篝火焚火は耐え忍ぶ
あれから一週間。
私とユエさんは夕映さんの家にいた。……なんだかこの表現は少し語弊を生みそうなので正直に言い換えよう。
あれから一週間。
私とユエさんは、夕映さんの家に軟禁されていた。
「今日もユエは離れないの?」
「離れないわね」
「焚火ちゃんも離さないの?」
「離さないですね」
「そっかー」
無駄に大きな西洋風の建物の一室で。起きた時に確認されるのはユエさんとの契約について。
部屋はかつて誰かが生活していたような痕跡があった。掃除されていなかった部屋はユエさんがすぐに綺麗にしてくれたので、そう言ったところは流石影法師と言わざるを得ない。
夕映さんは私とユエさんの意思が分かると満面の笑みになり、腕を掴んで風呂場に連れて行く。着の身着のまま蒸し風呂に投げ込まれれば肺を圧迫するサウナ耐久レースの始まりだ。
ちなみに参加者は私だけ。ふざけやがって。
全身から噴き出した汗と熱気で視界が朦朧とし、明らかな脱水症状で倒れれば出してもらえる。それまではドアを叩こうが壁を殴ろうが体力が奪われるだけだ。三日目くらいから黙って居座り、黙って倒れるようになった。
次に目を開けたらさっぱりと着替えさせられているのだから、影法師がいるのは便利だな。
「おつかれーバク食べよっか」
魔術師がユエさんの手を封じているせいで私達はハイドに行けない。なので食事は完全に夕映さん頼みだ。
しかしこの人、他人に対する配慮ってものが本当にない。瀕死で震えるバクを口に押し込んでくるのだから。サウナ耐久レースよりこちらの方が恐怖である。
口に入る瞬間に動いた触手。黒々とした下手物。噛んだら美味しいけど口の中でちょっと動く。ユエさんだってここまで生のバクを口に突っ込んできたことはないぞ。
何度か嘔吐したこともあるが、夕映さんは人懐っこく笑うだけだ。嘔吐処理だって影法師がいれば一瞬で終わってしまうのだから。うぉぇ。
今日も今日とて蟲のようなバクを吐き出し、生理的な涙を夕映さんに拭われた。
「光源やめちゃえば、普通に美味しいご飯が食べられるよ?」
「願いが、叶わないんで……無理です」
「そっかそっか」
サウナと下手物で既に疲労困憊。私はベッドに腰掛けたまま上体を横に倒し、隣に座った夕映さんに肩を撫でられた。
何を考えてるのかさっぱり分からない笑顔。何がしたいのか微塵も理解できない行動の数々。
「しんどい? 焚火ちゃん」
何を伝えたいのか分からない、言葉。
私は気怠く顔を上げ、笑う夕映さんの目元に告げた。
「しんどいんで、さっさとレリック、倒してきてください」
「お! 先輩を使おうとは良い度胸じゃないか!」
「純粋に光源してる人ですから。うちの影は駄々こねてるんで時間かかりますよ」
「だー、やっぱりなー。駄目だよユエ~焚火ちゃんを困らせたら」
「で、でも、でもね零、私」
「影は大人しく光の言うこと聞いとけよ」
夕映さんの言葉がユエさんに刺さる。辛辣な光源に影法師は萎縮気味だ。
ユエさんは私の痛みを全て背負っている。脱水症状で生まれる頭痛も、嘔吐で焼けた喉も。それでも彼女が私から離れることはなく、こちらを観察して逃げる機会を窺っているのだ。かく言う私も逃げ時を探しているんだけど。
夕映さんが離れる時はある。でも魔術師が離れない。完全体である魔術師と両手を封じられたユエさんでは、なんでも出来る便利な影法師でも差はあるのだ。
魔術師がここに来て喋った所を見たことがない。それは、朱仄さんの後ろにいた審判を彷彿とさせた。
ちなみに私はバイトを無断欠勤している事案にはなっていないらしい。夕映さんが「家族でーす」と大嘘をついて「妹は足の骨折ったんで休ませまーす」と虚構を固めたとか。最悪。次に出勤する時は菓子折り持って行こうかな。
