篝火焚火は囲われる
暴力表現が少し多めにあります。
よろしくお願いします。
縁に恵まれた人が羨ましい。
助けてと言える人が羨ましい。
寂しいと訴えられる人が、羨ましい。
いいな、いいな、妬ましいな。
誰かと手を繋げる人。お願い出来る相手がいる人。愚痴を聞いてくれる他者がいる人。他人に心配してもらえる人。
みんな、みんな、妬ましい。羨ましい。どうして、どうして、どうして。
私が一体何をした。
私は何が駄目だった。
あの日、叔母さんを見捨てるのが正しかったのか。椅子を振りかぶったのが駄目だったのか。やっぱり玄関を開けたのが、駄目だったのか。
怖かった、痛かった、涙が出た。なのに誰も背中を擦ってくれない。「大丈夫?」のひと言もくれない。
全て化け物のせいだ。化け物が両親を乗っ取ったから、心を食い破ったから。本当なら、私の元には優しい両親が駆けつけてくれるはずだったのに。
――なんて、それは本当だろうか。
私はただ、見ないふりを続けていたのではないか。これが自分の両親だと認めたくなかったのではないか。
仕事が忙しいから叔母さんの家に預ける両親は良い人だったのか。寝る場所とご飯を与えてくれる大人は親だったのか。
あの人達は本当に、優しかったのか。
「自分の趣味、焚火ちゃんに教えたっけ?」
掌が、指が、肩が、腕が切られて何分経った。
顔を覆った両手は数えきれないほど刻まれ、再生した。
元々地のクイーンと激闘を繰り広げた後だ。業火に落ちる男どもを拾った後だ。バクの供給より消費が多かったなんて、気づいたところで遅いのに。
「自分の趣味は過去の事件のスクラップを集めることなんだ」
ユエさんの悲鳴が聞こえなくなってどれくらい経過した。
私の体はどれくらいの時間、震え続けているんだ。
切られる衝撃で喉から呻きが漏れる。叩きつけられる切っ先の冷たさに奥歯が鳴る。
「けど新聞って書かれないこともあるからさぁ、ちょーっと気になった記事をネットで調べたことがあったんだ」
前腕の骨に果物ナイフが当たった。
辺りに響くのは私の呻き声と、鋭くナイフが動く音。
肉が裂ける。血は飛ばない。それでも体が疲弊していくのが分かる。
「顔が見えないって怖いよねぇ。何でもかんでも他人の情報を引っ張り出して公開してもいいとか思ってるんだから。まぁそのおかげで自分も知ったんだけど! 信憑性は置いといて!」
痛みがないとは恐ろしい。相手がそれを知っているのも恐ろしい。
急所を外せば殺せないと知っているのだから。
終わらない恐怖が続いてる。振りかぶられた果物ナイフに、怯えた私が反射した。
「頑張ったねぇ焚火ちゃん。小さい手で叔母さんを守ったんだ、偉いよ君は。とっても偉い」
笑った猫が何十回目かも分からない刃を私の耳に突き立てる。ぶつりと耳輪の辺りが切られ、暴挙は一時停止した。
耳鳴りを起こしている鼓膜にユエさんの悲鳴が入り込む。痛みで叩き起こされた影法師が黒い血だまりの中で震えている光景が想像できた。
酷く浅い、過呼吸が聞こえる。これもユエさんだろうか。
違う、違う。これは、私の呼吸だ。私の肺がおかしいんだ。
夕映さんは私の瞼を撫でる。前髪を穏やかに払われて、冷や汗で張り付いた髪の束は剥がされた。
殴れ、殴り飛ばせ、この化け物を早急に、壊さないとッ
臆した衝動のまま拳を振る。夕映さんの顎を狙って、化け物から距離を取る為に。
しかし私の腕は夕映さんの顔に当たる前に止められ、全身から血の気が引いた。
「わるーい手だね! 折っちゃおう!」
「あ、」
捕まれた拳を引っ張られ、真っ直ぐになった肘が外側から殴られる。
腕が逆方向に曲がった瞬間、ユエさんの絶叫が響き渡った。
「あはは! 焚火ちゃん顔真っ青だよ! でも痛くないでしょ? 痛いのは影だもんね」
治ろうとする関節を夕映さんが邪魔する。前腕を外側に曲げて再生するよりも早く肘を折り続け、ユエさんの声が枯れていく。
私の耳はナイフに妨げられ、皮膚が繋がることはなかった。
自分の体が壊されていく光景が夢ならどれだけ楽だろう。木霊するユエさんの悲鳴が幻聴ならどれだけ救われるだろう。
怖くて目を閉じる。固く強く瞼に力を込めて、恐怖を視界の外へ追いやろうと足掻いてみせる。
