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エグゼクティブ・チーム  作者: しんた☆
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エピソード 8

エピソード 8

新緑のワインディングロードを、一台のバイクが走り抜ける。そして、目的の場所に近づくと、徐々にスピードを落としていった。坂の上には展望台とささやかな公園がひろがっている。ヘルメットを脱ぎ、エンジンを止めると、海からの爽やかな風が吹き渡り、萌絵の髪を、頬をくすぐった。自販機で缶コーヒーを買うと、ゆっくりと一人の時間を楽しむのだ。

あの事件以来、母は自分の行動に一段と口うるさくなった。だけど、どんなに言われても、自分は一宮貴絵にはなれない。


萌絵は再びヘルメットを装着すると、バイクにまたがってイグニッションを回す。なめらかなボディは、もう自分の体と一体化しているかのようだ。下り道を走りながら、ふと、このまま目の前の壁にぶつかったら、母はどんな顔をするんだろうと頭に浮かんだ。姉を亡くしたときの狂ったような号泣を思い出し、ハッと我に返る。


まずい! 腰をぐんと左にずらし、身体全体で車体を傾け、鮮やかに弧を描く。駆け抜けた後ろで、はやし立てる声と拍手が聞こえた。そうか、今日は日曜日。ギャラリーが多いようだ。

ん? なんだか見たことがある人物がギャラリーの中に紛れている。軽そうなヘルメットに大き目の眼鏡。手には薄いグローブ。ロードレーサーを従えたその人物を頭の中で着替えさせるが、どこで見かけたのかが思い出せない。


「どうしてこんなところに?」


 微かな違和感を覚えながら、萌絵は帰路についた。バイクにカバーを着せて玄関の扉を開けると、母が待ち構えていた。


「萌絵、またバイク?! 出かける時は、どこに行くか声を掛けてって言ったでしょ?まったく、あなたときたらまるで私の話を聞こうとしないんだから」

「もう、いいでしょ。レポート仕上げたいから。」


 言うが早いか、萌絵はさっさと自室に閉じこもって、ベッドにごろんと横になった。チェストの上には、姉妹で出かけたときの写真が飾られている。思えば、いつも貴絵は自分を庇ってくれていた。自分を悩ます母の小言も、きっと今に始まったことではないんだろう。だけど、それは貴絵という防波堤のお陰で、自分を煩わせることがなかったのだ。

 あの事件以来、大学に行ってもどうにも居心地が悪い。顔も知らないたった一人の自分勝手な行動のせいで、ここまで影響が出るのかと、萌絵は途方に暮れた。



 午前の講義が終わると、学生たちはほっと緊張を解いていた。


「萌絵、ランチに行こう」

「ええ、行きましょう。沙希と美玖は?」

「沙希は午後からの講義がないから、バイトだって。美玖はもうすぐ来るよ。カフェで待ち合わせしてるの」


 二人が席を立って歩き出すと、少し離れた場所で、同じように移動を始める男がいた。萌絵からは死角になっていて、気づいていないようだ。


「愛結花もバイトじゃなかったの?」

「うん、今日はバイト休みなの。ちょっと、気になる人が、今日の午後の講義を聞きに来るっていうから…」


 愛結花は微かに頬を赤らめて、落ち着かない様子だ。萌絵はその異変に気付くと、はぁっと深いため息をついた。


「いいなぁ。どうやったら好きな人に巡り合えるんだろ。私、一生誰とも恋愛しないような気がしてきた」


 眉を下げて嘆いて見せているが、今が一番おだやかだと萌絵は実感している。愛結花や沙希、美玖は、自分をしっかりと持っていて、噂に流されないところが有り難かった。だから、萌絵もこんな風に自分を素直に出すことができるのだ。


一日の講義を終え、友人たちと別れた萌絵は、一人電車に飛び乗る。ドア際にもたれて通り過ぎる景色を眺めながらぼんやりと考えていた。

 友人とのランチが楽しいのも、彼氏が欲しいのも、嘘ではないけど、ふと目を閉じると、山間のひんやりした空気を思い出す。4ストロークのエンジン音、全体重をかけて車体と共に流れるようにカーブを描く快感、バイクが自分の体の一部のように感じる瞬間だ。あれを一度味わったら、やめられない。最寄り駅を出るころには、今日の走行経路を頭に描いていた。


 ライダーズスーツに着替えて、フルフェイスをかぶり、グローブの感触を確かめる。その頃には、家族の事も、友人の事も、全部放り出してバイクと意識を一体化する。今日もいつもの峠を攻めよう。エンジンが温まったのを見計らって、萌絵はスロットルを回した。

 お気に入りの峠を走っていると、またあの人物が目の端に映った。


「危ない!」


 石垣への激突は免れたが、ギリギリのところをなんとか立て直して、バイクは疾走する。そのままどんどん走っていくが、背中には冷や汗が流れた。

 展望台でバイクを止めて、少し気持ちを落ち着かせていると、不意にあの人物が大学にいることに思い当たった。


「そうだ。あの人、同じ学部の人だ!だけど…」


 同じ趣味だというならそんなに気にも留めないが、相手は自転車だ。そしてそれよりも萌絵に不安を与えたのは、その表情だった。狂気にも似た笑顔でじっと彼女を凝視していた。


「次からコースを変えよう。」


 妙な人物に目をつけられたものだ。萌絵はため息をついて、帰路についた。



 翌週は貴絵の法要があった。さすがにその日は母の言いつけを守って、萌絵も参列していた。たくさんの人がやってきて、手を合わせる。みんな身なりがよく、知性的だ。これは貴絵の生き方をそのまま表したようなものだと、萌絵は思っていた。


「あの、失礼ですが、君は一宮貴絵さんの妹さんですか?」


 振り向くと、そこには上品に身なりを整えた若い男が立っていた。やや吊り上がった切れ長の目を細め、さっと名刺を差し出している。


「弁護士さんですか? あの、私に何か?」

「ええ、私は貴絵さんの大学院の先輩にあたるのですが、少し彼女の死に気になることがありまして、お話を伺いたいと思っていたのです。」


 とたんに萌絵の眉間にしわが入る。姉は通り魔に襲われて亡くなった。そこに彼女を狙っていたという意味は含まれていないと思っていた。だけど…。


「貴絵さんのあの功績から考えて、彼女の死因はあまりにもあっけない。あなたもそう思われるでしょ?」


 心の中を見透かされたようで、思わず警戒してしまう。


「こんな場所ではなんですので、一度、お姉さんが仕事場にしていた大学院の研究室に来ていただけませんか?」

「研究室?…分かりました」


 見知らぬ弁護士の事務所なら、断っていただろう。本田と名乗る男を見送りながら、萌絵はその場にたたずんでいた。姉は、仕事に行くとき、いつも楽し気だった。彼女の仕事場など、行ったこともないが、そこに行けば、姉のことが何か分かるような気がしていた。そして、こんなにも自分は姉のことが大切だったのかと、今頃になって気づいていることに愕然としていた。


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