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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
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焔天明は間違えない

「殺しますか、生かしますか。選びなさい審判(ジャッジメント)。この光源が死んでも貴方は死なない。別の光源を見つければそれでいい。この光源が生きれば、貴方は一生一人の人間に恨まれ続ける……で、どっちが良いです?」


 焱ちゃんの声が影法師(ドール)に向けられる。少女の白い指先は祀の喉に食い込んでいるが、当の祀は抵抗する様子がない。


「……焱ちゃん」


 返事はない。焱ちゃんの瞳は審判(ジャッジメント)だけを映し、ゆっくり動いたガントレットが指の当て方を変えた。


 防具を纏った指先が祀の首に刺さる形になる。それは数分前、焱ちゃんが祀の頬を破った形と似ているのだ。


「ッ、」


「動くな審判(ジャッジメント)


 反応を示した審判(ジャッジメント)に対し、低い祀の声が飛ぶ。染みついた習慣のように動けなくなった審判(ジャッジメント)は、締められる自分の喉に手を寄せた。


 祀は深く息を吐く。


「……かがりびさんの、好きにしていいよ」


「人に生死を委ねるなんて、酷い人ですね」


「おれはたくさん、人を傷つけた。影法師(ドール)をおいだして、光源の夢をつぶしてきた」


「それで?」


「そんなおれに、選択権はないよ。きみが代表。傷つけられた光源の」


 祀は緩く微笑み、焱ちゃんの目が冷たく細められる。


 少女の鎖骨の間を男の指が弱く叩いた。


「判決を……審判を下すのは、きみでいい」


 それは祀なりの言葉選び。全ての選択を相手に提供し、焱ちゃんの行動を咎めることなどないと示している。


 焱ちゃんにとって祀は己を害する恐ろしい存在なのだろう。初手で炎に食われ、気絶までさせられて。


 そんな恐ろしい男を殺せないなど、少女にとっては死活問題。


 だが、彼女は俺に任せてくれていた。俺が審判(ジャッジメント)を剥がせば焱ちゃんの恐怖は終わる筈だったのだ。朱仄祀という光源はいなくなった。焱ちゃんにアルカナを向ける存在は消失した、と。


