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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
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焔天明は業火を纏う

 弾けた火花で片目が焼ける。


 輝く火柱が祀の耳を削ぐ。


 火の海と化した道路を離れ、高い建物の屋上にて。


 退路は不必要。引く気など毛頭ない。


 肌が何度も焦げた。それでも構わん。


 溶けた服が皮膚に張り付いて修復されない。それも構わん。


 呼吸が浅い。汗がうだる。筆が滑りそうになる。熱気で景色が歪んでいる。


 そんなもの全て、障害にもなりはしない。


「祀!!」


 剥がさねばならん。やめさせねばならん。止めねばならん。


 涙を炎で蒸発させ、影を消し去る光を放つ男を。


 俺は、止めねばッ


「天明ッ」


 筆を持つ腕が細い光線に貫かれる。


 同時に、俺の火柱が祀の足を焼いた。


 呻く(ザ・タワー)審判(ジャッジメント)は俺達から離れない。


 俺達の影には異形が巣食う。異形が俺達に願うから。俺達も異形に願ったから。


 叶えてくれと願った火種。それがどこまでも燃え上がり、俺の文字を燃やしている。


 叶えてくれ、叶えてくれ、叶えてくれ。


 俺の文字を理解して、仲良くしてくれる人が欲しい。俺を受け入れてくれる人が欲しい。書ではなく、綴った文字の奥にいる俺を。焔ではなく、才能などと一言で終わらせず、俺を知ってくれる人が、欲しいからッ


 そう、願う中で。


 微かな恐れが俺の筆に乗る。消えぬ業火の向こうで、涙を枯らした祀がいる。


「出て行け(ザ・タワー)! 俺はお前が出て行くまで、止まる気はない!!」


 掠れた祀の声が俺を貫き、(ザ・タワー)の影が揺らめく。俺の傷を全て背負った異形は、歯を食いしばって燃えていた。


「出て、行かねぇよ。天明は約束した。俺を自由にするって」


 (ただ)れた腕を抱き、燃える足で立った(ザ・タワー)が笑う。俺が受けた炎を纏い、鋭い爪を凶悪にして。


「そして俺も、約束した! 天明が俺を自由にしてくれた時、俺も天明の願いを叶えると!!」


 祀の瞳が炎の赤を反射する。強く燃える揺らめきは、祀の瞳を輝かせた。


「影の、寄生虫が!! 甘言で天明の命を握った気分はどうだ!!」


「握った? 違うね!! 命をかけても良いと思うほど天明が願ったんだ! それだけの想いが我が光の中で燃えてんだ!!」


 爆発した俺の文字を祀が躱す。屋上を焼く火を踏み潰し、赤い眼球が俺の背後に回った。


 俺は眼球の下へ飛び込んで火柱を避ける。眼球は金の瞼を開閉した後、即座に回転して俺を見据えた。


 あれだけ(ザ・タワー)に怒りを燃やすくせに、狙うのは(ひかり)なのだ。


影法師(ドール)を剥がす為に光源を攻撃するなど、何故そんな思考に行きついた!』


『救う為だッ! こんな危ない現状から! 影法師(ドール)が取り憑いた体から出ていくように、取り憑かれた子を痛めつける! そうすれば影は離れるだろッ 光源の痛みに耐えきれなくて、光源が死ぬ、その前に!』


