篝火焚火は気後れする
光源として正しい選択をしている夕映さん。
あの人は何も間違ってない。
全てを混濁させて、ややこしくしているのは影法師なのだから。
「殺そうよ、焚火ちゃん。君は是が非でも願いを叶えたいんだろ?」
水のナイトの煤が宙を舞っている。夕映さんが踏んだ繭は綺麗に潰れ、魔術師は影からバクを出した。燃料を雑に噛み千切った夕映さんは笑顔で私を見上げている。
「影法師の言葉なんて無視しよう。レリックの想いがなんだって言うんだ。自分勝手で行こうよ。ぜーんぶ全部、悪いのは影法師なんだから!」
夕映さんが猫の面を顕現する。猫は近寄るバクを踏みつけて、魔術師の影に投げ込んでいった。
明らかに一人では多すぎるバクを収集する夕映さん。私はユエさんに一度視線を戻し、青白い表情でガントレットを掴む影法師に奥歯を噛んだ。
夕映さんを止めて何になる。あの人を放っておけばレリックを全員倒してくれるかもしれない。この勢いならもう、私が怖い思いをすることも、面倒なことで頭を悩ませることもしなくてよくなりそうだ。
全て任せてしまえよ。あの人が壊れようが魔術師がどうなろうが私にとっては他人事だ。そこに気を揉む意味は無い。
私が何したって、夕映さんが抱き締めてくれるわけじゃない。あの人の頑張りに乗っかっていれば私の願いは自動的に叶う。使えるもんは使ってなんぼ。便乗しよう、傍観しよう。それが人間、人との付き合いなんてそんなもの。
『してもらいたかっただけだよ』
うるさいなぁうるさいなぁ。膝枕を強請った猫の声がする。背中を向けた人間の姿が浮かぶ。
目を固く瞑って、忘れようとしたって浮かんでくる。夕映さんだけではない。光源になって出会った奴らは総じて面倒くさくて、頭のネジ外れてて、ウザくて怖くて堪らないのにさぁ!
「止めれば、いいんでしょッ」
あぁもう全部、全部、面倒くさいッ
私は屋上の柵を飛び越えてソルレットから風を噴射させた。
バクを集める夕映さんはこちらに気づき、唯一見える口元が三日月のように弧を描く。
何も考えずに掴もうとした手は躱された。お返しの如く夕映さんの蹴りが背中にめり込む。痛みに叫ぶのはユエさんだ。
私はソルレットから勢いよく風を噴射して踏ん張りをきかせ、ゲラゲラ笑う夕映さんで視線を止めた。
「夕映さん、貴方は何をしようとしているんですか」
「楽しいこと、面白いことさ! 知ってるだろう? 自分は面白いことが好きだって」
「それで貴方は何を得るんですか」
「何も得ないよ。全てを捨てる為にやってるんだから」
「ッそれで、貴方はいいんですか」
「いいよ。いいさ。どうでもいい。あのクズ男も、親も、他の光源も、自分にとってはもうどうでもいい」
両手を広げた夕映さんの口角が吊り上がる。飛び掛かるバクを尻尾で殴り、再び顔を掻きながら。
私の鼓動が早くなる。血液が荒く全身を駆け巡り、思い出したくない光景が目の前を過ぎた。
玄関を開けた先にいた黒い影。手で煌めいた包丁。まとまらないまま吐かれた暴言。
冷や汗が頬をうだる。歪んだ視界が、かつての化け物と夕映さんを、重ねてしまった。
「焚火ちゃん」
猫が笑う。影を招きながら笑う。
お面の奥にある瞳が、怒りの業火で瞬いた。
「自分はまだ、ちゃんと、人間に見えるかな?」
あ、コイツ、もう駄目だ。
ソルレットから全力で風を噴射する。一気に夕映さんの懐に入れば、私の肘からは突風が吹き荒れた。
握った拳で夕映さんのお面を狙う。猫はゲタゲタ笑って顔の位置をずらし、私の視界にしなる足が入った。
頬骨に夕映さんの足の甲が炸裂する。防御が遅れたせいで体は吹き飛び、骨の砕けた音が鼓膜へダイレクトに響いた。
「あ"ァッ!!」
ユエさんから潰れた声が聞こえたが気にするな。影が呻くのはいつものことだ。私だって自分の怪我を理解してる。無傷では何も得られない。
建物の壁に両足をついて勢いよく蹴り出す。ソルレットの風も合わせて夕映さんに向かえば、柔らかな猫は舌を見せるのだ。
浮かんだ黒い杖のマークが嫌に目につく。お面の向こうで輝く瞳に鳥肌が立つ。
これはもう、光というにはあり余る。
何考えてる。何しようとしてる。コイツの面白いことがまともだったことなんて一度もないんだが!