家族のいない私の繋がりはバイトか学校。ただし学校は夏休み。私が家にいなくても知られない。バイトは前述の通り。行かないのが正しい。詰んだ。
誰にも探されない私は「影法師を離します」って頷かないと自由にされないようだ。
ユエさんは一度顎を引き、質問してくれる。
「零、貴方は一体何がしたいの? 最初にいた部屋、凄く嫌な空気だったわ。きょうだいも沢山いたし」
「自分の念願を叶えたいだけさ」
夕映さんは私に覆いかぶさる体勢で手を持ったかと思うと、私の小指を握った。その光景だけで冷や汗が出る。さっさと上体を起こしておくのが正解だった。間違えた。
私の喉が緊張して張り付いた時、夕映さんが体重をかけて私の指を逆方向へ折り曲げた。
「ぐっ"、っ"ぅ"~~~~~」
背中を丸めたユエさんが蹲る。夕映さんの行動は止まらない。
小指を曲げたら薬指。次は中指、人差し指。
全身で私を抑え込んだ相手は花の茎を折るように、人の指を手折っていく。
動けない私はベッドに顔を押し付けて、痛みの元を見ないよう歯を食いしばった。
右手の指が、動かなくなる。親指は結束バンドで結ばれているので無事だ。いや無事ではないか。
止めていた呼吸を反射的に再開させると、上から夕映さんに頭を撫でられた。
「レリックを早急に倒したいのは本当だよ。焚火ちゃんに言われなくたって、自分が全員ぶっ壊してやる。でもね、それだと自分の願いが整わないんだ」
「とと、のう……?」
「そ。自分はねぇ、影法師を全員集めて、それでレリックを壊し切りたいんだよ」
夕映さんの手が私の左手に重なる。私の肩が無意識にはねた時、人差し指が折れる音がした。小気味よく、軽快に。
「ルトとイドラはレリックを壊してくれると思ってるから、取り敢えず最後かな。塔も後回し。流石に天明くんから離せる気はしないからねぇ」
中指が折れる。ユエさんの声が鈍くなる。
「嵐と凪には会ったかな? 会ったよね? アイツらも使えるから、まだ見逃しとくよ。ほんとは焚火ちゃんもこんなに早く貰う気はなかったんだけど」
薬指が折れる。痛みなくして伝わる振動に鳥肌が立つ。
「ちゃんと待つつもりだったんだ、ほんとだよ? 自分は光源の味方でいたかった。でも、でもさぁ、駄目だよね。味方だと思ってる相手と道が違えば、こっちが情を配るのは骨折り損だ」
小指が折られる。私の左手から力が抜ける。
「だからもう貰うことにした。他の光源の願いなんてどうでもいい。自分勝手最高。我儘でいこう。だから審判の首を刎ねた時は爽快だった」
後頭部近くで笑い声がする。髪にかかった息が怖い。
治った右手の指を握り締めた時、背中のくぼみに鋭い切っ先が押し当てられた。
「アルカナ、使ったら刺すよ」
明確な脅しに血の気が引く。いつもそう。ここに来てからずっとそう。アルカナさえ使えれば、ガントレットさえ纏えれば、離れられると思っているのに。
弱い私は一言が吐けない。怯えた私は、いい子になってしまう。
私が右手を開いた時、夕映さんもナイフを引いた。頭に乗った手は「よくできました」と言わんばかりに髪を撫でる。
「太陽、女帝、節制、力、戦車、死神、世界、審判……次は愚者を狙うつもりだったんだ」
夕映さんの喉が鳴る。猫が甘えるように笑っている。
「あのクソ男をこの部屋に連れてきて、全身の骨を砕いて、切り刻んで。愚者が出て行こうとするのも邪魔してさ。涙と喉が枯れたその時に、契約を切らせて、愚者を閉じ込めるつもりだった」
脳裏に浮かんだのは弱虫の先生。きょうだいとの対面を恐れて、言葉を恐れて、微塵も興味を示されなかった現実に打ちひしがれて。
よかったですね、先生。夕映さんの意識、貴方に向いたみたいですよ。最悪の形で。