 なぁ祀、気づかないのか。お前は本当に気づいていないのか。


 疑問が俺の筆運びを疎かにする。一瞬の隙をついて白筆が折られ、貫かれた手の甲からは火が上がった。


 玉の汗が弾けて蒸発する。息苦しさで呼吸が早くなるのに、整えるには酸素が薄すぎる。頭は大筆を再顕現せよと警鐘を鳴らし、渇きそうな舌は「アルカナ」を叫ぶのだ。


 再び俺の掌に筆が収まる。手の甲が燃えていようが知った事ではない。


 祀と視線が交差した。荒ぶる火柱を赤眼から放ち、光源を傷つける光源。救済を強行する偽善。その目は深く揺れ、涙は流れる前に気化している。


 あぁ、だから駄目なんだ。


 どれだけ目を見ていたとしても伝わらない。隣に並んでいたのに、笑った顔を見ていたのに、俺はコイツの感情など何一つ教えてはもらえなかった。


 どれだけ行動を見ていても理解できない。正面から相対しても、互いを傷つけ合おうとも、俺はお前が苦しんでいるようにしか受け取れないんだ。


 だから、言葉がいる。


 狭まった喉から吐き出せ。呼吸よりも発言をせよ。暴力よりも、炎よりも、何よりも雄弁に。


 心を示せ。


 心を晒せ。


『心はどこにあると思いますか』


「心は、言葉の裏にある」


 浮かぶ眼球に文字を綴れ。〈焔〉で祀のアルカナを破壊せよ。


 滾る灼熱の中、邪魔する者は誰もいない。バクも俺達の炎に焼かれてくれる。レリックなど今は知らない、どうでもいい。


「ッ、早く、天明から、離れろよ!!」


 汗だくになって白い髪を振り乱し、祀のアルカナが俺に照準を定める。荒ぶる光線に筆を折られ、衝撃で膝が笑った。


 足に力を込め、燃える傷口を無視して前を向く。前髪の先から汗がうだり、視界が歪む。(ザ・タワー)も肩で息をしているが、俺に下がれとは言わないのだ。


 傷を抱いて、俺の異形は笑っている。どれだけ傷つこうとも、どれだけ苦しかろうとも、願いを手放さない人間を異形は見放さない。


 俺の喉は「アルカナ」を口元まで這い上げたが、それは今必要な言葉ではなかった。


 だから俺は、武器を顕現しない。燃える掌、溶けた服の張り付いた腕。爛れた皮膚。


 燃え続けて治らぬ傷は、まるで祀のようではないか。


「……痛いか、祀」


 流れる汗すら落ちる前に蒸発する。浅い呼吸は祀も一緒。燃える傷も、溶けた制服も、爛れた皮膚も一緒なのだ。


 今の俺は着物を纏っていない。筆も持っていない。あるのはこの身と異形だけ。願いが俺を立たせている。祀に光源をやめさせる決意が、俺の言葉を生ませている。


 前後左右を赤い瞳の眼球に取り囲まれる。金色の瞼は震えており、目に宿る火の粉は不安定に零れていた。


「天明……」


「俺は、痛いぞ」


 重たく粘ついた靴を剥がし、祀へ一歩近づいた。俺達の炎で道路も建物も形を歪め、空すら不安定に焦げたようだ。


「お前との会話を忘れていた。その時の自分の感情も、言葉も忘れていた」


「それは、天明のせいじゃない。いい、いいんだ、俺が覚えていれば、それでいいから」


 真っ直ぐ前に出したつもりが、少し斜めについた足に笑いが零れる。祀のアルカナはまだ火を吹かないようだ。


「お前の行いを知らなかった。なんだ、一人で。光源を救うなんて……やめておけよ、お節介」


「これは俺が決めたんだ。見て、経験した俺が、俺がしないと、」


「誰がそんなこと言った」


「誰も、言ってない、けど!」


 祀の足が一歩後退する。開いた距離に俺は頬を上げ続け、目を充血させた善人だけを見続けた。


「ッ、俺がしないと、尊に合わせる顔がない!!」


 白く変わった瞳が俺に訴える。呼吸していると分かる胸元を握り締めて、枯れた声は泣いていた。


「俺の、俺のせいで尊は影になったんだ! 俺があの子にアルカナを使わせなかった、無理しなくていいって言った! そのせいで俺は尊の夢も、願いも、未来も! 全部潰したんだからッ!!」


 背中を曲げて祀が顔を覆う。下がった頭の向こうには、傷を背負って立ち続ける影法師(ドール)が一体。


 言葉を口にしない審判(ジャッジメント)


