エピソード 5
今回のエピソード、ちょっと長いです。2話に分けることも考えたのですが、ええい、やっちまえ!というわけで、よろしくお願いします。
エピソード5
「どうし、て…。」
そんな言葉を残して、木戸は崩れるように通路に倒れた。腹部に刺さったナイフをえぐるように抜き取ると、さぁっと血だまりが広がる。それを無表情なままみていた人物は、足音を消してその場を離れた。
ぼんやりとカウンターの隅に座って、実里は生きた屍のようになっていた。時折店員の殿村が様子を伺っている。実里は、この店の常連だ。いつも仕事帰りに立ち寄っては、友人と楽し気にお茶をして帰るのだ。うら若き女性とは思えない今の姿は、誰の目にも異常だった。
しばらくして、店長が実里に声を掛けた。
「実里ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
「え?ああ、はい」
「話して楽になるようなことなら、話してごらん。ほら、実里ちゃんのお気に入りのプリン、ごちそうするからさ」
目の前に愛らしいプリンアラモードが置かれ、空洞のようになっていた瞳に、ほんの少し光が戻る。そして、はたと思い出したように胸元のペンダントを握り締めた。
「店長さん、ありがと。彼がね、彼が…。」
「え?もしかして、浮気ですか!?」
寄ってきたのはウエイターの殿村だった。
「その方が良かった…。今、ニュースになってるわ。おとといの夜から連絡がつかないから、風邪でも引いたのかと思って様子を見に行ったら、警察がいて…」
「それって、もしかして、道向かいのマンションの事件のこと?」
実里の瞳にわっと涙があふれた。その時、一人の客が飛び込んできた。
「実里!やっぱりここにいた!大丈夫?!」
「静流ぅ…。どうして? どうして彼があんな目に遭うの?」
「実里、辛かったね。私、ずっと実里の傍にいるからね。」
静流がぎゅうっと実里の肩を抱き寄せると、実里も耐え切れなくなって、静流の胸で号泣した。
「ああ、その役、僕がやりたかったのになぁ。」
他の客のオーダーを運びながら、殿村が残念そうにぼやく。その後ろ姿をぎっと睨む静流のことなど、気づきもしない。
実里が少し落ち着いたところで、店長がそっとココアを置いた。
「少しは落ち着いたかな?ホットココア、どう?気持ちが落ち着くよ。お友達も一緒にどうぞ」
「ありがとうございます。実里、いただこうか」
頷いてカップに手を掛けたところで、スマホが鳴りだした。警察からだった。
「静流、心配かけてごめんね。警察から、もう一度事情を聞きたいから来てくれって。店長さんも、ありがとうございました。」
「とりあえず、ココアだけは飲んでいきな。外は冷えてきてるし。」
実里は頷いて、両手でカップを包み込むように持ち上げる。まだまだ気持ちはどこか遠くにあるような妙な気分だ。それなのに、ココアの温かさだけは、身体の中に広がっていく。
「じゃあ、失礼します。」
静流が付きそうと言ったが、それは辞退した。今は、甘えてしまってはいけない。そう思って、そっとペンダントを握り締めて一人店を出たのだ。
「実里ちゃん、大丈夫だろうか。芯の強い子だと思うけど、だからこそ、余計心配だよ」
殿村が閉じられたドアを見つめてつぶやく。
それから数日。実里は帰ってこなかった。警察の尋問は続いている。まるで彼女が犯人であるかのようだ。
あの日、再び取り調べ室に向かった実里は、木戸の両親と対峙した。息子の突然の死に取り乱していた母親は、いきなり実里を捕まえて、「人殺し!」と叫んだのだ。
「あの子が他の女性と付き合うはずはないわ。だって、ちゃんと許嫁がいたのよ。主人の会社の取引先の社長のお嬢さんよ。それなのに…。あなた、息子に振られて、腹いせにこんなことをしたんでしょう?!息子は私たちにはとてもやさしい子だったのよ。返して!あの子を返して!」
「やめないか!」
取り乱す母親を宥めていた父親が、実里の胸元に光るペンダントに目を止めた。
「君、そのペンダントは息子から?」