 しかし俺は為せなかった。決着をつけずに燃える道を選んでしまった。


 それは、どれだけ怖くとも、どれだけ寂しくとも、一人でも生きようとしている少女を冒涜したのだ。


 焱ちゃんにとって、何かを途中で投げ出すのは耐えられない行為だったのだ。


 などと今更気づいたところでもう遅い。あの子の瞳は、俺を見なくなったのだから。


 焱ちゃんの視線が祀に落ちる。ガントレットは祀の首へ徐々にめり込み、微かに皮膚が破かれた。


「朱仄祀さん」


 少女の行為は酷く荒い。己の恐怖を打破する為に、己の怒りを昇華する為に他者の首を持っているのだから。


 苛烈で過激な業風。そのはずなのに。


 なぜ彼女の声は、こうも寂しく響くのか。


 弱く頬を撫でるそよ風のように、誰もいない街を抜けた寒風のように。


「心はどこにあると思いますか」


 また、彼女は質問を重ねる。今日も変わらず探している。


 一人の部屋で、不出来な抱き枕を引き寄せて、涙していたあの日と変わらず。


 祀は微かに目を見開くと、力を抜きながら笑った。


「生き様の中に」


 焱ちゃんの睫毛が震える。そのままゆっくりと唇を噛んだ少女と連動し、ユエの唇から黒の血液が湧きだした。


 白い顎を伝って血が落ちる。それをユエは拭わない。焱ちゃんが噛み締めた痛みを、影法師(ドール)だけが感じている。


「ならば貴方の心は、悪意なき蛮行だと。自分勝手な救済者だと。暴れ狂った、優しさだったと?」


「そう、なんだろうね。周りから見てそうだったなら……きっと」


「私は貴方に聞いてるんです」


「生き様は、自分では見えないからさ」


 微かに咳いた祀は微笑み続ける。人の良い笑み。全く悪意がなく、聖職者顔負けの表情だ。


 揺れたのは焱ちゃんである。目を見開いた少女は浮いていた祀の背を床に下ろすと、仰向けの男の上に座った。


 そのまま両手が祀の首にかかる。体重をかけて、鼻声で。初めて祀の眉が歪む力で。


 俺は腕に力を入れ、平衡感覚の戻らない体を支えた。


「心は、見えないと?」


「っ……あぁ、みえないよ」


「でも、それでも、誰しも心はあると言っているではないですか」


「みえないけど、あるんだよ」


「なら、どこに? どうやって皆さんそれを、あると感じて、信じて、ッ」


 焱ちゃんの腕に力がこもり続ける。


 よく見れば焱ちゃんは傷だらけだった。いや、傷は全て完治しているのだが、傷だらけになったのだと分かる風貌をしていた。


 それだけ戦って、それだけ傷ついて、それでも俺と祀を見届けようとしてくれた。


 俺は(ザ・タワー)の影に腕を入れ、焦げたバクを掴み上げる。


 祀は口角を震わせて、慈悲ある横顔で笑みを浮かべた。


 脱力しながら上がった男の手は、焱ちゃんの髪を穏やかに撫でるのだ。


「かがりびさんは、心を、しりたい?」


「えぇ、えぇ、知りたいです。見つけたいんです。化け物になった奴を人に戻す為に探し始めて、見つからなくて、ならば温かい心に触れたいと、つくりたいと、思ったからッ」


 俺はバクを噛みちぎり、水分不足の体に鞭を打つ。満身創痍など踏み潰し、肩を怒らせる少女から視線を外さずに。


 泣いて、探して、必死になって。見つからないと藻掻きながら暴れる少女。


 その子が俺に、期待してくれた。


 業火の中でやり切るのだろうと。止めてくれるなと頼んだ俺の言葉を汲んで、見届けようとしてくれた。


『私、化け物にはなりたくないんです』


 動け、駆けろ。彼女が止められない衝動を知っているなら、あの子が嫌だと思う存在に背中を押されているならば。


 今度こそ止めろ。きちんとやり遂げろ。


 俺を見るあの子の目に光が入らなくとも、あの子が二度と期待をしてくれなくても。


 止めねばならん、動かねばならん。


 祀は焱ちゃんの頭に手を置くと、変わらず優しく、笑うのだ。


「こころは、どこにでもあるよ。人にも、ばけ物にも……影の、寄生虫にだって」


 首の凹んだ審判(ジャッジメント)が体を揺らす。


 俺の腕が伸びる。


 焱ちゃんの息が止まる。


「おれはそれを、信じてたみたいだから」


 祀が目を細めた瞬間。


 ガントレットが一気に狭まり力が入る。祀のこめかみに血管が浮く。


 それは、駄目な一歩だ。


「焱ちゃんッ!」


 俺は勢いよく体をぶつけ、少女の腕を祀から引き剥がす。


 腕を押さえ、体を抱きこみ、冷え切っている少女が凍えぬように。


 同時に、祀に覆い被さったのは救済の影法師(ドール)――審判(ジャッジメント)


 衝撃で外れたガントレットの爪は祀の喉を鋭く裂き、審判(ジャッジメント)から血飛沫が上がった。


「祀!」


 俺は焱ちゃんの腕を背後から抱く形で抑え込み、唖然とした祀を視界に入れる。


 力強く審判(ジャッジメント)に抱き締められた祀は、白い髪に、頬に、傷が塞がっていく首に、黒い血の雨を受けていた。


 徐々に弱まる黒に代わり、透明な雫が祀の頬に当たる。付着した血を洗い流すように、大粒の涙が祀を打つ。


「すまない、すまない祀。君は何も悪くない。君に罪はない。罪を背負うべきは俺と太陽(ザ・サン)だ。もっと、きちんと、君達に言うべきだった。止めるべきだった。尊にアルカナを使わせるべきだった」