 その手は固く握り締められ、黒い血液が流れる前に消えていた。


 祀はそれに気づかない。自由に動く目を創った男は、自分の背後を見ていない。瞼に焼き付いた光景を嘆き、脳裏に染み付いた行動を後悔し、罰するように前進しようと藻掻いている。


「そんな俺が、見て見ぬふりをしていい筈がない! 知ってる俺が止めなくてどうするんだ! 願いを叶えてもらおうと頑張ったって、傷ついたって、消えたら意味ないのにッ」


 顔を上げた祀に、俺は一歩を踏み出した。


 祀の声は、炎が弾ける音すら掻き消していく。


「俺は、もう、誰にも消えて欲しくないだけだ!!」


「俺は、お前に他者を傷つけて欲しいとは思わないぞ」


 歪んで曲がった屋上の柵が落ちていく。火の海に佇む建物の窓は悲鳴を上げた。


 俺達の火が周囲を壊す。燃やして崩して、融解した外見を剥いでいく。


 息を詰めた祀に、俺は再び、一歩近づく。


影法師(ドール)を恨んでいるか」


「ッ、俺自身と、同じくらいね」


影法師(ドール)がいなくなれば、お前はまた、ちゃんと、笑えるのか」


「それは……どうかな」


 眉を下げて祀の顔が歪む。炎の赤を頬に受け、焼ける肌を気にせずに。


「俺の救済は、たくさんの光を、泣かせたから」


「……やはり賢いな。他者を思い、気持ちを汲んで、汚れ役すら率先して担うのだから」


 動きかけた腕を静かに下げる。今、手の中に筆はない。


 俺に今あるのは、言葉だけだ。


「お前は言ったな。影法師(ドール)を剥がす為に光源を傷つけると。光源が死ぬ前に、影法師(ドール)は出て行くと」


「あぁ、あぁ。そうだよ、それが、」


「それは、影法師(ドール)を信頼しているからこその考え方ではないのか」


 言葉を遮られた祀の目が見開かれる。背後では審判(ジャッジメント)の顎が微かに上がり、また一つ、柵が燃え落ちた。


「なに、言ってるの」


「矛盾を見たから、指摘している」


「ちがう、勘違いだ。俺は影法師(ドール)なんて、コイツらなんてッ」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と信じているではないか」


 祀の喉が大きく高い呼吸音を鳴らす。目が零れそうなほど見開かれたと同時に、赤い眼球は火の粉となって消え失せた。一つ、一つ、ゆっくりと。


「ちがうよ、天明。コイツらは自分勝手だ、自由になることしか考えてない身勝手な化け物だ! コイツらの言葉が足りないから尊はいなくなって、ッそんな奴らを信じるわけないだろ!!」


