまでに関わってきた大人というものとは、明らかに異なる存在だった。
沙瑛は同世代の親族の中でも年少の方で、年上に囲まれて育ってきた。しかし本当に年の近いいとこ達以外に、一緒に遊んだという記憶はない。子供がたくさんいるから大人が子供に交じって遊びに付き合う必要がない、と言われればそれまでだが。
大人と一緒に玩具で遊んだのは、沙瑛が物心ついてからはじめての経験だった。
ここで初めて目にした玩具で遊ぶのもかなり上達した。いくつかまとめて籠に入れられていた知恵の輪もすべて解いてしまったし、最初は大人についてもらって参加していたカードゲームも一人でできるようになった。
宿泊客たちは旅好きばかりだった。これまでに訪れた土地での写真を見せてもらったり、思い出話を聞かせてもらうこともあったし、沙瑛も他の客たちの思い出の一つになった。
ここの大人たちが沙瑛を正しく子ども扱いしてくれたのだ、と知ったのは十数年経ちもう顔も名前も思い出せなくなってからだった。
新居はこの時の民宿からそう離れた場所ではなかった。子供の足でも歩いていける距離だし、民宿というものは長期で滞在する客が多いものだ。いつだってまた会いに行くことができた。
滞在最終日の朝、父が手続きをしている間にまたいつでもおいでとおばちゃんをはじめ皆が口々に声をかけてくれたし、沙瑛ももちろんだと答えた。
しかし沙瑛がその民宿を訪ねることは二度となかった。祖母と別れ、見知らぬ土地で新しい生活を始めねばならない沙瑛に、知り合いができた。ただそれだけの、肩の力が抜けるようなほんの少しの日々の記憶だった。