「こらこら、現実から目を逸らすのは駄目だよ」
なんて、こちらの気持ちは微塵も化け物に伝わらなかったが。
瞼を指先でこじ開けられ、肘の内側から飛び出した白い骨と黄色い脂肪、赤い筋肉繊維を目に映す。
私の喉はおかしな音を立てて、夕映さんが再び瞼を撫でた。
「いい子」
そんな褒められ方、望んでない。
こんな「いい子」欲しくない。
それなら悪い子でいい。満点笑顔も聞き分けのいい篝火さんも捨ててやる。
夕映さんの瞳はユエさんの方を向き、お面のせいだけとは思えない影がさした。
「ねぇユエ~、そろそろ痛いの嫌でしょ? 焚火ちゃんから離れなよ。それで自分と一緒に行こーよ」
「ッ、そ、んな!」
「焚火ちゃんは黙りまーす」
首を押さえていた手が口に被せられ、体重がかかる。顔と後頭部を圧迫感に襲われて折られた手が揺らされた。やめろやめろやめてくれッ
「う"、あ”、あ"ぁ"ぁ"ッ」
「ねぇユエー」
「い"た、ぃたい"、ぃゃ"~~~ぁ"ッ」
「癒しの月も痛みには平伏すんだ。喉潰れそー」
折れた先にある手首を夕映さんが握る。濁音交じりのユエさんの声は大きくなり、私の呼吸はより一層浅くなった。
私の痛みで他者が叫んでる。私の傷でユエさんが悲鳴を上げる。私の弱さが、ユエさんを痛めつける。
ユエさんが唇を噛み締めて呼吸する音が聞こえた。夕映さんは私の折れた腕を離さない。
「さぁ、出て行きなよユエ。次は何するか分かんないよ」
「……ぃわ……」
掠れ切ったユエさんの声。地面を這いずる音もして、動かせない私の頭に触れる指先があった。
痙攣する指が私の頭を撫でる。冷たい空気が私を包む。何度も切られた指は、鳴らす気力がない。光の国へは帰れない。
ユエさんは、黒い血を滴らせながら這いつくばっている。
「でて……ぃかないわ……わ、たし、ききとどけた、の」
「へぇ?」
「かなぇ、るの……かなえて、ぁげたいの、たきびちゃんの、願い」
息を荒げたユエさんが夕映さんの手首を掴む。細く伸びた影の紐が夕映さんを拘束しようと宙を蠢く。
それを止めたのは、ユエさんの隣に立った魔術師だ。
魔術師の影はユエさんの影に絡みつき、夕映さんは月の手を鋭く払いのけた。
私の口が自由になる。一気に呼吸が楽になる。
肺を膨らませて呼吸するのと、夕映さんが折れた腕を離したのは同時だった。
ユエさんの顔から黒い布が落ちる。視線を向けると、雑に縫われた目元が見えた。美しい月には似合わない悍ましい裁縫が晒される。
「だから、離れないわ、わたしは……月の、名にかけて」
ユエさんの口角が上がる。前に落ちた三つ編みには黒い血が飛んでいたが、それすらも美しく見せるのだから。
私は自然と深呼吸してしまう。
疲れ切った様子でユエさんは上体を倒した。冷たい額は私の額に触れ、緊張と恐怖で壊れていた体温が冷たく包まれる。
「ね、焚火ちゃん……」
月光のように穏やかな声。私の呼吸を許す音。何度か動いた指先は、音を鳴らせず地に落ちた。
眠気を誘う空気に息を吐いた時、現実へ引き戻したのは瞼を撫でた夕映さんの手だ。
「……鳥肌ー」
夕映さんは私の耳からナイフを抜く。ユエさんの耳は再生し、私は唇を噛み締めた。ナイフは今すぐにでも振り下ろされそうだ。内臓が締め上げられる恐怖はまだ終わってない。
「ねぇ焚火ちゃん、君から言ってやりなよ。ユエさえいなくなれば私の恐怖は終わるんだーって。流石に自分も何回も刺すのは疲れちゃうんだよね」
ここで私が隙を見せれば、ユエさんは縁を切るかもしれない。でもこの影は、私の願いを想ってくれたのだ。ちゃんと約束を果たそうとしてくれているのだ。
ならば私が弱気になることはない。どんなに怖くても、どんなに体が震えても、自分の上にいる面の化け物には勝てないと警鐘が鳴っても。
叶えてもらうんだ、私の願いを。ユエさんを自由にして、私は、温かい心に抱き締めてもらうんだ。
願いが叶わない恐怖を想像すれば、今はまだ、耐えらえるだろ。
返事をしない私を見下ろす夕映さんは、おもむろにユエさんの手を握った。
「れ、」
ユエさんの言葉が肉を貫通した音に遮られる。
私の上ではユエさんの手の甲に刺さったナイフが、綺麗に掌側へ通っていた。