「信じているだろ。死なせる前に離れてくれると、自由よりも光源を優先してくれると」


「違うってッ!」


「だからお前は、光源を傷つける道を選べたんじゃないのか」


 また一つ、柵が落ちた。


 祀の言葉が止まった。


「どれだけ影法師(ドール)を恨もうと、どれだけ責任を感じても、お前が献身的な暴力に走るとは俺には思えなかった」


 麻痺した感覚が灼熱を受け入れ始める。


 強すぎる炎の揺らぎが俺達の影を明瞭にする。


「俺が知る朱仄祀は、働き過ぎの生徒会長だ。誰からも慕われる先導者だ。早死にしそうだと、心配になる程に輝いてる奴なんだ」


「買い被らないで、俺はそんなに凄くない」


「だがしかし、お前は自分一人で何かをする柄ではないだろ。周りの頼り方を知っている。俺に看板を書かせた時のように。生徒から意見を集め、教師の声も聞いた時のように」


「やめて、ちがう……天明、」


「何かを強行しないから、傷つく者が少ない道を選ぼうと努力できるから、お前は慕われるんだ」


「ッ、俺のことなんて何も知らないだろ!」


「お前だって、俺を知らないだろ」


 塔屋の扉が曲がった。微かに開いた隙間からも火の手が見える。


 俺達の炎はどこまでも燃え広がり、近いうちに自分の足元まで燃やすだろう。そのまま己の体さえ、焼くのだろう。


 それを止める者はいない。これは自分達の願いが巻いた火の粉だ。願う俺達から零れた、感情だ。


 息を呑んだ祀を見て、俺は思わず笑ってしまった。


「俺達は互いに知らない事ばかりだが、それでも」


 伸ばした手で祀の腕を掴む。


 言わねばならない。止めねばならない。これ以上暴挙を働くな。お前の善意を押し付けるな。それでは誰も救えない。


 いいや、それよりも。俺が伝えるべき言葉はもっと、単純でいい。


 笑う俺は、祀の目の縁に溜まった涙を見つけていた。


「俺はお前に、これ以上、誰かを傷つけて欲しくない」


 告げれば言葉の栓が外れる。伝えなければいけない想いが言葉を作る。


「誰かに傷を与えては、お前の傷が膿むばかりだ」


 だからやめてくれ。もう、これ以上は……やめてくれ。


「俺達はアルカナを借りているが、万能になった訳ではない。救える者には限りがある。お前の両手で救える数など知れている。そして祀、お前が誰かを守ったつもりでいても、お前が傷ついたままでは意味が無いだろ」


 燃える屋上に亀裂が入る。


 祀の頬を涙が伝い、落ちる前に蒸発する。


 俺は手に力を込めて、言葉を吐き連ねた。


「聖人にならなくていい。先導者などやめてしまえ。それで周りが救われても、お前を救ってくれる訳ではないんだろ。救済の暴力の後に残るものはあるのか。罪悪感が募るだけではないのか」


 また亀裂が深くなる。倒壊が近い。それでも俺達の足は動かない。(ザ・タワー)審判(ジャッジメント)も何も言わない。


 なぁ、祀。


「周りを救う前に、己を救え。自分を許せ。そうしなければ、お前は縛られたままで、どこにも進めないじゃないか」


 吸った空気の熱さが増す。


 祀の瞳が歪んで、伏せられ、肩が下がる。


 手の甲で目元を覆った不器用な男は、白髪に顔を隠していた。


「……天明」


 微かに呼ばれた名に、返事をしかける。


 その時、足元の亀裂が一気に崩壊した。


「ッ」


「天明!」


 息を呑んだ審判(ジャッジメント)(ザ・タワー)。俺と祀は反射的に動きかけたが、脱水に近い体で逃げることなど出来ないのだ。


 元より逃げた先も火の海だ。落ちる先も火の海だ。


 ならば潔く、落ちて燃えればいいだろう。


 消えぬ業火は俺達の願望。願った力が顕現した欲の海。


 叶える前に燃やされたのなら、ただそこまでだったと言うだけだ。


 祀と共に体が宙に投げ出され、なんだか無性に笑えてしまう。


「……ごめんね、口達者」


 いつも通りの軽口に視線を向ける。


 そこには頬を緩めた祀がいて、しかし目元には光るものがあったのだ。


「構わんさ、泣き虫」


 仕方なくて頬が上がる。


 泣き虫と言えば、あの子もそうだったな。などと、思い出しても意味は無いのに。


 (ザ・タワー)審判(ジャッジメント)が手を伸ばす姿を見る。


 俺達の痛みを抱えて、そんな体に鞭打って、強い異形が必死になって。


 その姿に笑みが深まった時、俺は――白銀の風を見た。


 突風が俺と祀の体を攫う。投げ出していた手首を掴まれ、宙で大きく景色が変わる。


 あぁ、まただ。


 また、俺の手を掴んだ子がいる。


 落ちる俺を見捨てなかった風の子がいる。


 あらゆる理由を口にして、人を助ける光源が、いる。


 白い段違いの髪を靡かせて、俺と祀を重たそうに掴んだ少女。


 (ザ・ムーン)の光源――焱ちゃんは、頬から一筋の汗を流していた。


「……心中をご希望でした?」

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