 背中を丸める審判(ジャッジメント)は、涙に濡れた黒布を目から剥ぐ。


 名無しの影法師(ドール)。伏せられた瞼は持ち上がり、水晶のように美しい双眼が現れた。


 影が宿すには輝きすぎている両目。宝石の如く煌めき、不純物など一切ない。


 どこまでも見通し、全てを俯瞰する影の瞳。


 そこから零れる涙は、祀の頬を流れ落ちる。


「愚かな俺達を許さなくていい。一生恨んでくれてかまわない。だから、だから、あぁどうか、お願いだ祀」


 祀の肩口に顔を埋め、審判(ジャッジメント)は小刻みに泣いている。


 己が選んだ光源に、影が縋って、願っている。


「お願いだから……これ以上、傷つかないでくれ」


 言葉が足りない影法師(ドール)。止めることも、説明することも、全てが人と違うせいで、正しく伝えてこなかった影の異形。


 それでも絞り出された言葉は、どこまでも単純で、純粋な心を乗せている。


 複雑な表現も、遠回しな言い方も何もない。ただ真っすぐ、ただ思ったままに。


「己の正義に実直な君が好きだ、俺の自由を願ってくれた君が好きだ。妹の為に動けた、優しい君が好きだ」


「……審判(ジャッジメント)、」


「その優しさを汚したのは俺だ、俺達なんだ。祀が頑張る必要なんてない。優しい君が、その優しさで、誰かを傷つけていいはずがないんだよ」


「でも、」


「影の恐怖を伝えるべきは影法師(ドール)であって、君ではない。君が背負うべきことではない。責任はすべて俺達にある」


 謝る審判(ジャッジメント)に抱き締められ、祀は虚空へ視線を向ける。


 音もなく近づいたのは(ザ・タワー)とユエ。二体の影法師(ドール)はきょうだいと祀を見下ろし、足を引いて頭を下げた。


 二体からの言葉はない。それでも、自分達の言葉足らずの行動が招いた結果に、思うところはあるのだろう。


 (ザ・タワー)とユエの胸に添えられた手は拳となり、唇は固く結ばれた。


「……許さないよ、審判(ジャッジメント)。俺は一生……お前も、俺も、許さない」


「許さなくていいさ。俺は背負い、祀のことは俺が許すから」


「俺は恨まれることをした。光源の夢を壊して、勇気を砕いて、」


「救済とは時に、理不尽になるんだ。誰からも賛同される救いなんて、それは盲目的な信仰にしかならない。だから祀、いいんだ。審判者は恨まれていい」


「ッ、ぅ、」


 祀の声に嗚咽が混じる。力を込めて審判(ジャッジメント)の背に回された手が、悔しさで関節を浮き上がらせた。


「みことを……かえせよ」


 絞り出された願望に、影法師(ドール)たちは応えない。なんでも願いを叶える影の異形が沈黙を返す。


 奴らは万能ではない。ただ一つ、唯一不可能なことがある。


 それは契約の時、(ザ・タワー)も口にした。絶対不変の世の理。


「……それは出来ない。影法師(ドール)でも、死者を蘇らせることは出来ないんだ」


 誰もが一度は願うこと。死んだ者にもう一度。別れの言葉だけでも。こんな最期は認めたくない。愛した相手に、どうか一目だけでも。


 しかしそれは世界が許さない。失った存在は戻らない。


 生きる者は知っている。だから大事な者に優しくしたいと思い、大切にしたいと願うから。


 握り締めた祀の拳が強く審判(ジャッジメント)の背中を殴る。何度も振りかぶっては叩きつけ、低い音が周囲に響く。


 審判(ジャッジメント)の唇からは血が流れ、殴っていない祀の手は、己の影法師(ドール)に縋るのだ。


「間違いを正す時ほど、負荷がかかることはありませんね」


 ふと腕の中から焱ちゃんの声がする。少女の声は俺にしか届かない声量で、岩のように握り締められた拳が痛々しい。


 俺はガントレットに触れ、一本一本、硬くなった焱ちゃんの指を開かせた。少女は何も指摘せず、されるがままだ。


「道を曲げる行為には痛みが付きものだ」


「痛みを感じない化け物も、でしょうか」


 焱ちゃんの右手が全て開く。俺は三体の影法師(ドール)に目を向け、審判(ジャッジメント)の手は祀の頬に添えられた。


