エピソード 9
エピソード9
大通りに面したビルの2階の一室は、今日も電話の音や話し声でにぎわっていた。
「所長、明智警察署からお電話です。」
「分かった」
明智署の山田警部は大学の同期だ。昔のよしみで時折こうしてこっそり捜査してもらっている。
「新之助、お前の予想通りだったよ。やはり佐藤は木戸殺しの犯人だ。例のラインストーンが外れていた服も佐藤の部屋で見つかった。殿村のバイクに手を加えたのもヤツだった。不自然に店の奥に向かう佐藤を見ていた客がいたんだ。」
「ほう、それは良かった。」
本田は満足げに顎を撫でる。
「で、佐藤はやはりどこかの国と繋がっていたのか?」
「おお、そうだった! あんなおとなしそうな顔して、ノーザンディの革命軍の諜報員だった。どうやら留学中につながりができたようだな。それにしても、よくそんなことが分かったなぁ」
「ふふ、まあな。大学院の後輩に優秀な外科医がいてね。そいつがノーザンディの大統領の大けがを治療したと聞いて、もしやと思ったんだよ。あの国はもう長いこと内紛が続いている。そこに来て、殺された木戸は新薬の開発に携わっていたと聞いたんだ。脳の手術をするために、一時的に全細胞を仮死状態にする薬だと聞いた。だれが殺したのか分からないまま、死因も特定できないまま消すにはとても都合がいいだろ?」
「ひえぇ、薬も使いようだな。ま、これで、木戸の事件は犯人死亡で書類を出せる。佐藤の事件にも情状酌量が見えてきたな」
山田は満足げに電話を切った。しかし、本田は再び考え込んだ。一宮製薬は狙われていた。それは新薬を開発した木戸だけにむけられたものだったのか?もう少し、調べる必要がありそうだ。本田は部下の木村に指示を出すと、受話器を手に、一瞬ためらった。
「ちっ、またあいつから情報をもらうことになるのか」
金髪をさらりと後ろに流して、小ばかにしたような顔で笑うイケオジの顔を思い出し、イラっとする。しかし、本田の真実を知りたい欲がそのためらいをあっさりと飛び越えた。
「おや、本田君じゃないか。先日は楽しい酒の席をありがとう。姉上にもとても世話になったね。よろしく伝えてくれたまえ。それで、今日も私の力を貸してほしいということかな?」
眉間にはこれでもかと深いしわをよせて、本田が口を開く。
「例の店に19時」
「おや、悪いね。その時間、ちょっと女の子と約束があるんだよ。20時まで待ってくれる?」
「はぁ?」
「クックック。そんなおどろくことじゃないだろ?まあ、一緒にお茶でもしてくれるかわい子ちゃんがいないなら、一人侘しく居酒屋でやけ酒でも飲んでいてくれたまえ」
「…20時、遅れるなよ!」
ガチャンと乱暴に受話器を置くと、「ちょっと出てくる」と言い捨てて事務所を飛び出した。
*****
「榊、涼さんとの連絡、まだ取れないの?」
「申し訳ございません。秘書の方によるとしばらく休暇を取られているそうです。その、例のご友人が亡くなってから、元気を無くされているようで…」
痛々し気に秘書の榊が言葉を途切れさせた。
「そう」
視線を下げたブルーグレイの瞳は物憂げだ。今回の事故はあまりにも衝撃が大きい。海外で要人の手術に当たっていた奥平も、美月からの連絡に言葉を失っていた。
「なんでだよ!俺が日本に居たら、絶対に死なせなかったのに!明日は美月の手術で落ち合うはずだったじゃないか!」
やっと絞り出した言葉は、慟哭に近かった。
だけど、と美月は思う。藤森はそんなに感情的になるだろうかと。
「で、実際はどこにいるの?」
「え?…ああ、なんでも、サイエン王国に向かわれたと聞きました。」
「そっか。分かった。」
美月は気を取り直して、出かける準備を始めた。自分の会社の経営よりも、最近はコンサルティングの依頼があわただしい。
「今日は、橘製薬でしたね。お車、準備しております」
「ありがと」
橘製薬は、先日急に依頼が来た企業だ。一宮製薬とも取引があったことをぼんやりと思い出しながら、美月は車に乗り込んだ。
真新しいビルに一歩入ると、受付嬢だけでなく、一階にいるほとんどの人間が、驚いたように客を見つめている。
「社長と14時にアポイントを取っています。コンサルタントの美月です。」
「い、いらっしゃいませ」
磨き上げられたフロアに不似合いな、地味な女子社員がおどおどした様子で、内線を使って社長に来客を告げる。その間、隣にいたもう一人の受付嬢が、遠慮のない視線を寄こしていた。美月にとって、見慣れた光景だが、話を聞く前から、ため息が出るような自覚の無さだ。
『そんなに外国人が珍しいのか?』
不快感を微塵も見せず、薙いだ瞳でフロアの社員たちを見回した。その時、好々爺然とした社長がパタパタと階段を下りてきた。
「いや、すまないね。今、エレベータが壊れてて、明後日には修理に来るんだけど。」
好々爺はなぜか照れたように笑っている。それを無表情な美月が静かに見下ろしていた。会議室に通されて改めて向き合うと、開口一番、こう言い放った。
「橘社長。こちらの会社のコンサルティング契約をする前に、お伺いしたいことがあります。」
「なんだ?遠慮せずに何でも聞いてくれ。 おーい、谷村さん。お茶持って来て。おいしい方ね。ははは。」
社長のやりとりを黙って聞いていた美月は、おもむろに問いかける。
「社長。あなたは多少の犠牲を払っても会社を立て直したいですか?それとも、社員と仲良く泥船に乗りたいですか?」
「どういう意味だね?」
「あなたは、社員にとても愛されているようですが、愛される必要なんてないのです。このままなれ合いの状態を壊したくないと思うのであれば、僕は契約を辞退します。」
断られるなどとは思ってもみなかった好々爺は、その愛想を崩すこともできず固まってしまった。
「職場が居心地の良いぬるま湯であってはならない。常に向上心を持って、今より上を目指そうと個々が自ら努力する会社。僕が目指すのは、そこです。」
ぐっと言葉を詰まらせたままの橘の元に、谷村がお茶を運んできた。
つづく
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