篝火焚火は歪を見る
焚火ちゃんの視界に戻ります
期待することはじわじわと呼吸を侵される行為なのでしたくない。
そう決めていた。
決めていたのに、あら不思議。
業火の中で筆を振るう怖い人を見て、私は自分が微かに期待していたと知ったんだ。
知らないうちに、彼の墨が私に付着したのだろうか。火種が燃え広がっていたのだろうか。
『篝火焚火、俺は絶対にお前を逃がさない。そう決めている。だから奪われるなんて以ての外だ』
その言葉を忘れていない。馬鹿な人、嫌な人、怖い人だと自分に刷り込んでいたのに。
『存外、焱ちゃんは泣き虫だよな』
仕方なさそうに笑った顔がこびりついて嫌になる。
だから彼が戦っている姿を見届けようとした。怖い人が怖い人をどうにかする様を見物した。もしもその過程で筆が折れて影が剥がされても、全力で彼が燃えた結果ならば致し方ないと口を結んで。
怖い人、怖い人、とてもとても、怖い人。人の文字を欲しがって、人の気持ちを墨で容赦なく塗り潰していく人。
そんな人が猛々しく燃える姿は鮮烈だった。相対する自己中な善人も折れずに足掻くから、見ているだけで肌が泡立った。
なのにさぁ。
最後の最後、建物の倒壊で。
動こうとしたのは分かった。でも動けないよな。どう考えても生身の人間がいていい温度の場所にいないんだから。
落ちるよな。それも仕方ないよな。互いに相手しか見ずに、相手から化け物を剥がそうとしていたんだから。
これであの人が燃えても仕方ない。二つの光源がなくなっても仕方ない。
燃えて朽ちるなら煤ではなく、綺麗な灰になってくれ。
思った時、私が目にしたのは――笑顔だ。
互いの化け物を剥がしてもいないのに、互いの願いを叶えてもいないのに。業火の筆使いと蛮行の救済者は笑いやがったのだ。
成し遂げてないけど満足だ。こんな最期も悪くない。仕方がない。まぁ、お前とならこんな結末もありかもな?
あぁそうか、お前も、結局は。
私を置いていく奴なんだ。
気づけば私は飛んでいた。重たい男どもを掴んだ灼熱の中で、足先から冷えていく感覚を抱きながら。
「……心中をご希望でした?」
安全地帯に投げ捨てた男は「じこだ」と言った。ならば死に物狂いで生きようとすればいいのに。方法がなかった訳ではないだろ。アルカナがあれば、無様に落下を受け入れなくてよかっただろ。
首を持たれても抵抗しない善人は「生き様の中に」心があるとした。ならばお前の心は全くもって温かくないな。救済という美しい行為と暴力という許されざる行為を同伴させたお前の心は、化け物じみていると思うのは私だけか?
そう、そっか、そうだよな。コイツは既に化け物に片足を突っ込んでたんだ。だからこんなに怖いんだ。罪滅ぼしや傲慢な感情で心を浸食された奴だったんだ。
そんな奴を見過ごしていたくない。私の視界に化け物になりかけている奴がいる。
ならば芽を摘まなければ。コイツはいつか、私を傷つける化け物に堕ちる。
化け物になれば心は食い破られる。だから私の両親はいなくなった。私を心配しなかった。心がないから、心がないから、心が、ないから。
「こころは、どこにでもあるよ。人にも、ばけ物にも……影の、寄生虫にだって」
その考えは、私の今までを否定する。
一人の私を否定する。
朱仄祀の首を裂いた時、化け物だったのはどちらだろう。
焔天明に止められた時、安堵できた私は人間か。
審判の首が刎ねられた時、お面の光源が現れた時。
その心を見たいと思った私は、化け物か?
