エピソード 6
エピソード 6
「悪いね、私の事務所に来てもらっちゃって。良かったら、適当に飲み物でも入れてくれ」
「いえ、結構です。それで、どういう案件だったのですか、本田先輩」
本田の事務所のソファに座って、笑って見ているのは藤森だ。美月も呼ばれていたが、予定が合わなかった。
「この女性なんだが、僕が弁護を担当しているんだ。君のデータの中にあるかい?」
差し出された写真を見るなり、名前が出てきた。
「嘉村実里 25歳。関東文具販売(株)勤務。ですね」
「ああ、さすがだね。そう、この女性が殺人犯として捕まっていて、私が弁護士としてついているんだが、どうしても彼女の動機が分からないんだ」
「被害者は?」
「こっち、佐藤静流。同じ会社の同僚だ。警察の聞き込みでも、二人は仲が良かったということだった。半年前に嘉村の恋人が何者かに殺されて、動揺しているときも、甲斐甲斐しく世話をしていたらしい。それなのに」
じっと話を聞いていた藤森は、ささっとメモに名前と住所を書き記した。
「その恋人、木戸って名前でしょ?その前後の足取りで立ち寄った場所です。ここでなにか聞いてみてもいいかもしれませんね。」
「スーパーと花屋と喫茶店か。君、行ってみない?」
藤森はふっと笑って、断った。
「いえ、お断りします。そんなに暇ではないんですよ。大方、嘉村に執着しすぎて消されたんじゃないですか?それ、僕のデータ必要あります?僕はおもちゃじゃないですよ。」
「う~ん、そうか。いや、せっかくだから木戸についても教えてくれる?」
「木戸ですか? えっと、一宮製薬の社員で、木戸テックの社長の息子ですね。ついでに佐藤も調べます? 嘉村と同じ関東文具の社員です。あれ? 警察のチェックが入ってる。どうやら、犬猫の薬物死に関与しているみたいですね。佐藤は元々理系の大学を出ていて製薬会社志望だったみたいですよ。サイエン王国にも留学していましたし。あ~、これは調べ甲斐ありそうですねぇ。」
藤森は席を立つと、上着を整えてにっこり微笑んだ。
「では、せいぜい頑張ってください、先輩」
「ええ、そうか。君、なかなか頭がいいね。さすがは私の後輩だ。まあ、がんばるよ。」
笑いながら後輩を見送って、仕方なく、自分でコーヒーを入れた。
「それにしても、なかなかのデータ量だったな。あのデータ、クレジットカードからの情報漏洩だろ?こんなセキュリティの低さじゃ、やばいよ、日本」
ソファに腰を下ろすと、あごに手を当てて考えを巡らせる。やはり彼らには、この程度の事件では物足りない。もっと入り組んだ案件を考えてやらねば。
ほんの一瞬、嫌な顔が頭に浮かんだが、本田は慌てて打ち消し、コーヒーをひと飲みした。
木戸が一宮製薬の社員であることは、すでに掴んでいた。その木戸がどうして殺されたのか。コーヒーを飲みながら、本田はもう一度嘉村と佐藤の写真を眺めた。
「犬猫の薬物死か…。嘉村さん、知らずにいい仕事したのかもしれませんねぇ。ここは、全部吐き出していただきましょう」
にやりと笑って、写真を片付けると、さっさとコーヒーを飲み干した。
*****
「え、何が気に入らなかったの?会えなくて寂しかった?来週はデートできるよ?」
受話器にしがみつくこの情けない男は、奥平仁。世界的に名前を知られている外科の名医だ。だというのに、このざまだ。
「ふふふ。また振られたの?」
「うるせー」
「女の子の選び方、間違えてるのよ。見ていて可哀そうになるわ。モテないわけではないのにねぇ」
大雑把にまとめられた長い髪をガシガシとかきむしり、奥平は盛大なため息をついた。ここは彼の個人事務所だ。目の前の姉御肌の女性は、本田冴子。奥平が独立するとき、篠原が紹介した人物だ。彼女の管理能力と多言語の堪能さのお陰で、手術だけに専念できている。
冴子はゆっくりと紅茶を淹れながら、奥平を宥めにかかる。
「まあ、これだけ忙しいと、じっくり女の子に構ってなどいられないわね。それでも待ってるって言ってくれるような女の子を探さなくちゃだめなんじゃない?」
「ええ?じっと待ってるとか辛気臭せーなぁ」
自分用のカップにも紅茶を注ぐと、優雅に席について楽し気に言う。
「じゃあ、しばらくはあきらめるのね。明後日には美月君の手術が入ってるわ。その後、ラバリー帝国の第二王子の性転換手術、その翌週にはカームリー小国で中絶手術…。あら。どなたかしら。カームリーにそんな年齢の要人いらしたかしら。」
「分かったよ。とりあえず美月の手術の日程は確保できたんだな」
カップをテーブルに置くと、奥平は席を立った。
「あら、どちらに?」
「寝る。16時には起こしてくれ。美月の術前検査がある」
「了解」
プライベートルームに入る奥平を見送って、冴子は小さなため息をつく。
「結構モテるのに、自覚がないのよねぇ」
そういいながらカームリー小国の依頼主に連絡を取る。要人専門の医療を謳っているOSO(奥平サージェントオフィス)としては、患者の年齢性別、既往歴などは確認事項だ。
ドアをノックする音で、奥平は目を覚ました。いつになく、おとなしめのノックに違和感を覚えた彼は、すぐさまオフィスエリアに顔を出した。
「どうした?」
「時間よ」
「それだけじゃないだろ? 何があった?」
冴子はすぐには答えないが、目が泳いでいる。そのままじっと見つめられることに耐えられなくなって、眉間にしわを寄せた。
「仕方がないわね。例のカームリー小国の患者、王女様だったわ、15歳の」
「え?!…」
眠気に覆われていた頭が、一気に覚醒した気分だった。穏やかな国政、国土は広くないが、誠実は国民性で工業がとても盛んな国だ。最近は希少価値の高い宝石が取れることで、より豊かな暮らしが成り立っている。国民が王族をとても慕っているという、おとぎ話に出てきそうだとして有名な国だ。そんな国の幼いお姫様が中絶? これはとんでもない醜聞だ。
「裏がありそうだな。」
「ちょっとこちらでも調べておくわ」
「よろしく頼むぜ。じゃ、美月に会ってくるか」
奥平を見送ると、冴子は受話器を手に持った。
「新之助? ちょっと調べてくれない? カームリー小国のことよ」
つづく