急に問いかけられて、戸惑いながらも実里は答えた。
「はい、なんでも、自分の気持ちを特別な方法で閉じ込めてもらったから、ずっとつけていてほしいって言って…」
「嘘よ!そんなもの、渡すはずがないわ!」
再び取り乱し始めた母親を父親が叱る。
「いい加減にしないか!この人だって、あいつのことを想ってくれていたんだ。あいつは、それだけ多くの人に愛されていたってことなんだ。若い娘さんが、あんなに目の下に隈を作ってやつれているんだ。それ以上責めるもんじゃない」
ようやく修羅場が落ち着くも、そのまま警察の尋問は続くのだ。
やっとアリバイがはっきりして、開放された時には、もう、何もかもがどうでもいいとさえ思っていた。
自分のアパートに帰りつくと、ちょうど配達の若者がうろうろしているところだった。
「あの、嘉村実里さんですか?」
「はい」
若者は、ほっとした表情で、大きな箱を手渡した。
「何度か伺ったのですが、お留守で…。これ、中身が花束なので、焦りました。じゃあ」
若者はあっさりと帰っていた。そのまま鍵を開けて、久しぶりの我が家に戻ると、ぼんやりと大きな箱を見つめながら、ここ数日の事を考えていた。
壁にかかっているカレンダーには赤いハートマークがついていた。あれは、何のマークだっけ。そう思った時、不意に思い出した。あれは彼が遊びに来た時に付けたマークだ。そう、自分の誕生日だった。出張で当日は会えないけど、帰ったらお祝いしようって、笑っていた。
テーブルに置かれた大きな箱には木戸の名前が記されていた。
「そんな遠くに出張なんて、行かないでよ…」
実里は重い腰を上げて、箱を開いた。中から出てきたのは、大きな花束と手紙だった。木戸らしい角ばった文字が便箋いっぱいに記されていた。
「帰ったらプロポーズするつもりだから、覚悟しておけだなんて…。お母さまのお見合い話は断ってる。そっか。」
実里は手紙をそっと封筒に戻すと、胸に抱きしめた。
1週間が過ぎた。木戸の遺体は検察に回され、未だ遺族の元に帰っていないという。もとより母親のあの権幕なら、葬儀には呼んでもらえそうにない。会社に申請していた有給もあと1日でなくなってしまう。どんなにつらくても、お金を稼がなくては食べていけないのだ。実里は意を決して部屋着を着替え、街に出た。
「しっかりしなくちゃ。 もう、彼はいないのだから」
通いなれた木戸のマンションまでの道。途中の花屋で小さな花束を買った。
「あ、先日のお客さんですよね。あの花束、大丈夫でしたか?」
「あ…先日はありがとうございました」
「それはよかった。大きな花束だったし、注文してくれたお客さん、めちゃくちゃ照れ臭そうだったから、どうしてもきれいな状態で届けなくちゃって思ってたんですよ。」
花束を配達した若者は、ここの店員だったようだ。思いがけず木戸の様子が聞けて、張っていた気がぐらっと崩れそうになる。
「そうだったんですか。素敵な思い出の品になりました。ありがとう」
実里はそう言って、店を出た。そして、木戸のマンションまでやってきたのだ。立ち入り禁止のテープは張られたままだが、警察の姿はどこにもなかった。ドアの前にそっと花束を置くと、通路にしゃがみ込んで手を合わせる。そして、立ち去ろうとエレベータに乗ったとき、エレベータの箱の隅に何かが光っているのが見えた。
直径2㎜程度のラインストーンだ。赤黒い汚れがついている。
「まさか…」
困惑しながらも実里はそっとティッシュでそのラインストーンをつまむと、大切にポケットにしまった。
「木戸さん。会いたいです…」
エントランスを出て振り返ると、実里はじっと木戸の部屋のあたりを眺めてつぶやいた。そして、そのままいつもの喫茶店に立ち寄った。
「いらっしゃいませ。実里ちゃん!もう、大丈夫なのかい?」
「店長さん、その節は、ありがとうございました。ずっと家の中に閉じこもっていたんだけど、それじゃだめだと思って、思い切って出てきたんです。明日からは仕事も再開します」
「そっか。よく決心したね。でも、辛くなったら、いつでもここにおいでよ」