カマキリの面をつけた夕映さん。鎌になった手は鋭く審判の側頭部を貫いた。それはジキルへ帰った朱仄さんも見ていたのではなかろうか。どうでもいいけど。
私はガントレットを構えたまま、既に満身創痍の焔さんを横目に見た。制服がズタボロだな。その請求も朱仄さんにするといいですよ。脱ぐ時は塔が痛みで騒ぐんだろうな。
審判は側頭部に鎌を刺されても動いている。気味の悪いことだ。頭に刺さった鎌を抜こうとするなんて、さっきまでの綺麗なお別れ話も台無しだ。まぁいいか。美談は好きじゃない。
拳を握ってガントレットを打ち合わせる。夕映さんはそこで顔を上げ、張り付いたように弧を描いた口元だけが見えた。
「夕映さんが怖がられる理由、ですか」
「あぁそうだ、教えてくれよ怖がりな業風」
鎌を抜いた夕映さんの足が審判を踏む。雑にカマキリの面を剥いだ光源は、目元に隈と赤みを備えていた。
「自分は悪者か?」
風になって面が消える。夕映さんは服の中から黒い液体の入った小瓶を取り出し、容赦なく握り潰した。
「自分は悪か?」
黒く滴る液体は円を描き、迸る雷が審判の手足を繋ぐ。首も繋ぐ。切羽詰まった声を上げたのはユエさんと塔だ。
「止めて焚火ちゃん!」
「やめろ零!!」
「もう遅いよ」
汚れた右手と綺麗な左手。白い双眼は弾ける意思を乗せ、夕映さんが柏手を打つ。
強い雷の瞬きが止むと、夕映さんの足元に一枚のカードが落ちていた。
描かれているのはラッパを片手に空を舞う審判の姿。
それはルトとイドラを閉じ込めていたカードと同じ。前は指を鳴らせばカードに変えていたのに。今のはなんだ。何をした。
『……俺の家は、影法師を信仰していた人間と繋がりがある』
私は夕映先生の言葉を思い出し、ソルレットを地面に打ち付けた。
「そういう、私達では分からないことをする点が怖がられる要因ではないでしょうか」
「はっはぁ、分からないから怖いの? じゃあ自分がやること一から十まで説明したら怖くなくなるかな!」
「それは内容次第ですし、夕映さん、誰も貴方を悪者だとは思っていないと思いますよ」
「いいや思ってるよ。自覚してなくても思ってるはずだ。特にユエは」
口角をつり上げた夕映さんは私を指さし、その先をユエさんへ移動させた。
「自分が水のエースを殺した時、お前は泣いたじゃないか」
ユエさんが息を呑み、夕映さんの目から光が失せる。黒い隈は相手の目元を暗くさせ、手は気怠げに審判のカードを持ち上げた。
夕映さんの斜め後ろにいる魔術師は何もしていない。ただ自分の光源を傍観するだけだ。
私はこの場に三体の影法師がいると理解し、握り締めた拳を解かなかった。
夕映さんの言葉は終わらない。
「自分はちゃんと光源の仕事を果たしたんだ。あのクズな男が何を吹き込んだかは知らないけど。自分は! ちゃんと! 殺した! 影法師がそうしてくれと現れたから! そうしないと願いが叶わないから!」
夕映さんは審判のカードを魔術師に押し付け、自分の髪を掻き毟る。いつも綺麗に整えられた髪は歪み、目元の赤みが増していた。
「なのになんで、こんなにッ、寒いのさ!」
張り付いた口角が微かに歪み、それでも下がらない。己の顔を両手で崩す夕映さんは、たしかに双子が言ったようにおかしかった。
いつも飄々とした人。願いなんていつか叶えばいいと笑った光源。常に余裕がある、よく分からない人間。
もしも、それらすべてが仮面だったら。
仮面にヒビが入ったならば。
そのヒビの原因を、私が取り違えていたのなら。
『夕映さんの兄だという光源、夕映封寿さんと会った。というのは、お二人が知りたい何かになりますかね』
双子に話した原因は違ったのか。いや、それだけではなかったのか。
夕映さんにとって先生との再会はきっと大きな何かだった。この人間の「おかしさ」に拍車がかかった原因はきょうだいの関係だと勘ぐっていた。
だが、それもまた、私が自分の視界を信じただけだったならば。
間違ってコップにバクを入れた時のように、私が見落としていただけだったなら。
夕映零さんが連絡先を消した理由に合点がいく。縁を切られた理由が分かる。
この人もまた、期待を捨ててしまったんだ。
「夕映さん、」
「影法師なんて嫌いだ。影の寄生虫が、光を振り回しやがって」
「夕映零さん、」
「光源だってそうだ。どうしてこんな化け物どもの言葉を聞ける、対等に扱える! コイツらは願望器で、道具で、影でしかないのに!」