「……嫌いですか、お兄さんが」
「嫌い?」
夕映さんの指が私の髪に差し込まれる。少しだけ頭皮が引かれる感覚がした。余計なこと聞いたかな。
私の後ろ、見えない場所で、夕映さんは渇いた笑いを零していた。
「不幸になれ。不幸にならないなら死ね。そう思ってるけど、これって嫌いってことになるのかな?」
あっけらかんとした回答。口を結んだ私は、無言の肯定を返しておいた。
***
夕映さんがいない時間、私は恐れず部屋を抜け出す。魔術師が止めるのは家の外に出ることだけだ。だからこれは監禁ではなく軟禁なのである。
ユエさんは私の背中にべったりくっつき、魔術師はゆったりと着いて来た。窓の外は夕焼け色に変わり始めている。
そういえば焔さんとの約束、十七時にハイドに行く、に関しては無断欠勤してるな。まぁいいか。あの人は朱仄さんのケアでもなんでもしてたらいい。
私は何度も見て回った各部屋を回り、夕映さん以外の人が住んでいる様子がないことに違和感を覚えた。ここに来て一週間経ったが、あの人の家族を見ていない。家族がいたら普通に私は歩き回れていないんだろうけどさ。
「あ、焚火ちゃんだ~、何してるの?」
ふと一室から出てきた夕映さん。そこはいつも鍵をかけている部屋で、私はまだ入れていない。魔術師は無言で夕映さんの斜め後ろに移動した。私は鍵の閉められた部屋を一瞥し、夕映さんに視線を戻す。
「運動不足になりそうなので、散歩です」
「ユエが離れれば自由の身だよ」
「ユエさんを自由にするのが契約です」
笑って溜息をついた夕映さん。相手は私の頭を軽く撫で、少々サイズが合ってない服の肩を直された。ここ最近は夕映さんのおさがりを与えられている。
夕映さんは私の腕を引いて元の部屋に戻した。かと思えば櫛で私の髪を梳きはじめる。
これもいつものこと。ある種の合図。段違いの私の髪を一本一本綺麗に整えて、黙ってベッドメイクがされ、玩具のごとく転がされる。
私の両手は親指が繋がれているので輪っか状になっている。夕映さんはその間に頭を入れて、人の二の腕を枕にするのだ。
そのまま胸に顔を埋めて、服の裾を握って目を閉じる。
私は肘を曲げることも手を開くことも出来ないので黙って相手の好きにさせた。勝手に人の腕に入り込む夕映さんは何を考えてるのか微塵も分からない。
この時間が一日の中で一番静かだ。誰も喋らない。光も影も沈黙を続け、誰も壊さない静寂だけが流れていく。
夕映さんはおかしい。この家もおかしい。魔術師もおかしい。全部おかしい。
おかしさの中に取り残されて、訳も分からず閉じ込められて。
夕日が沈んでいく。夏の暑さは影法師のおかげで感じない。
薄暗くなる部屋の中、私は夕映さんの寝息を聞いた。
ユエさんはベッドに腰かける。魔術師は私と夕映さんを音もなく見下ろし、少しだけ手が動いた。
上がった手が夕映さんの髪に触れかけ、目的は果たさず引っ込められる。
私は魔術師を見上げ、朱仄さんの言葉を思い出した。
『こころは、どこにでもあるよ。人にも、ばけ物にも……影の、寄生虫にだって』
ユエさんとの記憶も反芻する。
『……自由になりたいと思うのは、心があるからこその願いじゃないかしら』
沢山の言葉が沈殿する。混ざって解けて、絡まって。音もなく足元を崩していく。
あぁ、ここは、愚か者の巣窟だろうか。
「……アルバ」
魔術師の肩が大きく揺れる。フードの隙間から金糸の毛先が微かに零れる。
綺麗な唇を震わせた影法師は、私を見つめている気がした。
「貴方は、アルバになりたいですか」
問いかけても、魔術師は答えない。
黙って私を見下ろして、黙って袖に手を隠して。
黙って黒布を、濡らすから。
私は影法師から目を逸らし、眠る夕映さんの髪に頬を寄せた。