店長の穏やかな笑顔にほっとさせられた。その時、実里はいつもの声が聞こえないことに気が付いた。
「あの、いつもの店員さんは?」
「ああ、殿村君? 彼、バイクで通勤しているんだけど、どうやらいたずらされてたらしくて、事故っちゃってね。足の骨を折って入院中。でもおかしいよね。従業員の駐車場は店の裏側にしているのに、わざわざそこまで来ていたずらするなんて。彼、あれでモテるから、変に逆恨みされたのかもね。」
「そうだったんですね。次、会われた時に、お大事にって伝えてください。」
少しずつではあるが、実里は気持ちを立て直す。しばらくすると、店を出て、自宅に向かった。さっきの花屋の前を通ると、店員が声を掛けてきた。
「あの、実はさっきその、事件の事を知って…。えっと、あの、大丈夫ですか?」
何と言って切り出せばいいのか、迷いに迷った様子で、しどろもどろの店員が言う。実里には、その気持ちが有り難かった。いつの間にか、知らない人にまで心配かけているんだ。しっかりしなくちゃ。
「ありがとうございます。」
実里は心を込めて礼を言う。頭を下げたその時、グラっと平衡感覚を失った。ここ数日の出来事でほとんど眠れていなかったのがいけなかった。
そのまま店員に突っ込む形で倒れこみ、その腕の中に納まっていた。
「だ、大丈夫ですか?! あの、俺…。同じ男として、あの人と話した人間として、力になりたいです! 事情もある程度わかってるし、ほっとけないです!俺で良ければ、泣きたいときはいつでもここで泣いてください!」
「何をやっているの! 実里から離れて!この子に変なことをしたら承知しないわよ!」
突然降りかかった常軌を逸した叫び声は、静流のものだった。
「違うの。私がふらついたから、支えてくださっただけよ」
「実里は黙ってて。いいこと。彼女が傷ついているからって、こんな時に自分の物にしようなんて、考えないことね」
「いや、そういうつもりは…」
静流は、実里の腕をつかむと、グイっと自分の方に引き寄せた。
「しばらく私のマンションで過ごしましょう。一人になるよりいいよ」
「静流…。ありがとう。でも、そろそろちゃんと自立しないとね。明日からは会社にも行くから。」
「何を言ってるの。無理しちゃだめよ」
細い腕に食い込んだ静流の指をはがす様に離し、落ち着いた声が言う。
「本当にもう大丈夫だから。」
心配する静流を残して、実里は、花屋の店員に会釈すると、そのまま帰っていった。それを見送った店員は、静流に目をやってぎょっとする。唇を嚙み、苦々し気に見つめる思いつめたような表情は、とても心配している様には見えなかった。
「あなた、誰に頼まれたの?」
「え?…な、何をでしょう?」
あまりに狼狽する店員の姿にはっとして、なんでもないわと言い捨てて、慌てた様子で去っていった。
*****
カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中、その人物は頭を抱えていた。自分の中の衝動と好奇心をどうしても抑えられなかったのだ。
「あれはやるべきではなかった。だけど、あの小動物のようにおびえる目を見たら、どうしても答えてやりたくなる。どんな風に逝きたい?何を使ってほしい?」
その瞬間自分の手の中の感触を思い出し、恍惚感に浸ってしまう。
「ああ、そうじゃない!なんとかリカバリーしなければ。やはりあの子を取り込んでしまおう。盗まれて困るような情報は、娘や恋人にひそかに持たせていることも多い」
半年前、久しぶりに留学時代の友人から連絡が来た時は驚いた。サイエン王国の隣にあるノーザンディから留学していると話していたが、まさか政治家の息子だったとは。思わず笑みがこぼれる。この仕事を終えたら、彼とは結婚が決まっている。こっちでどんな汚れ仕事をやっても、向こうに行けばノーカウントだ。だからこそ、どうしても成功させなくては。
つづく
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