「あの、」
「何も迷わず壊せよ。レリックもバクも、全部! 何もかも! 壊して綺麗に、なかったことにすれば楽だろうがッ」
「聞こえてますか、」
「聞かないよ。元々答えなんて求めてない。悪者万歳、悪役上等! 誰がなんと言ったって、自分はレリックを全員ぶっ殺すんだ」
白い指先が夕映さんの目の下を掻く。伸ばされた皮膚に比例して魔術師の頬には縦の傷が数本入った。黒い血を流しながら。
「自分は間違ってない」
何度も頬を引っ掻いているに、夕映さんの口角は下がらない。対して魔術師の頬は傷つき、号泣しているかの如く血液を垂れ流した。
「なんにも、間違ってない」
笑う夕映さんの瞳が一気に横へ移動する。ユエさんと塔も気づいたようで、私は空を駆けるレリックを見た。
水の尾を引いて、青みがかった黒の鎧を纏ったレリック。俊足の騎士。
私は咄嗟に焔さんを見て、塔の胸を押した。
「いッ、焚火!」
「ジキルへ。今この場に居ても太刀打ちできないですよね。庇いながら戦うとか無理です」
「いや、焱ちゃん俺も!」
「黙って帰ってください。ここより朱仄さんのフォローに回った方が審判も報われると思いますよ」
光源でなくなった瞬間に自分の影だった化け物が刺されたんだ。あの善人がジキルで絶叫してたらたまったもんじゃない。
焔さんの瞳に訴え、口を結んだ男は塔の袖を握る。何度か私達を交互に見た塔も指を鳴らし、屋上には私と夕映さんだけになった。
ユエさんは魔術師を確認するが、言葉が上手く出ないご様子だ。
「た、焚火ちゃん、変、零が変よ。魔術師も」
「ですね」
私は水のナイトで視線を固定する。稲光さんと夜鷹さんには地のクイーンを任せて来たので加勢は期待できないだろう。
ナイトが宙で槍を構える。
その時、私は小うるさい羽音を聞いた。
「水のナイト。これで水は、終わる!」
空に舞い上がったのは蜂の羽根を宿した夕映さん。だがつけている面がおかしい。あれは蜂だけの要素ではない。
蜂特有の針はなく、羽根と縦に並ぶように生えたのは黒い足。口元からは牙が生え、面の瞳の数に鳥肌が立った。
「蜂と、蜘蛛?」
反射的に腕を擦った時、夕映さんに向かって槍が投擲される。向かう凶器に糸を吐いた夕映さんは怯むことなくナイトに接近した。
俊足を蜂が猛追する。ナイトの行く手は蜘蛛の糸が阻み、囲って、惑って、距離を取るなど許さない。
「もう少し、もう少しなんだよ焚火ちゃん」
ナイトの足が糸を踏み、動きが止まる。その瞬間を見逃さなかった蜘蛛は跳び、一気にナイトを縛り上げた。
「水は残りこのナイトだけ。火はエースとクイーン。地と風はキングが残ってやがる!」
ナイトの繭を建物に張り巡らせた糸の真ん中に吊るし、蜂のホバリングが響き渡る。
私は屋上から夕映さんを見下ろし、キメラの面で笑う光源に冷や汗が浮かんだ。
「もうすぐ念願は果たされる! あぁ、だから急がなきゃ、急いで全員集めなきゃ!」
「夕映さん」
「ルトとイドラは惜しかった。返すんじゃなかったなぁ。あぁでも、返したおかげで地のクイーンが砕けるのか! ここに来る間に見たよ! 愛恋ちゃんと昴くんがクイーンを捕まえている姿!」
「聞いてください夕映さん」
「どこを探そう、残りの奴らはどこにいる。あぁもっとバクも集めないと、アイツらをぶっ殺す為にも」
「夕映、零さん!」
どれだけ呼んでも夕映さんは一人で笑う。一人で喋る。こっちの声など届かない。
「止めないと……止めないと駄目よ、焚火ちゃん」
ユエさんの肌が白さを越えて青くなる。月の影は怯えたように銀の三つ編みを揺らした。
「零はきっと駄目なことをしようとしてる。一人ではもう止められない何かよ。誰かが止めてあげないと、止まれないわ」
「ユエさん、」
「止めるの、止めてあげて焚火ちゃん。あのままだと、零も、魔術師も壊れてしまう!」
ユエさんが力強く私のガントレットを掴む。その勢いに気圧された私は、一瞬の隙を見逃がした。
核が砕ける音がする。白い繭にカマキリの刃を突き立てた夕映さんがいる。
鎌を刺した勢いで糸が千切れ、繭にされたナイトが落ちる。追随する夕映さんは地面にナイトを激突させ、糸の隙間からはナイトだった煤が舞い上がった。
「さぁ、あと四体」
仮面を剥いだ夕映さんは肩で息をしている。顎からは汗がうだり、魔術師は何も言わずに煤を踏む。
顔を上げた夕映さんの白い瞳は、淀んだように灰がかっていた。




