焔天明は間違えない
「殺しますか、生かしますか。選びなさい審判。この光源が死んでも貴方は死なない。別の光源を見つければそれでいい。この光源が生きれば、貴方は一生一人の人間に恨まれ続ける……で、どっちが良いです?」
焱ちゃんの声が影法師に向けられる。少女の白い指先は祀の喉に食い込んでいるが、当の祀は抵抗する様子がない。
「……焱ちゃん」
返事はない。焱ちゃんの瞳は審判だけを映し、ゆっくり動いたガントレットが指の当て方を変えた。
防具を纏った指先が祀の首に刺さる形になる。それは数分前、焱ちゃんが祀の頬を破った形と似ているのだ。
「ッ、」
「動くな審判」
反応を示した審判に対し、低い祀の声が飛ぶ。染みついた習慣のように動けなくなった審判は、締められる自分の喉に手を寄せた。
祀は深く息を吐く。
「……かがりびさんの、好きにしていいよ」
「人に生死を委ねるなんて、酷い人ですね」
「おれはたくさん、人を傷つけた。影法師をおいだして、光源の夢をつぶしてきた」
「それで?」
「そんなおれに、選択権はないよ。きみが代表。傷つけられた光源の」
祀は緩く微笑み、焱ちゃんの目が冷たく細められる。
少女の鎖骨の間を男の指が弱く叩いた。
「判決を……審判を下すのは、きみでいい」
それは祀なりの言葉選び。全ての選択を相手に提供し、焱ちゃんの行動を咎めることなどないと示している。
焱ちゃんにとって祀は己を害する恐ろしい存在なのだろう。初手で炎に食われ、気絶までさせられて。
そんな恐ろしい男を殺せないなど、少女にとっては死活問題。
だが、彼女は俺に任せてくれていた。俺が審判を剥がせば焱ちゃんの恐怖は終わる筈だったのだ。朱仄祀という光源はいなくなった。焱ちゃんにアルカナを向ける存在は消失した、と。
しかし俺は為せなかった。決着をつけずに燃える道を選んでしまった。
それは、どれだけ怖くとも、どれだけ寂しくとも、一人でも生きようとしている少女を冒涜したのだ。
焱ちゃんにとって、何かを途中で投げ出すのは耐えられない行為だったのだ。
などと今更気づいたところでもう遅い。あの子の瞳は、俺を見なくなったのだから。
焱ちゃんの視線が祀に落ちる。ガントレットは祀の首へ徐々にめり込み、微かに皮膚が破かれた。
「朱仄祀さん」
少女の行為は酷く荒い。己の恐怖を打破する為に、己の怒りを昇華する為に他者の首を持っているのだから。
苛烈で過激な業風。そのはずなのに。
なぜ彼女の声は、こうも寂しく響くのか。
弱く頬を撫でるそよ風のように、誰もいない街を抜けた寒風のように。
「心はどこにあると思いますか」
また、彼女は質問を重ねる。今日も変わらず探している。
一人の部屋で、不出来な抱き枕を引き寄せて、涙していたあの日と変わらず。
祀は微かに目を見開くと、力を抜きながら笑った。
「生き様の中に」
焱ちゃんの睫毛が震える。そのままゆっくりと唇を噛んだ少女と連動し、ユエの唇から黒の血液が湧きだした。
白い顎を伝って血が落ちる。それをユエは拭わない。焱ちゃんが噛み締めた痛みを、影法師だけが感じている。
「ならば貴方の心は、悪意なき蛮行だと。自分勝手な救済者だと。暴れ狂った、優しさだったと?」
「そう、なんだろうね。周りから見てそうだったなら……きっと」
「私は貴方に聞いてるんです」
「生き様は、自分では見えないからさ」
微かに咳いた祀は微笑み続ける。人の良い笑み。全く悪意がなく、聖職者顔負けの表情だ。
揺れたのは焱ちゃんである。目を見開いた少女は浮いていた祀の背を床に下ろすと、仰向けの男の上に座った。
そのまま両手が祀の首にかかる。体重をかけて、鼻声で。初めて祀の眉が歪む力で。
俺は腕に力を入れ、平衡感覚の戻らない体を支えた。
「心は、見えないと?」
「っ……あぁ、みえないよ」
「でも、それでも、誰しも心はあると言っているではないですか」
「みえないけど、あるんだよ」
「なら、どこに? どうやって皆さんそれを、あると感じて、信じて、ッ」
焱ちゃんの腕に力がこもり続ける。
よく見れば焱ちゃんは傷だらけだった。いや、傷は全て完治しているのだが、傷だらけになったのだと分かる風貌をしていた。
それだけ戦って、それだけ傷ついて、それでも俺と祀を見届けようとしてくれた。
俺は塔の影に腕を入れ、焦げたバクを掴み上げる。
祀は口角を震わせて、慈悲ある横顔で笑みを浮かべた。
脱力しながら上がった男の手は、焱ちゃんの髪を穏やかに撫でるのだ。
「かがりびさんは、心を、しりたい?」