「きっとな」


 祀の顔に審判(ジャッジメント)が近づく。


 繋がっていた影は砂埃が舞うように離れ、審判(ジャッジメント)は祀の額に自分の額を触れさせた。


「俺の光。朱仄祀。君の願いは、俺がいなくても叶っていたよ」


審判(ジャッジメント)……」


「君を叱ってくれる人は、すぐ近くに、ちゃんといたんだから」


 振り向いた審判(ジャッジメント)の双眼が俺を映す。泣き跡を残した祀を一瞬見てから審判(ジャッジメント)へ意識を戻すと、美しい眼を潤ませた異形が笑ったのだ。


「焔天明、祀の()()。真面目過ぎるこの子を、これからも、よろしくね」


 審判(ジャッジメント)の言葉が俺の鳩尾に刺さり、柔らかく溶ける。


 目を見開いた自覚はある。言葉を詰まらせた自覚もある。


 俺は反射的に焱ちゃんの手を握り、少女は振りほどかずにいてくれた。


「……言われずとも」


 口にすれば、今度は祀が目を見開く。瞼からは最後に残った涙が落ち、離れた審判(ジャッジメント)は再び黒布で目元を覆った。


「すまなかった、祀。君にとって酷い日々を俺は招いてしまった」


 審判(ジャッジメント)は肩から力を抜き、「それでも」と言葉を続ける。


「俺にとって祀は、大事な光だったよ」


 別れの告白が紡がれる。


 光と影が乖離する瞬間。


 俺はそこで――風がしなる音を聞いた。


 審判(ジャッジメント)の首が空を舞う。


 過ぎ去ったのは白く切り揃えられた短髪。


 長く薄い羽根と、鎌に変わった両の手。


 高く上がった審判(ジャッジメント)の首は黒い血液を撒き散らす。


 その場にいた俺達の中に、動ける者などいない。


 動くことが出来たのは、影法師(ドール)の首を狩った張本人。


 両手の鎌を上手く使って審判(ジャッジメント)の首を受け止めたのは――魔術師(ザ・マジシャン)の光源。


「やぁっと離れた。迎えに来たよ、審判(ジャッジメント)


 倒れた審判(ジャッジメント)の体と首の間を影が繋がる。それは互いを引き寄せ合い、不死の異形の根源を見た。


「頑張ったねぇ祀くん。いやいやほんとに頑張った。お疲れ様。最後はとってもつまんなかったけど」


 審判(ジャッジメント)の首に頬を寄せ、黒い血飛沫を浴びた光源が笑う。


 その鎌には影法師(ドール)だけとは考えられない量の、影の泥が付着していた。


「輝かない光に興味はない。つまらないことに割く時間もない。それでも自分はやさしーからね。どう? 最後に寄生虫の首が飛んだ光景は? いい思い出になったでしょ?」


 審判(ジャッジメント)の首を離し、転がった頭部と体が繋がっていく。


 カマキリの面をつけた光源――夕映零は、影法師(ドール)の胴体に足を乗せた。


審判(ジャッジメント)!!」


 立ち上がった衝撃で祀がふらつく。その姿に零さんの口角は一気に下がり、気だるげに頭を掻いていた。鎌で毛先が切れるのもお構いなく。


「なんでかなぁ、なぁんでそんな反応なのかなぁ」


「夕映さん」


 俺の腕から焱ちゃんが離れる。立ち上がった少女はガントレットを構え、零さんの口角が再び上がった。


「やぁやぁ賢い焚火ちゃん! 教えてよ、教えておくれよ頼むから!」


「何をでしょう」


「なんでみんな、自分を悪者みたいに怖がるの?」


 笑う零さんの首が傾く。本当に、カマキリのように、歪な角度で。


 鳥肌が立った俺が祀の前に踏み出した時、零さんの鎌が振りかぶられた。


(ザ・タワー)!!」


 俺の声で(ザ・タワー)が指を鳴らす。


 祀が強制的にジキルへ帰る。


 だが、それより早く。


 零さんの鎌が、審判(ジャッジメント)の側頭部を穿つ音が響いた。



朱仄祀は「隣に立って、自分をきちんと叱ってくれる友人が欲しい」と乞うた。


***

次話より焚火ちゃん視点に戻ります。

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