怖い、怖い、寒気が止まらない。幾度も脳裏にあの日がよみがえっては奥歯が鳴った。
止めるのは後だ。
先に一回壊さないと、私の恐怖が終わらない。
夕映さんの爪を空中で躱し、回転させた体の勢いを乗せて踵を落とす。だがしかし、蹴りは交差させた両腕に止められた。猫の舌なめずりが見える。
全身を沈めて蹴りの威力を殺した夕映さんは、私の足首を掴んで地面に叩きつけようとした。
咄嗟に肘を地面に向けて全力で風を出す。吹き荒れた暴風は夕映さんの足を微かに揺らし、私を地面にぶつけなかった。
ガントレットの指を地面に突き立て腰を回す。夕映さんの手を勢いよく蹴り離せば、相手の懐が開いた。
空と地面が分からなくなる。上下があやふやになって眩暈がする。そんな気持ち悪さは呑み込んで、私は夕映さんの鳩尾にガントレットを叩き込んだ。
「う"、ぉぇ"、ッ!!」
腹部を押さえた魔術師が吐血しながら地面に崩れ落ちる。吹き飛んだ夕映さんは両手両足で地面を滑り、大量の唾を吐き出した。
駄目だまだ意識があるぞ。
私は殴った勢いで踏み出した足に力を入れる。風を噴射し宙を駆ける。絶叫マシンなど比ではない。
私は風だ。風は自由だ。形はない、色もない。だからこそどんな向きにも形にもなれる。威力に制限はない。
夕映さんは四つん這いの姿勢でこちらを見上げた。ガントレットの風圧は先程よりも激しくなり、私の心臓に呼応するようだ。
容赦なく殴った地面が割れる。身を翻した夕映さんが面を押さえて歯を見せる。
「あっはははは!! 焚火ちゃん容赦ねぇなぁ面白い!!」
「貴方は今、レリックを壊す以上の何かを考えてるだろ!!」
「ンだよそんなことまで分かるわけ? これだから怖がりは飽きさせねぇなぁ!」
「それは怖いことだ! ぜったいに、誰かを傷つける、駄目なことだろうが!!」
「お前だって祀くんの首切ってただろうが!! 心を欲した化け物ちゃん!!」
自分の喉が一気に締まる。指先についていない鮮血を想像して、鳥肌が立って、背中を押す衝動に冷や汗が湧いた。
私は、私は、私はまだッ
「化け物だったのはアイツの方だ!!」
「違うわ馬鹿野郎! 光源なんて、人間なんて、全員化け物なんだよ現実みろやッ!!」
互いの拳が頬を掠り、毛先を吹き飛ばして汗が弾ける。喉の渇きを無視した私は一歩を踏み込み、腰を勢いよく回転させた。
瞬間、ガントレットの輪郭がブレる。
ソルレットが風になる。
しまッ
「やーい、バク不足」
嘲笑った夕映さんの踵落としが肩に叩きこまれる。笑った膝と眩暈で地面にぶつかると、間を置かずに胴体を蹴り飛ばされた。人をボールか何かと思っているような蹴り方で、建物にぶつかることでなんとか止まる。
地面に崩れ落ちた体が上手く動かせない。なんで、どこも怪我してない、傷は全部治ってるのにッ
「焚火ちゃん!」
目の前に滑り込んだユエさんが膝をつく。ふわりと優雅に膨らんだ裾は地面に広がった。
「焚火ちゃん、バクを食べましょ、お腹が空き過ぎよ。燃料空っぽなの!」