「えぇ、えぇ、知りたいです。見つけたいんです。化け物になった奴を人に戻す為に探し始めて、見つからなくて、ならば温かい心に触れたいと、つくりたいと、思ったからッ」
俺はバクを噛みちぎり、水分不足の体に鞭を打つ。満身創痍など踏み潰し、肩を怒らせる少女から視線を外さずに。
泣いて、探して、必死になって。見つからないと藻掻きながら暴れる少女。
その子が俺に、期待してくれた。
業火の中でやり切るのだろうと。止めてくれるなと頼んだ俺の言葉を汲んで、見届けようとしてくれた。
『私、化け物にはなりたくないんです』
動け、駆けろ。彼女が止められない衝動を知っているなら、あの子が嫌だと思う存在に背中を押されているならば。
今度こそ止めろ。きちんとやり遂げろ。
俺を見るあの子の目に光が入らなくとも、あの子が二度と期待をしてくれなくても。
止めねばならん、動かねばならん。
祀は焱ちゃんの頭に手を置くと、変わらず優しく、笑うのだ。
「こころは、どこにでもあるよ。人にも、ばけ物にも……影の、寄生虫にだって」
首の凹んだ審判が体を揺らす。
俺の腕が伸びる。
焱ちゃんの息が止まる。
「おれはそれを、信じてたみたいだから」
祀が目を細めた瞬間。
ガントレットが一気に狭まり力が入る。祀のこめかみに血管が浮く。
それは、駄目な一歩だ。
「焱ちゃんッ!」
俺は勢いよく体をぶつけ、少女の腕を祀から引き剥がす。
腕を押さえ、体を抱きこみ、冷え切っている少女が凍えぬように。
同時に、祀に覆い被さったのは救済の影法師――審判。
衝撃で外れたガントレットの爪は祀の喉を鋭く裂き、審判から血飛沫が上がった。
「祀!」
俺は焱ちゃんの腕を背後から抱く形で抑え込み、唖然とした祀を視界に入れる。
力強く審判に抱き締められた祀は、白い髪に、頬に、傷が塞がっていく首に、黒い血の雨を受けていた。
徐々に弱まる黒に代わり、透明な雫が祀の頬に当たる。付着した血を洗い流すように、大粒の涙が祀を打つ。
「すまない、すまない祀。君は何も悪くない。君に罪はない。罪を背負うべきは俺と太陽だ。もっと、きちんと、君達に言うべきだった。止めるべきだった。尊にアルカナを使わせるべきだった」
背中を丸める審判は、涙に濡れた黒布を目から剥ぐ。
名無しの影法師。伏せられた瞼は持ち上がり、水晶のように美しい双眼が現れた。
影が宿すには輝きすぎている両目。宝石の如く煌めき、不純物など一切ない。
どこまでも見通し、全てを俯瞰する影の瞳。
そこから零れる涙は、祀の頬を流れ落ちる。
「愚かな俺達を許さなくていい。一生恨んでくれてかまわない。だから、だから、あぁどうか、お願いだ祀」
祀の肩口に顔を埋め、審判は小刻みに泣いている。
己が選んだ光源に、影が縋って、願っている。
「お願いだから……これ以上、傷つかないでくれ」
言葉が足りない影法師。止めることも、説明することも、全てが人と違うせいで、正しく伝えてこなかった影の異形。
それでも絞り出された言葉は、どこまでも単純で、純粋な心を乗せている。
複雑な表現も、遠回しな言い方も何もない。ただ真っすぐ、ただ思ったままに。
「己の正義に実直な君が好きだ、俺の自由を願ってくれた君が好きだ。妹の為に動けた、優しい君が好きだ」
「……審判、」
「その優しさを汚したのは俺だ、俺達なんだ。祀が頑張る必要なんてない。優しい君が、その優しさで、誰かを傷つけていいはずがないんだよ」
「でも、」
「影の恐怖を伝えるべきは影法師であって、君ではない。君が背負うべきことではない。責任はすべて俺達にある」
謝る審判に抱き締められ、祀は虚空へ視線を向ける。
音もなく近づいたのは塔とユエ。二体の影法師はきょうだいと祀を見下ろし、足を引いて頭を下げた。
二体からの言葉はない。それでも、自分達の言葉足らずの行動が招いた結果に、思うところはあるのだろう。
塔とユエの胸に添えられた手は拳となり、唇は固く結ばれた。
「……許さないよ、審判。俺は一生……お前も、俺も、許さない」
「許さなくていいさ。俺は背負い、祀のことは俺が許すから」
「俺は恨まれることをした。光源の夢を壊して、勇気を砕いて、」
「救済とは時に、理不尽になるんだ。誰からも賛同される救いなんて、それは盲目的な信仰にしかならない。だから祀、いいんだ。審判者は恨まれていい」
「ッ、ぅ、」
祀の声に嗚咽が混じる。力を込めて審判の背に回された手が、悔しさで関節を浮き上がらせた。
「みことを……かえせよ」
絞り出された願望に、影法師たちは応えない。なんでも願いを叶える影の異形が沈黙を返す。