しかしユエさんは騒がない。呆気に取られた様子で、鼻で笑ったのは夕映さんだ。
「ほらね。見なよ。こいつらは寄生虫で、化け物だ。人間の影に寄生して、人間の痛みしか感じない。自分では痛みなんて感じられない化け物だよ」
夕映さんがナイフを抜き、魔術師の影がユエさんの指を締め上げる。きょうだいに引き倒されたユエさんが離れ、私の視界には夕映さんだけとなった。
「人の痛みを勝手に背負って叫ぶんだ。それはコイツらの痛みじゃないのに。まるで自分が傷つけられたみたいにさ」
瞼が撫でられる。眼球の形を辿るように。
「ムカつくなぁ、ムカつくなぁ……嫌いだなぁ」
「ゆうば、さん」
「焚火ちゃん、君が言えばいい。もう出て行ってくれって。どこか遠くへ行ってくれって。お前のせいで怖いんだって」
猫の尾が地面を撫でる。哀愁漂う姿に瞬きした私は、眼球を動かしてなんとかユエさんを捉えた。
人の影に勝手に住み着いた化け物。優柔不断で、言葉が足りなくて、考えも足りない。感受性だってズレてて、パラボラにもアンテナにもなれやしない。
無駄に人懐っこくて、きょうだいが好きで、自由になりたいって願った影法師。
自由になって欲しいって残影に願ったのに、伝え方を間違え続ける愚かな化け物。
あぁそうだよ。全部この化け物のせいだ。この化け物が私を選んだから。変な光源しか選ばないから。
影の化け物が、独りぼっちの部屋で真心くんを抱いていた私を――見つけてくれたから。
「はなれないで」
自然と呟いたセリフに、ユエさんの口から息が漏れる。
離れないで欲しい。
傍にいて欲しい。
私の願いを叶えて欲しい。
「かなえて、私の願い」
貴方の近くは寒いのに、一人でいるよりマシなんだ。
影の化け物が現れたから、誰かに期待することを、また私は覚えてしまったんだ。
瞼の裏に浮かんだ筆使い。友達想いの優しい狂人。怖くて不気味で熱い人。
黒い手も知った。化け物を玩具にする怖い人。
硬い鎖も知った。一人の為に一途になれる怖い人。
隠す面も知った。全てを捨てて笑う、怖い人。
みんな怖い。頭の螺子がぶっ飛んで、人の話なんか聞きやしない。こっちがどれだけ不安を抱えているかも知らないで。面倒くさくて溜息が増えたことだって気づかないくせに。
それでも、独りぼっちよりマシだった。
独りで蹲ってるくらいなら、怖い人達と会う方が、マシだったから。
それらを繋いだ影法師。光を導いた影の化け物。
ねぇ、だから、お願いだ。
「……いかないで、ユエさん」
拳を解いた手をユエさんに向ける。化け物を殴るより、影法師と繋ぐ方が有益な気がした。なんて、それはそれで情緒が壊れてしまったか。
掌に衝撃が走る。
鈍く光るナイフが私の手を貫通する。
息を呑んだユエさんの姿が見えたと思ったら、掴まれた顎を無理やり上に向けられた。
「……残念」
口角を上げた猫がいる。お面に隠した目の奥を爆発させる光がいる。
何度も撫でられた瞼。柔らかく触れる指先。
不意に指の腹が私の瞼を押し開いた。
右目が空気に晒される。
「じゃあ、まぁ、仕方ない」
夕映さんの笑みが歪んだ、その瞬間。
「拷問続行だ」
眼球のふちに、白い指が食い込んだ。
***
気絶は強制的に時間を飛ばされた感覚がして、起きた時に混乱する。眠っているのとはまた違う。無意識のうちに意識を手放したある種の防衛本能だ。
だから私も目覚めた時に混乱した。
冷たい床に寝かされて、両手の親指を結束バンドで結ばれている。
腹部には気絶しているユエさんが乗っており、彼女の両手は影でぐるぐる巻きにされていた。
薄暗い部屋に視線を走らせると壁の一部に凹みが並んでいるのが分かる。数か所にカードがはめ込まれており、その中には審判の姿もあった。
「あ、起きたねー。目の調子はどうかな?」
椅子が軋む音がする。咄嗟に振り返れば、椅子の背もたれを前にして座った夕映さんがいた。綺麗に切り揃えた毛先を揺らし、カップアイスを嗜みながら。
「ようこそ焚火ちゃん、我が家へ」
また椅子が軋む。私の背中に冷や汗が伝う。
夏の夜の蒸し暑さを感じさせない部屋で、夕映さんは唇を舐めた。
「ご飯食べる?」