「……ばく……」
「バクはいっぱいあるわ、焚火ちゃんたくさん捕まえてるもの。だぁいじょうぶ、大丈夫よ!」
「なにが大丈夫だよ寄生虫」
私の前にユエさんが出したバクが落ちる。銀色の髪が勢いよく蹴り飛ばされ、私の視界から影が消えた。咄嗟に顔を上げれば頭を押さえたユエさんが倒れている。
「ぅ、~~~っぅ」
「ユエさッ」
「はい黙るよー」
後頭部に靴の感触がしたと思った瞬間、額から地面に踏みつけられる。骨と地面がぶつかる音は鈍く響き、鼻の頭や額が違和感を訴えた。
「い"ッ、ぃ"あ"、!!」
「あっははー、おっもしろいよねー。光を痛めつければ影が藻掻くんだ。元々痛みなんてない化け物のくせに!」
足が離れる。顔を上げようとする。容赦なく踏み潰される。また足が離れる。
そんな暴行を何回続けられたのか。
気づけば地面には亀裂が入り、私の顔からは汗が滲んでいた。痛みはなくとも体が逃げろと叫んでいる気がする。意識を飛ばせと眩んだ視界が警鐘を鳴らす。
「人間は頑丈だよねぇ。いや、痛みがなければ危険に気づかない間抜けってだけなのかなぁ」
前髪を掴まれて無理やり体を起こされる。背中を思い切り建物にぶつけられたと思えば、顎の斜め下から骨の砕ける音がした。
「ぃ"、あぁぁぁッ!!」
左胸の上を押さえたユエさんがのたうち回る。私は自分の鎖骨を折った夕映さんの拳を見て、顎から汗が落ちた。
「普通なら悶絶必須だけど、やっぱ感じないと駄目だよねぇ」
猫が笑う。
「ねぇ焚火ちゃん。自分さぁ、祀くんのやり方は優しかったと思うんだぁ」
光源が笑う。
「光を痛めつければ影は出ていく。でもそれは影が光を想ってるなんて、気持ち悪い前提が成立してないと始まらない」
目の前で、怖い化け物が、笑ってる。
私を仰向けに引き倒した夕映さんは馬乗りになり、袖の中に手を突っ込んだ。スナップボタンを外すような音がする。
「だから自分は思うわけだよ」
袖から出てきたのは抜き身の果物ナイフ。光のないハイドで、刃が煌めいて見えたのは錯覚か。
動悸がする。呼吸が浅い。
これはまるで、あの日の再現。
掘り起こされたくない、全部が変わった日の光景。
猫の面をつけたままの化け物は、私の首に手を添えた。
「殺すつもりでやるべきだ。光を通じて影を殺す。そうすればアイツらは堪らなくなって出ていくしかなくなるんだ。我が身可愛さに。光源なんて見捨ててさ。終わらない痛みなんて受けたくないもんねぇ」
声が出ない。
喉が締まる。
足が動かない。
全身が震えてる。
「なぁに、鈍感な光源なら大丈夫だよ。急所を外せば治るから。一撃必殺でないなら死なないよ。拷問なんてへっちゃらさ! だからさ焚火ちゃん。自分に協力してくれないなら、レリックを壊すのに足踏みしてるなら!」
壊れた光が笑っている。
「自分の念願の為に」
その胸に抱いた業火を、制御できなくなった化け物が。
「頂戴よ、月」
振りかぶったナイフを、容赦なく振り下ろした。