奴らは万能ではない。ただ一つ、唯一不可能なことがある。
それは契約の時、塔も口にした。絶対不変の世の理。
「……それは出来ない。影法師でも、死者を蘇らせることは出来ないんだ」
誰もが一度は願うこと。死んだ者にもう一度。別れの言葉だけでも。こんな最期は認めたくない。愛した相手に、どうか一目だけでも。
しかしそれは世界が許さない。失った存在は戻らない。
生きる者は知っている。だから大事な者に優しくしたいと思い、大切にしたいと願うから。
握り締めた祀の拳が強く審判の背中を殴る。何度も振りかぶっては叩きつけ、低い音が周囲に響く。
審判の唇からは血が流れ、殴っていない祀の手は、己の影法師に縋るのだ。
「間違いを正す時ほど、負荷がかかることはありませんね」
ふと腕の中から焱ちゃんの声がする。少女の声は俺にしか届かない声量で、岩のように握り締められた拳が痛々しい。
俺はガントレットに触れ、一本一本、硬くなった焱ちゃんの指を開かせた。少女は何も指摘せず、されるがままだ。
「道を曲げる行為には痛みが付きものだ」
「痛みを感じない化け物も、でしょうか」
焱ちゃんの右手が全て開く。俺は三体の影法師に目を向け、審判の手は祀の頬に添えられた。
「きっとな」
祀の顔に審判が近づく。
繋がっていた影は砂埃が舞うように離れ、審判は祀の額に自分の額を触れさせた。
「俺の光。朱仄祀。君の願いは、俺がいなくても叶っていたよ」
「審判……」
「君を叱ってくれる人は、すぐ近くに、ちゃんといたんだから」
振り向いた審判の双眼が俺を映す。泣き跡を残した祀を一瞬見てから審判へ意識を戻すと、美しい眼を潤ませた異形が笑ったのだ。
「焔天明、祀の友人。真面目過ぎるこの子を、これからも、よろしくね」
審判の言葉が俺の鳩尾に刺さり、柔らかく溶ける。
目を見開いた自覚はある。言葉を詰まらせた自覚もある。
俺は反射的に焱ちゃんの手を握り、少女は振りほどかずにいてくれた。
「……言われずとも」
口にすれば、今度は祀が目を見開く。瞼からは最後に残った涙が落ち、離れた審判は再び黒布で目元を覆った。
「すまなかった、祀。君にとって酷い日々を俺は招いてしまった」
審判は肩から力を抜き、「それでも」と言葉を続ける。
「俺にとって祀は、大事な光だったよ」
別れの告白が紡がれる。
光と影が乖離する瞬間。
俺はそこで――風がしなる音を聞いた。
審判の首が空を舞う。
過ぎ去ったのは白く切り揃えられた短髪。
長く薄い羽根と、鎌に変わった両の手。
高く上がった審判の首は黒い血液を撒き散らす。
その場にいた俺達の中に、動ける者などいない。
動くことが出来たのは、影法師の首を狩った張本人。
両手の鎌を上手く使って審判の首を受け止めたのは――魔術師の光源。
「やぁっと離れた。迎えに来たよ、審判」
倒れた審判の体と首の間を影が繋がる。それは互いを引き寄せ合い、不死の異形の根源を見た。
「頑張ったねぇ祀くん。いやいやほんとに頑張った。お疲れ様。最後はとってもつまんなかったけど」
審判の首に頬を寄せ、黒い血飛沫を浴びた光源が笑う。
その鎌には影法師だけとは考えられない量の、影の泥が付着していた。
「輝かない光に興味はない。つまらないことに割く時間もない。それでも自分はやさしーからね。どう? 最後に寄生虫の首が飛んだ光景は? いい思い出になったでしょ?」
審判の首を離し、転がった頭部と体が繋がっていく。
カマキリの面をつけた光源――夕映零は、影法師の胴体に足を乗せた。
「審判!!」
立ち上がった衝撃で祀がふらつく。その姿に零さんの口角は一気に下がり、気だるげに頭を掻いていた。鎌で毛先が切れるのもお構いなく。
「なんでかなぁ、なぁんでそんな反応なのかなぁ」
「夕映さん」
俺の腕から焱ちゃんが離れる。立ち上がった少女はガントレットを構え、零さんの口角が再び上がった。
「やぁやぁ賢い焚火ちゃん! 教えてよ、教えておくれよ頼むから!」
「何をでしょう」
「なんでみんな、自分を悪者みたいに怖がるの?」
笑う零さんの首が傾く。本当に、カマキリのように、歪な角度で。
鳥肌が立った俺が祀の前に踏み出した時、零さんの鎌が振りかぶられた。
「塔!!」
俺の声で塔が指を鳴らす。
祀が強制的にジキルへ帰る。
だが、それより早く。
零さんの鎌が、審判の側頭部を穿つ音が響いた。
朱仄祀は「隣に立って、自分をきちんと叱ってくれる友人が欲しい」と乞うた。
***
次話より焚火ちゃん視点に戻ります。




